放っておいても良いしそう勧められているのだが、ようやくまとまった時間があったし、彼のような考えを持った人には言いたいことがいろいろあるのでついでに。
そもそも「努力量をこなすことが必要ではない」というのは合意事項だというのに、メカAG氏は私を「努力しないのを推奨している」かのようにとらえ、そのように非難しているのはいったい何故なのだろうか。このようなシチュエーションには既視感がある。例えば反原発関連トピックだ。このときは
科学を信じるか、心を満たすかという二律背反
信じただけでは救われないが、信じなければ救えない ― 人の内側と外側のバランスを考える
という2つのエントリを書いた。心の問題として。「心・技・体」というのはスポーツの世界ではよく聞く言葉だ。人の成長を促し、その能力の充実を図る上に置いて、この3つはどれも重要でありおろそかに出来ない。詰め込み教育の本質とは、すなわち「技」を詰め込むことだ。これはもちろん重要なことだ。では「心」は?「体」は?もちろん現代スポーツでは、メンタルトレーニングもフィジカルトレーニングも非常に重要だと見なされている。
L.starは「心」が、うちのブログ用語でいうと「自信」だが、今現在の日本のボトルネックになっていると強く考える根拠がいくつかある。増加しているうつ病とか、減らない極論の数々とか・・・こういう行動や現象の多くが「日本人が自信を失っているから」と考え、それをどう解消していくか、ということについて何度も書いている。そんな「心」がボトルネックとなっている状態で「技」の詰め込みなんかやってもうまく行くはずがない。
例えば英語教育の話をしてみよう。日本人の英語の「技」は実は大変高レベルだ。個人的な経験+オランダの英語教師から聞いた話を総合するに、ヨーロッパ人の平均的英語文法理解度と単語数は、日本人の平均よりはっきり言って低い。実際よく聞くと文法はめちゃくちゃだし、使う単語もそんなに多くない。それなのに日本人は英語をしゃべれない。理由が大きく2つあって、一つは技術的に聞き取りが苦手なこと。そしてもう一つは心の問題で、「英語をしゃべるのが怖い、物怖じする」というものだ。実際度胸のある人はどんどん片言英語を一方的にしゃべり、溶け込んでいく。
日本の詰め込み式英語教育は、文法や単語をシステマティックに教え込むのは確かに出来ている。しかしこの「英語をしゃべる度胸がない」問題を解決できていない。その解決は偶然か、現場の裁量レベル程度にしかできていない。L.starが詰め込み教育を批判するのはこの点、技ばかりに重点を置き、心を育てることをおろそかにしていることについてだ。
ヨーロッパの教育は、日本人から見ると確かに「技」の詰め込みについては甘いぐらいと感じなくもないが、一方で「心」の教育をおろそかにしていない。基本的に叱らず、自発性を尊び、論理を通じて行動することを教える。特にオルタナティブ教育なんかはその傾向が強い。自発的に打ち込めるものを探す、というのはモンテッソーリ教育で実践されているやり方である。それを真似ろと言うつもりはないが、そこから学ぶべきものはいくらでもあるはずなのだが。
そういった経験から、一見感情論やフィーリングに見えがちな「心」の問題は、実際には論理的に考察した上で、現状に対するボトルネック対策として言わせてもらっている。「罵声に耐える精神力」などというのは決して生得的なものや個人の資質ではなく、ある程度までは十分に鍛錬可能なものであり、優秀な教育者は今でも、たとえ詰め込み教育の実践者であっても可能な限り実践している。これを実践せず「つぶれた奴は素質がなかったからだ」などと言い訳するのは単に無能なだけ。
具体的にメンタルトレーニングを兼ねた訓練法とは「十分に努力すればかなりの確率で達成可能な目標を立て、それを実現させる」ことだ。これはSMARTという名前でよく知られていて、例えば以下のURLで紹介されている。
目標達成のための魔法の呪文は「S.M.A.R.T. 」
ここで重要なのは「目標は高すぎても低すぎてもいけない」ことだ。簡単に実現出来るようなことではいけないばかりか、実現が疑われるようなレベルであってもならない。あくまで「必死で頑張って自分の実力を最大限に発揮しても、100%実現出来るとは言い切れない」という絶妙のバランスで、しかも実行する本人がそれを納得できなければならない。そのバランスが当人から最大の努力を引き出し、結果から自信を得るのだ。またコーチングのような人材開発手法も、メンタル面をおろそかにせずに目標達成をさせる手法である。
ところで、極端な「技の詰め込み」への偏執的なこだわりというのも、心の鍛錬不足で説明できるものだろうと考えている。例えば育成ゲームを単純化したこんなのを考えてみよう。
- 「鍛錬」ボタンを押すと能力が上がる。ただし疲労が増える。疲労が増えると鍛錬時に故障の可能性がある。故障したら退場。
- 「休養」ボタンを押すと疲労が下がる。
- 能力の高いほうが勝つ
このゲームに相手に勝つにはごく簡単で、単に「鍛錬」ボタンを相手より多く押せばいい。しかしそれには故障のリスクがあるため、最低限の「休養」も押す必要がある。しかし「休養」を押すと相手に鍛錬で負ける可能性が生じる。故に「休養」を押すのは怖い。故障しないぎりぎりを知っているという自信が無ければ、なかなか押せないだろう。自信が無いが故に、「鍛錬」を押し続けるのだ。
L.starの主張は上記ゲームで言うと「故障するまで鍛錬押すな。ちょっとは休憩も入れないと」である。ただ、それはメカAG氏には「故障が怖くて鍛錬が押せない」に見えるらしい。まあ故障したときの損害を0と仮定すれば、いくらでも押せるのは確かだが、当然故障退場したら現実には鍛錬につぎ込んだコストが全部無駄になるわけで、馬鹿にならない損失である。
また、他人に耐えられないほどの詰め込みを命令するというのは、ミルグラム実験を思い起こさせる。ここで権威者とは「詰め込めば詰め込むほど効果がある」と教える世間の空気である。「詰め込めば詰め込むほど強くなる」という空気が、「どんどん詰め込めば人はいくらでも有能になる」というような無茶な言論の源泉になっているのでは無かろうか。もちろん、他人の苦労なのだから好きなだけ言い放題だろう。
メカAG氏の言論を見て思うのは、L.starのことを「フィーリングだけで語る」「甘やかしている」などと批判するのと対照的に「机上の空論じゃね?」ということだ。メカAG氏は、実際に教育する/される場合に普通に考慮するはずの心の問題が一切抜け落ちており、ただただ厳しくて、脱落者が出ることによる損失コストが無視されているとしか言いようがなく、現実感を著しく欠く。こういった問題に対して一言で指摘するなら「おまえ本当に教育やったことあるの?」ということになるだろう。これならまだ既存の詰め込み教育の方がまだましだ。
また、オルタナティブ教育のような教育の多様性について知らないまでも、昨今のメンタルやフィジカル面で進歩した最新のトレーニング事情のような、教育方法の進化についてもあまりご存じではないようだ。そのような不勉強な状態で「私の言うことが最適だ」というのはなかなか度胸のある行為だ。そういう意味では心の問題はクリアしているようではあるが、残念ながら最新の教育論についての詰め込み教育が足りてないようだ。精進を期待したい。
コメント