最近はTPP談義で盛り上がっているブログ界。個人的にはこのTPPは単なる貿易問題だけにとどまらず、外交や戦略にまで踏み込む話で、経緯まできっちり読み込まないと本当の理解には行き着かないのではないか、と思う。だからTPPの賛成/反対に関する直接的な議論は差し控えたい。

しかし賛成・反対の議論を見ていると既視感に襲われる。そっくりなのだ。外国人参政権問題で盛り上がっていたときと。

外国人参政権なんかよりずっと重要な話をしないか – あなたは開国派?それとも鎖国派?

あたりがそのとき提起した内容。個人的にはそこからネイションシリーズと題した一連のエントリ群なので日本のありようについて考える方向に向いたのだが、最後に「これは合意形成の問題だ」ということになった。しかし、見事なまでその当時となんにも変わっていないようである。また無限ループを繰り返すのだろう。懲りないことだ。そんなわけで、今回は開国鎖国論のアップデート的内容を書いてみたい。

この議論が紛糾するのはもちろん論者の問題があるんだろうが、だいたい以下のような3点の内容が話をややこしくする。

一つ目が、広範囲に適用可能な原則論。例えば三月頃には「絶対安全で、不可逆な災害が発生しないことをを保証できない発電方法は駄目だ」というのが流行った。原発を否定したいのは分かるが、これをまじめに適用すると、既知のかなりの発電方法や産業がアウトだ。あるいは東京都のアニメ規制のときも条例案は「あまりにも適用範囲が不明瞭すぎる」という批判を浴びた。こういう「ワイルドカード原則論」は、一見正論に見えるが、適用範囲を恣意的に制限しないと成り立たない。その恣意的な部分に論理的な破綻がある。

二つ目が、メリット、デメリットの過大見積もりだ。外国人参政権の時は「地方参政権を許せば日本が中国に占領される」などという荒唐無稽な意見があった。こういうあり得ない仮定を元にすると、「ありそうなシナリオ」に対する議論ができない。本当に議論すべきは、もっと現実的な数字だ。プロジェクトマネジメントの例で言えば、「ゲーム開発プロジェクトマネジメント講座」(PDF注意)のP.220あたりで二点見積もり法というのが提唱されている。「80%の確率で完遂可能な悲観的なシナリオ」「20%の確率で到達可能な楽観的なシナリオ」程度が本来見積もるべき数字であって、それ以上を求めても意味はない。

最後が「単に反対だけで自分の意見を言わない」というものだ。「お前は間違っている」というだけで何かの意見を言ったつもりになれる。もちろんそこに「かくかくしかじかという部分は間違っている」等の論理的な部分があればいいが、当然ながらこういう言いっぱなしのやりかたは合意形成の役には立たない。かくいうL.starも「亀井静香(のような頑迷な保守派)があれだけ断固反対しているんだからTPP賛成で間違いないだろう」などと心の中では思っているが、他人を説得する論拠としては完全に間違っているのでネタ以上で発言したことはない。

逆に言うと、上記のような論法を多用することで日本をさらに混乱させられるわけである。日本をアメリカや中国の属国にしたい人には非常に便利なノウハウといえるだろう。延々にガラパゴスな内戦を繰り返せば海軍と陸軍の全面戦争の間に漁夫の利をアメリカに取られた第二次大戦の再来は簡単に起こる。

そう、そもそもの問題は「敵は誰か。何を武器にして闘うか」ということなのだ。敵は「グローバル経済圏(の実態の一部である中国あるいはアメリカ)」なのは、実は反対派も賛成派も同じ。結局のところ「開国か鎖国か」というのは「グローバル経済圏とどのようにして闘うか」ということだ。

グローバル世界を股にかける世界企業という名の蛮族が、日本を繰り返し襲撃してきている。そんな情景がいつも目に浮かぶ。日本版シリコンバレーが成功しないたった一つの致命的な問題を書いたときにも念頭に置いていたが、グローバル企業は騎兵だ。圧倒的な機動力で金を動かし、市場を支配し、法の目をかいくぐって利益をせしめていく。それに対して日本は基本的には城塞都市。やってくる相手を槍や弓矢、ガラパゴスな独自武器で懸命に追い払う。かつて一世風靡したサラリーマンという名の重装歩兵軍団はバブル崩壊とともに致命的な損害を受けた。そして重厚さでは蛮族騎兵に勝っていても、機動力で劣るために常に後手後手に回っている。

鎖国派の人たちは「グローバル経済という蛮族は怖い」と言う。壁を強化してしっかり守りましょうという。確かにそれで当面をしのぐことは出来るだろう。しかし籠城戦を闘うための備蓄はどうするのか?援軍はやってくるのか?そういう耐久型社会はかつて現代において鎖国が現実味を帯びる時 ー 日本第一百科事典財団構想でも考察してみたが、むしろ蛮族の暴れ回る今のような状況より、江戸時代のように孤立を「余儀なくされる」状況がふさわしいように思われる。

もちろんだからといって「開国という形で打って出る」というのが常に正しいと言うつもりもない。何よりも打って出るためには、それだけの戦力が必要になる。かつての日本式サラリーマン軍団では圧倒できないことははっきりしている。グローバルが怖いなら、怖いからこそ彼らと同じように我々も騎兵をそろえて対抗すべき。

そして実はもう一つ、グローバル経済圏を倒すための必勝策がある。それは「世界をフラット化すること」だ。彼らを倒すというのはつまり彼らから適切に税金をがっぽりせしめると言うことなのだが、今のグローバル経済圏の機動力は、実は各国の格差(法律、文化、経済etc…)が大きいことに依存していて、巧妙にそれらの間を動かすことでお金を儲けているのだ。であるからして、彼らを包囲するためには包囲網も世界規模でなければならない。実はTPPは、この点ではプラスである。柵を作って動きを鈍らせるのではなく、他のみんなのスピードを速めることによって彼らの機動力を無効化するのだ。各国が共通の法律等々のフレームワークを持つのはそのための第一歩なのである。

 

などとつらつらと書いてみたが、結局のところ世で言われているようにTPP賛成反対=開国鎖国なのかは自信が無い。本当はそれ自体議論の余地のない割とつまらない選択であって、影響も今までの延長程度なのではないかと感じている。そういう意味では、この「開国か鎖国か」という言い方自体がそもそも「ワイルドカード原則論」のたぐいであろう。TPPを個別に論じるにはあまりにも強すぎるくくりだ。

最後に蛇足的に付け加えると、議論を進める上で「どんなリスクをどれだけ取るか」というのは明示しておかないといけないだろう。それを明示しないことが攻撃材料になってしまうし、当たればメリットがでかいのか外してもリスクが小さいのか、というようなのは重要な論点でもある。あとはFacebookのザッカーバーグのこんな言葉を引用して終わりにしたい。

 

「最大のリスクは、一切のリスクをとらないこと・・・非常に変化の早い世界で、唯一失敗が保証されている戦略はリスクをとらないことだ。」

ザッカーバーグ:「もし今会社を始めるなら、ボストンを離れないだろう」