NHKスペシャル「生活保護 3兆円の衝撃」の残念さ
などを見ながら、大変だろうな・・・と考えていた。個人的にはもっとつまらないがBLOGOSでも時々あって、「そこじゃないだろ!」というセンセーショナルな部分をトピックに抜き出されたりするわけで、おかげで荒れたりすることもある。まあBLOGOSの件は別に実害があるわけではなく、ほほえましく眺めていられる程度だから別に良いのだが、鈴木教授ぐらいになるとさぞかし大変であろうと思う。
ところで上のブログの内容とは直接の関係がない話だが、世の中ではこういうのを「偏向報道」と取り上げていたりするのであるが、L.starは「マスコミの偏向報道」とやらいうものは考えるのも馬鹿馬鹿しいと思っている。ん?タイトルと違う?その辺はおいおい埋めていくとして、まずは観測事実としての「偏向報道」ではなく、その発生理由から追っていきたい。
増える情報、増えない帯域
マスコミュニケーションというのは、ブロードキャストにデータを伝送することが非常に得意だ。一方で帯域は限られている。テレビの場合1日最大二十四時間。新聞だと4-50枚程度ということになる。
これは昔なら相当の量だったのだろう。しかし、今の時代情報は指数関数的に増えているうえ、帯域幅のほうはなかなか増えない。不十分な帯域の中で適切に情報を伝達するためには、大胆な編集が欠かせない。しかし情報が増えれば増えるほど、編集はどんどん難しくなる。今回の鈴木氏のコンテンツも1時間半以上しゃべって収録一分、わずか1%では正確な引用はほぼ無理である。
編集力が上がっているかどうかはよく分からないが、むろん個人レベルでの優劣当たり外れは大きく存在する。としても、総合レベルで下がっていると考える理由は「最近の若い者は」とか「マスコミ自体の腐敗」とかそういうのを除けばあまり見つからない。とはいえ仮に腐敗など無い!と仮定したところで、編集力の上昇は線形だろう。
となると「収穫逓減の法則」により、指数関数で増える情報を消化することは出来なくなる。実際には腐敗等々があるからもっとひどくなる。
×「マスコミの偏向報道」
○「マスコミの総花主義的報道はオワコン」
こういう状態が明らかになったのはブロードキャストの伝送が容易かつ帯域も広いネットが普及し始めた時点からなのだろう。例えチェック機構が働かないとはいえ、ネットに氾濫する大量の情報を見たあとでは、マスコミの帯域幅不足はもはや明白であろう。この「帯域幅不足」こそが「マスコミの偏向報道」として観測されているものの事実だ。
同様の事実は例えばBLOGOSでもトピックスのタイトル(15字前後)やTweet(URL、ハッシュタグ、タイトルまで含めて140字)でも当然存在しうるし、実際観測できる。また、デマやデモなどについて「どうしてマスコミが放送しないのか」というのも説明可能だ。そういう苦情に取り合って全部まじめに放映するようにしたら、1日240時間あっても足りないだろう。
これに対処する方法は3つ考えられる。
編集力の向上
1つは編集力をあげて、とにかく上手に圧縮して情報量をふやすこと。これには業界の自浄努力や一層の勉強などが必要。多くの人がこれで解決できると思っているであろう。実際、鈴木氏が今回遭遇したような「編集の失敗」問題は個人スキルに帰結する。もちろん努力は続けるべき、と言う点には異論はないが、しかし帯域幅不足と言うより大きな問題については、こんな根性論的方法はすでに限界だろう。フジテレビ問題も原発デモ問題も、編集取材力でどうにかなる話ではない。
帯域幅の増強
帯域幅の増強も可能であれば解決策として素晴らしい。がそもそも困難なのがマスコミのメカニズムである。既存のテレビ・ラジオ・新聞は、物理的に限界だ。単純な多チャンネル化は可能だが、明確に分離できない限り中途半端な各個撃破対象になるだけだろう。
一方ネットとの連携は数少ない有望株で、例えば特集番組とあわせて取材データの公開などのようなことも可能であろうが、今のところこの進展ははかばかしくない上、当初から劣るブロードキャスト性と勝る帯域幅という特性を考えて設計されているネットメディアがこっちの方向から猛追してきている。
敢えて偏向を強化
最後は総花主義なフルラインナップを改め、一部の情報をあえてばっさりと切り捨てた「偏向したメディア」になること。地域テレビ局なんかはそういう路線に近くはあるが、特定の主張、特定のコンテンツに特化すれば、今までより多くの帯域を1コンテンツに振り分けることが出来るようになる。ブロードキャスト性を保ったまま情報量を減らすためには、一番の手法だろう。
全国ネットの場合、特定思想に偏向することだ。代表的なのは日経と財界とか、朝日の左翼、産経の右翼あたりだが、こういった風潮はこれからさらに強化されていくだろう。
偏向するメディアの対立が勢力軸に
これでタイトルの「マスコミはもっと偏向報道しろ」につながる。帯域幅不足という問題に対処するために、彼らはむしろ偏向報道を激化させるしかないのだ。
これは日本の政党政治の崩壊を食い止める3つの選択肢とはで考察したことと重なる。やはり総花主義的な支配的与党による日本の政党政治を、分裂した政策政党間の妥協による連立に変えろ、と言う話だが、マスコミもやはりまたそういう方向に向かわざるを得ないだろう。そして次のステージでは「じゃあその分裂した勢力群がどのように妥協を形成するか」という話に進んでいくわけだ。
そんなわけで「偏向報道は良くない」とあちこちで言われるなか、L.starは敢えて全く逆のことを主張したいわけである。
マスコミはもっと偏向報道しろ!
コメント
コメント一覧 (8)
しかし韓国という国が従来型左右対立構造の外にある事こそが、
フジテレビ騒動の本質であると私は考えています。
右の産経は防共の誼で韓国には極めて融和的であり、
左の朝日も戦争責任の被害国として極めて同情的であり、
日本国内のマイノリティーとしての在日という側面もある。
マスコミの偏向を促し全体で均衡を保つ提案には賛成しますが、
まさか反韓に偏向する放送局が現れるとも思えず、
結局ネットが均衡の一翼を担うしかありません。
> しかし韓国という国が従来型左右対立構造の外にある事こそが、フジテレビ騒動の本質であると私は考えています。
まあ、従来型左右だけでは必ずしも表現できなものもあります。特に反韓はいわゆる排外主義的極右と分類できますが。中道~右派と極右はまた別物ですからね。
>まさか反韓に偏向する放送局が現れるとも思えず、
かわいそうなチャンネル桜・・・
その息苦しい言論空間がネットでの醜き噴出を産みます。
マスコミ言論のタブーを極力排さなければ、偏向による均衡なんて所詮絵空事。
反米反中と同じ文脈で反韓が論じられるようにならない限り、
マスコミへの偏向報道批判は収束する事が無いでしょうね。
>かわいそうなチャンネル桜・・・
またまた、露ほども心に無い事を。
いずれは地上波の権威もチャンネル桜レベルになるかもしれませんが。
反韓を即、排外主義的極右と斬って捨てる事こそが問題なんですけどね。
その息苦しい言論空間がネットでの醜き噴出を産みます。
元フジ大好きっ子さんは「マスコミよ旗幟鮮明にしろ」には賛成するのに自分の旗幟鮮明には反対するんですか?
いわゆる嫌韓運動の先頭を行くような団体はだいたい極右と分類されます。私もコメント欄等でずいぶん対峙しましたが、
その上で彼らを排外主義あるいはジンゴイズムだと分類せざるを得ないと結論しました。
「極右かもしれんが、俺はこう思うし、ここは聞くべきところだろう?」と堂々と主張してはいかがですか。
極左の赤旗とか、欧米の極右政党/団体はちゃんとそれをやってるんです。
反米反中と同じ文脈で反韓が論じられるようにならない限り、マスコミへの偏向報道批判は収束する事が無いでしょうね。
反米反中(ただし今どきのは除く)は実際には反イデオロギーで、単純な反国家・反民族ではありません。だからこそああいう文脈で語れるのです。
同じように論じるだけの価値観を反韓が持ってないじゃないですか。自分たちの価値観の不備をマスコミに転嫁するの?
またまた、露ほども心に無い事を。
もちろん個人的にはチャンネル桜には何の興味もないですが、彼らはあなたのような人たちを代表するメディアだと標榜しています。それが見向きもされていない現状を「かわいそうに」と思うのは当然かと。
ネットで私如きに極右のレッテル貼られても、いささかの痛痒も感じませんし、
私の書き込みが極右的だと判断されるのであれば、甘んじて受け入れましょう。
ただ嫌韓運動全体を排外主義的極右とするのは無理があると考えているだけで。
まさか韓国が全く批判の余地が無い、完璧な国のはずも無いでしょう。
反米はともかく反中は最早、反イデオロギーの文脈で語られていないのでは。
中国の人権状況はリベラルから強く批難されているものであり、
そもそも今の中国は共産主義国なのか資本主義国なのか。
アメリカも中国も韓国も、もちろん日本も批難されるべき部分が数多くある。
イデオロギーを越えた文脈で、是々非々を語るべきだと言っています。
私もチャンネル桜自体は極端に偏向していて、かなり異様だと思ってますよ。
しかし偏向したメディアの対立による均衡の究極の姿というのは、
チャンネル桜ぐらい偏った放送局が、それぞれ地上波を受け持つような状況。
反米局反中局反韓局もあれば、反原発局親原発局もあっていい。
しかし現状の言葉狩り自主規制、横並び事なかれ体質では期待できそうも無い。
目的は共通しているのですから、せめてネットでの不毛な対立は避けたいもの。
ネットで私如きに極右のレッテル貼られても、いささかの痛痒も感じませんし、
主張の方向性を明確にしろという意味での、政治的スペクトルの話をしているのになぜか「レッテル」と反応される。
ここに日本の根本的な問題がありますね。
つまり「中立」とは「善」であり、「偏向」とは「断罪すべき悪」という無意識。
だから自分の中の偏向を無視して「善」でありたがる。そして他者を「偏向」と断罪する。
ただ嫌韓運動全体を排外主義的極右とするのは無理があると考えているだけで。
まさか韓国が全く批判の余地が無い、完璧な国のはずも無いでしょう。
全体が自覚的に排外主義ではないのはそうでしょう。無自覚に「なんとなく嫌韓」もいる。
しかし排外主義的ヘイトスピーチは、当人に自覚がないから、相手国に落ち度がないからといって免罪されるわけじゃない。いじめっ子が「いじめられる側にも問題がある」と開き直ってもいじめっ子である事実は変わらない。排外主義としての反中国についても同じですね。
イデオロギーを越えた文脈で、是々非々を語るべきだと言っています。
そして「イデオロギーを超えた文脈で是々非々を語るべき」と本当に思って実践している人は、イデオロギーよりもっと狭い国家民族で何かをくくったりはしません。
私もチャンネル桜自体は極端に偏向していて、かなり異様だと思ってますよ。
も?いやL.starは一度も「異様だ」とか言いませんでしたよ。確かに排外主義者層を「異様だ」と思わなくもないですが、彼らの偏向を彼らなりの意思と認めれば、チャンネル桜はむしろ普通の放送局に思えます。もうちょっとライトな右翼層を吸収するのは難しいみたいですが。
目的は共通しているのですから、せめてネットでの不毛な対立は避けたいもの。
L.starの目的はマスコミ以外にも、可能ならば全員に「方向性を明確にした偏向」を求めていて、手始めにマスコミなのです。その点ご自身の偏向に無自覚であるなら、残念ながら目的は共通とはちょっと言いがたいですね。