日本の政治の迷走はとどまることを知らない。なんと管政権は1年も持ったらしいが、近々退陣と言うことで、これまた1年前後の短命政権になる。個人的には民主党の党首推移は山勘で鳩山-管or岡田-前原等の若手-小沢と予想していたので、想定の範囲内ではあるが。

しかしどうしてこれほど短命政権ばかりになるのだろう。民主党、あるいはマスゴミのせいと結論づけても駄目だ。自民党が小泉以外に長期政権を持てなかったことを説明することが出来ない。そう考えると要は元々おかしかったのだ。民主党も政権を維持できないのは、政権寿命の問題は自民党の体質のせいだったわけじゃなく、自民党と民主党が共有するシステム、つまり日本の議会の持つ暗黙のシステムに根ざしている問題だということを示しているのだろう。

それはつまり、一党優位多党制の崩壊である。日本の多党制は、永らく強固な政権与党があり、野党が何を言おうと無視できるだけの権力を持つことが出来た。そのための常に過半数を維持するだけの基盤を自民党が持ち続けることが出来たのが大きかった。

この暗黙のシステムは勝者総取りなので、まず選挙で勝たないことには政権運営できないから、どんな政策を打ち出すかよりも、自分の権力基盤を維持し、かつ相手をたたき落とすことが重要になる。政策より政局、となるゆえんである。しかしもはや維持できないのだろう。巨大な組織を運営するには巨大なコストが掛かる。

この破綻は外から見れば明らかと言えるのだろうし、多数の政治家もどうにかしたいと思っているのだろうが、実際につぶすのは大変に難しい。なぜならそれを変更するためにはまず政局を制して政権を取らねばならない。しかしどの政党にもそのための圧倒的な権力基盤は失われている。かくして政局という内戦は延々と継続する。不幸なことに。

そして内戦が継続すればするほど日本の政権はさらに混迷を極め、政権を持続させることが難しくなる。大連立のような方策も取られるだろうが、それも長続きしないだろう。小泉のように、巧妙に各勢力を誘導できる権力者だけが長期政権を維持できるだろうし、小沢一郎がそれをやってのけるかもしれない。しかしそれは結局のところ延命策であり、強大な権力と、こんがらがった勢力図を理解して巧妙に動かす職人芸の持ち主だけがそれをできることになる。

しかしそれを職人芸ではなくシステムとして食い止める策はないのだろうか。個人的にはいくつか思いつくことがある。

議員減

である。ブルックスの法則を拡大解釈すれば、組織の複雑さは構成員の2乗に比例するといえる。というわけで、例えば議員数を半分にすれば掌握しやすさは1/4になるだろう。ただしこれがうまくいくと、最後には誰かが議員数を極端に減らすこと、すなわち独裁を思いつくだろう。この発想を敷衍すると大統領制や首相公選制のような、任期のはっきりした代表者を選ぶ制度と考えても良いだろう。ただ、トップだけ選んでも下が付いてこないと始まらない。有能な将軍二人より無能な将軍一人の方がまし、と言ったのはマキャベリであったと記憶しているが、ましな結果を得ることは出来ても、それが日本の政治を回復させるまで強くなるかどうかは未知数だ。

民衆が与党をもっと支える

間接民主制は(日本の場合は多数決の選挙により)権力を委任する代理人を選ぶのであるから、例え選ばれた議員政党が気にくわなくても、ソクラテスが毒杯を仰いだようにその決定に従うのが原則である。嫌だのなんだのいわず、無能な総理であろうが駄目な与党であろうが、多数決で勝った以上心中する覚悟を決めないといけない。

しかしそのように民衆を誘導するというのは、議員よりも民衆のほうが遙かに多いという一事だけでも非常に困難であることが分かるだろう。かつて20世紀初頭にはマス・コミュニケーションという必殺技があったが、もはや限界に達している。代用になりそうなものは思い浮かばない。ネットは今のところ意見の集約より、多様化の推進に向かっている。

穏健な多党制

で、最後の選択肢は、ヨーロッパに多い政策政党による連立政権だ。ばらばらになっていく議会を収拾するのはもはや誰も行使できない巨大な権力基盤ではなく、シンプルな政治原則による緩やかな政策政党になる、と見ている。それは80%にほどほどに好かれる総花的な政策でリーチするより、熱狂的少数の20%に熱狂的に支持される方がずっと簡単で効果的だ、という話で補強できるだろう。政策政党なら今までのような地盤による権力基盤のようなはっきりしたものを持たないので、よほど日本の世論がはっきりとその特定政策を支持しない限り巨大化は難しい。が、組織も小さい故その分維持コストもかからない。理念を曲げなければ他党との協力も容易である。

おそらくは既存の超党派の政策集団がより組織化し、従来政党とは独立してより筋道立てて精査された意見を述べるような形に変貌するのがスタートだろう。その次にこういった集団が超党派で重要な法案を通すことができるようになれば、一気に流れは傾く。もちろん与野党執行部は全力でそれを止めにかかるだろう。それを払いのけることが出来れば、あとは政策集団が政党化するのは時間の問題になる。

このような形は、多様化した我々の価値観を如何にして調停するか、という主体を与党と官僚から議員と政党に移して可視化する、と言う意味でも現状にそぐうのではないだろうか。当然選挙制度改革は、優越する衆議院で全数比例代表、というのが中心になるだろう。一票の格差も消え一石二鳥である。最終的には憲法改正で議院形態を見直す(例えば参議院の弱体化など)ところまで進めないといけないだろう。

しかし現実にこのようになったとして最初は連立体制もぎくしゃくするだろう。

全議席比例代表制度にする前に日本の政党が変わらなければいけないこと

でも考察したが、連立政権の組み合わせというのは、今までの日本があまり経験してこなかった組み合わせを強いることになる。それゆえ、実際に始まっても殆ど手探りになって、当面安定するとも思えない。しかし、数年間失敗しつづけてもそれは不慣れなのが理由なのであって、失敗により連立成立のためのノウハウというのがたまってくれば、ようやく安定して2-3年政権が維持できる、と言う形に落ち着くだろう。

 

政策本位の政治に立ち返ることで、日本は今まで政治の混迷で損してきた分を若干取り返すことができるだろう。しかし歩みのさらに遅い連立政権で、しかも官僚制度は手付かずで残ったままでは、日本の発展は限定的にならざるを得ない。と言う意味では本当は日本の官僚制にも切り込まなければいけないのだが、こちらはさらに難しい。漠然とここに切り込むのはグローバル経済力を背景にした外資や新興企業なのではないかと思うが、長くなったことだしここで筆をとどめておきたい。