忙しくてブログも書く暇があまりなかったのだが、中国の脅威が日本を席巻していた。今更だがこれをネイションシリーズで料理してみたい。
日本では中国脅威論が優勢で、デモが行われたり、中国人観光客が襲われたり、一方中国の側も反日デモが激化したりしているようだ。L.starは基本的にグローバル主義者なので中国に関しては脅威論をそんなに支持していない(というか日本にとって本格的な脅威になる前に中国は崩壊するだろうと踏んでいる)が、ひとまず彼らが重大な脅威であるということを受け入れてみよう。
残念なことに、日本での反応を見るに脅威論に突き動かされている人たちは、その中国の脅威を偏狭なナショナリズム、排外主義やジンゴイズムで受け止めようとしている。これはもちろん一つのあり方である。しかし、およそ間違った解答に感じられる。
単刀直入に言おう。中国が言われているように中央集権で一枚岩の、世界最大のならず者国家だというのなら、その脅威から身を守るには日本を国際化するしかない。そんな強烈な国家は、おそらく日本どころがアジア全体を占領するに足る実力の持ち主だろうから、対抗するにはアジアだけじゃなく世界全体で当たる必要がある。
であるからして、中国が危険であればあるほど、日本だけで対抗できる敵ではないのだから外国のことを考えないといけない。ここで言う外国とは中国のことじゃない。韓国、台湾、ASEAN諸国、オーストラリアとニュージーランド、インド、中東、そして米ロといった国全部のことを指す。これらの大半または全部と良好以上の関係を維持し、中国包囲網を形成しなければ勝ち目はない。
このような強国の脅威に対抗して周りの国が連合を形成する、というのはインターリージョナリズムの一形態であり、珍しくはない。最近では戦争の脅威でこそ無いが、EUもアメリカ経済に押されて誕生した共同体である。今までのネイションの規模を大きく越える共同体が形成される要因は決して多くはないが、強い外敵はそれたりえる。もっとも他にも必要な要因はいっぱいある。上記で挙げたような国は米国を除けば覇権国家といえるだけの品格もリーダーシップも持ち合わせていない。頼みの米国は衰退する一方。正直に言って、日本ぐらいしか糾合できる主体がないようにすら思えるのである。
一方で日本がこれらの国を糾合するにはいろいろと問題がある。結局のところ日本は先の大戦の敗戦国で、恨まれているところには恨まれている。領土問題も存在している。そういうわだかまりを抱えている国は、どれほど中国が怖くても、なかなか日本がリードを取ることを了承はしないだろう。
これは逆に考えてみたらすぐ分かる。もし韓国の大統領が「中国の脅威に対抗するために日韓は協力が必要だ」と言い出したとして「でも独島は韓国領土だ」と次に付け加えるなら、納得できる日本人はまず居ない。韓国を日本側に加えるなら、竹島を放棄する覚悟が必要だろう。そうでなくても、そういう理由をわざと持ち出して、日本に様々な譲歩を求めるのは考えられる。
誤解しないでほしいのは、こう言うのは弱腰とは言わない。あくまで反中大連合の指導的地位という領土問題より遙かに大きな実質的な利益のために、些細な領土問題や歴史問題で譲歩するという、名目的な敗北を受け入れることだ。そうでないなら、そんな犠牲を払う必要はない。
例えば同じように第二次大戦の敗戦国でありながらEUで指導的な地位を維持しているドイツを見てみよう。彼らはナチスの肯定やホロコーストに対する反論を「法律で」禁じている。あるいは歴史的に見て北方領土や竹島よりも遙かに明確にドイツ領と見なせるはずの東プロイセンを放棄している。彼らは国家そのものが優れているのももちろんだろうが、それだけの犠牲を払っているからこそ、今の指導的な地位を得ているのである。そうでなければ英仏が「反省しないドイツの台頭」にさぞかし難色を示したことだろうし、EU樹立すら危うかったかもしれない。
そして、同じことは今まで日本だって歯を食いしばってやってきたのだ。それを今「弱腰だ」と近視眼的に非難せずに、そこから得られる利益がなんなのかという、もっと実務的な点に目を向けられないのだろうか。「でも民主党は」「でも管内閣は」という反論が目に浮かぶが、私は政府の話をしているのではない。あなた方一人一人の心構えを話しているのだ。
これは単にナショナリズムに傾倒しているネトウヨだけの話でもない。そもそもこういった国際化の構想は別に昔から珍しくもなく、最近では自由と繁栄の弧構想も、東アジア共同体もそのたぐいである。センセーショナルな問題ばかりに目がいって、そういう構想を支持し続けられなかったのは、結局のところ国民全員なのだから。
まとめると、反中という脅威が本物であるならば、それをナショナリズムで消化するのではなく、インターリージョナリズムに昇華しなければ対抗できない。だからこそ、今ばらばらになっているアジアをまとめる役を日本が果たす必要がある。そのためには、日本そのもの(国家および民族)がさらなる国際化を果たすとともに、いかにも不安定なアジアの国家群に対して日本が進んで譲歩しなければならないだろう。極端な話竹島を韓国に、北方領土をロシアに、尖閣諸島を「台湾」に譲るぐらいの覚悟が必要である。
国家どころがアジア100年の計のために日本が骨を折ってまとめあげる、それにはもちろん他にもたくさんの条件がある。圧倒的なリーダーや強固な基盤、軍事力などがあげられるだろう。一筋縄ではいかない大事業である。
しかしそれに踏み込む前に改めて問いたい。我々に、それを背負う用意ができているだろうか?それに「はい」と答えられることが、最初の第一歩だ。
コメント
コメント一覧 (7)
http://bobby.hkisl.net/mutteraway/?p=2859
L.starさんの記事を一通り読ませていただきました。
深い考察に、色々と勉強させて頂いております。
しかし中国に対する考えではL.starさんと相違があり、少々残念です。
>韓国、台湾、ASEAN諸国、オーストラリアとニュージーランド、インド、中東、そして米ロといった国全部のことを指す。これらの大半または全部と良好以上の関係を維持し、中国包囲網を形成しなければ勝ち目はない。
何故これらの国と良好な関係を維持できるのに、そこに中国を含めることが出来ないのでしょうか。
確かに今の中国は経済は爆発的な成長を遂げていますが、共産党・貧富格差・環境問題・民族対立等、問題は山積みな国です。しかし、それらの問題も(注目されていなかっただけで)20年前よりは遥かに改善してきました。そして20年後はさらに改善できると思います。私は“人間はまず豊かにならないと、他の事を考えられない”という持論を持っています。貧しい人にマナーを説いても無駄なのです。今の中国はやっと豊かになってきたといえます。ならば、他の事(国政について)を考え出すのは、今からなのではないのでしょうか。そしてそんな今だからこそ、日本は先進国の先輩として中国に働きかけることが出来るのではないでしょうか。
私は立場上、中国人と接する機会が多くあります。彼らと接して感じることはネットで注目されるような“反日”は極少数派であるという事と、彼らは彼らなりに自分達の国を良くしていこうと考えていることです。私は、そんな彼らと日本人が手を取り合える方法が必ず存在すると思っております。(ただし、これはあくまで主観的な意見です)
その可能性を考えず、短絡的に“中国は危険な国家である”と主張するのはL.starさんが嫌っているネトウヨと呼ばれる方たちと同じなのではないでしょうか。
また、私は現在の日中不仲の原因の大部分は両国のマスコミにあると思っております。文化的にも経済的にも良好な交流は増えているのにに、それらには目を瞑ってお互いの汚い部分だけを報道するマスコミの姿勢には不満を感じざるを得ません。例えば尖閣沖の衝突事件のあおりを受けて、とある高校の上海万博招待が中止されたという報道があり、中国の姿勢が批判されました。しかしそもそも中止されなかったら、その高校の万博招待について報道されたのでしょうか。そして“画面を通してみた日中関係だけが全てではない”ということを真に理解している日本人・中国人が決して多いとはいえないことが気がかりでなりません。
以上、稚拙な文章ですが御一考下さると幸いです。
ご丁寧なコメントをありがとうございます。しかしながら、誤解されているかと。
その可能性を考えず、短絡的に“中国は危険な国家である”と主張するのはL.starさんが嫌っているネトウヨと呼ばれる方たちと同じなのではないでしょうか。
というのも、L.starはそのような主張はここではしていません。なんとなれば
日本では中国脅威論が優勢で、デモが行われたり、中国人観光客が襲われたり、一方中国の側も反日デモが激化したりしているようだ。L.starは基本的にグローバル主義者なので中国に関しては脅威論をそんなに支持していない(というか日本にとって本格的な脅威になる前に中国は崩壊するだろうと踏んでいる)が、ひとまず彼らが重大な脅威であるということを受け入れてみよう。
と冒頭に書いていますから。つまり、ここでは中国が脅威なのは仮定です。中国脅威論の話ではなく、中国脅威論と排外主義という、本来戦略的に両立しない両説を並べているネトウヨ等に対する批判なのです。
私は“人間はまず豊かにならないと、他の事を考えられない”という持論を持っています。
それは必要条件ですが、十分条件ではありませんね。豊かになったからといってマナーが身につくとは限りません。
私は立場上、中国人と接する機会が多くあります。彼らと接して感じることはネットで注目されるような“反日”は極少数派であるという事と、彼らは彼らなりに自分達の国を良くしていこうと考えていることです。
知っていますが、中国人のうち特定個人が信用できることと、中国人が信用できることと、中国の主権国家が信用できることもまた別物です。
例えば本文で「中国の脅威」を「中国政府の脅威」と読み替えるなら、中国政府包囲網には、おっしゃるような信頼できる中国人も加わってもらうべきでしょう。
また、私は現在の日中不仲の原因の大部分は両国のマスコミにあると思っております。
これは必ずしも個人攻撃ではないととらえていただきたいのですが、一般論として「○○はマスコミのせい」、という意見は稚拙だと思っています。というのも、マスコミュニケーションという手法は20世紀初頭に発明された古いもので、伝搬できる情報量には物理的限界(時間とか紙面とか)があります。現代は情報量が爆発的に増えており、それを要約するのも不可能なぐらいです。マスコミは故意に、あるいは未必の故意で問題を起こしているのではなく、枠組み自体の限界に達しているといえるでしょう。
もどって日中不仲の原因ですが、個人的には交流手段が確立していないからと言うことにつきるかと思います。文化も言語も政体も違う民族国家同士が交流するのはいつの時代も困難ですから。
>>日本では中国脅威論が優勢で、デモが行われたり、中国人観光客が襲われたり、一方中国の側も反日デモが激化したりしているようだ。L.starは基本的にグローバル主義者なので中国に関しては脅威論をそんなに支持していない(というか日本にとって本格的な脅威になる前に中国は崩壊するだろうと踏んでいる)が、ひとまず彼らが重大な脅威であるということを受け入れてみよう。
>>と冒頭に書いていますから。つまり、ここでは中国が脅威なのは仮定です。中国脅威論の話ではなく、中国脅威論と排外主義という、本来戦略的に両立しない両説を並べているネトウヨ等に対する批判なのです。
これは完全に見落としていました。申し訳ございません。
>> 私は“人間はまず豊かにならないと、他の事を考えられない”という持論を持っています。
>>それは必要条件ですが、十分条件ではありませんね。豊かになったからといってマナーが身につくとは限りません。
確かにこれは必要条件です。豊かさはマナーが身につくための土壌でしかありません。しかしながら、豊かになればマナー等の別の事に気が回る可能性は高いと思えます。
>>知っていますが、中国人のうち特定個人が信用できることと、中国人が信用できることと、中国の主権国家が信用できることもまた別物です。
例えば本文で「中国の脅威」を「中国政府の脅威」と読み替えるなら、中国政府包囲網には、おっしゃるような信頼できる中国人も加わってもらうべきでしょう。
中国人のうち特定個人が信用できることと、中国人が信用できることと、中国の主権国家が信用できることが別物であることは理解はしています。しかし、L.starさんが仰るような“信頼できる中国人”が増加することは“中国”という国が清浄化することに繋がるとも思うのです。そして“信頼できる中国人”が中国の大多数を占めるようになれば何も包囲する必要は無くるのではないでしょうか。
>>これは必ずしも個人攻撃ではないととらえていただきたいのですが、一般論として「○○はマスコミのせい」、という意見は稚拙だと思っています。というのも、マスコミュニケーションという手法は20世紀初頭に発明された古いもので、伝搬できる情報量には物理的限界(時間とか紙面とか)があります。現代は情報量が爆発的に増えており、それを要約するのも不可能なぐらいです。マスコミは故意に、あるいは未必の故意で問題を起こしているのではなく、枠組み自体の限界に達しているといえるでしょう。
>>もどって日中不仲の原因ですが、個人的には交流手段が確立していないからと言うことにつきるかと思います。文化も言語も政体も違う民族国家同士が交流するのはいつの時代も困難ですから。
深く関心させられる御意見です。確かにマスコミはその限界に達しているかと思います。L.starさんは不仲の原因を「交流手段が確立していないから」と分析していますが、この「交流」が広く知れ渡っていないのが現状です。日中の(文化的・政治的)交流は爆発的に増加してきていますし、これからも増加し続ける可能性は非常に高いです。問題はそれを発信する媒体が少なすぎることです(逆は多すぎるのに)。莫大な情報を自分で仕分け・要訳することが出来ない人間が少なからず存在する以上、どの国のマスコミも、もう少し客観的で平等な情報の発信を期待したいのです・・・。ただ、先に述べた「交流」が増えれば“時間”という長期療法が事態を改善させてくれるとも思っております(少々楽観的ですが)。
最後にL.starさんにお聞きしたいのですが、違う民族国家同士が交流していくためには何が必要で、何をすべきであると考えますか?
中国人のうち特定個人が信用できることと、中国人が信用できることと、中国の主権国家が信用できることが別物であることは理解はしています。しかし、L.starさんが仰るような“信頼できる中国人”が増加することは“中国”という国が清浄化することに繋がるとも思うのです。そして“信頼できる中国人”が中国の大多数を占めるようになれば何も包囲する必要は無くるのではないでしょうか。
そうかもしれませんが、そうならないかもしれません。例えばシステム設計がまずいために、個人そのものは完全に信頼できるのに、全体として全く信頼の置けなくなってしまうことがありえます。
もっとも中国の若いネット世代はかなり成熟してきています。あるいは彼らが中国をもっと変えてくれるかもしれませんね。
問題はそれを発信する媒体が少なすぎることです(逆は多すぎるのに)。莫大な情報を自分で仕分け・要訳することが出来ない人間が少なからず存在する以上、どの国のマスコミも、もう少し客観的で平等な情報の発信を期待したいのです・・・。
ここだけ切り出すとネトウヨと全く同じことを言っているようですね:) 大抵のネトウヨ等は、マスコミが中国の都合の良い情報しか流さず、都合の悪い情報を全く流さないと主張しています。
いったい客観的で平等とはなんでしょうか。
そもそもマスコミュニケーションはプロバガンダとして永らく用いられていたわけで、本当に客観的だったことなどあるのでしょうか・・・
最後にL.starさんにお聞きしたいのですが、違う民族国家同士が交流していくためには何が必要で、何をすべきであると考えますか?
簡潔に言うと、民族同士が共同体を構築することが出来なければなりません。例えば、日米欧が交流を密にするにあたっては、西側陣営の経済圏、という共同体がその役目を果たしました。
何をすべきかというと、その共同体の理念的な核になる「ネイション」を創造して共有しなければならない、ということになるでしょう。このブログのnationカテゴリあたりにそういう話がつらつらとあります。
申し訳ないです。
相変わらず、感心させられる御意見ありがとうございます。
>>そうかもしれませんが、そうならないかもしれません。例えばシステム設計がまずいために、個人そのものは完全に信頼できるのに、全体として全く信頼の置けなくなってしまうことがありえます。
もっとも中国の若いネット世代はかなり成熟してきています。あるいは彼らが中国をもっと変えてくれるかもしれませんね。
そうなるように願いたいものです。
そしてそうなるためには、日本人の方から出来ることを“考えていくこと”が重要であると思います。
>>ここだけ切り出すとネトウヨと全く同じことを言っているようですね:) 大抵のネトウヨ等は、マスコミが中国の都合の良い情報しか流さず、都合の悪い情報を全く流さないと主張しています。
いったい客観的で平等とはなんでしょうか。
>>そもそもマスコミュニケーションはプロバガンダとして永らく用いられていたわけで、本当に客観的だったことなどあるのでしょうか・・・
なるほど。
確かに絶対的に客観的な神様のような指標は存在しませんからね。
ネトウヨとベクトルが逆なだけで同じことを言ってしまいました。
(それでも、国内しか見えずに色々言ってる方達よりは客観的であると信じたい・・・)
そしてマスコミュニケーションが限界に達している以上、“情報を受け取る側”のレベル向上が必要になると思います。
莫大な情報を自分で取捨選択し、自分で考えることのできる人間を増やすことが必要なのですね。
>>簡潔に言うと、民族同士が共同体を構築することが出来なければなりません。例えば、日米欧が交流を密にするにあたっては、西側陣営の経済圏、という共同体がその役目を果たしました。
何をすべきかというと、その共同体の理念的な核になる「ネイション」を創造して共有しなければならない、ということになるでしょう。このブログのnationカテゴリあたりにそういう話がつらつらとあります。
とすれば、経済的な繋がりが急速に増加している日本と中国には共同体の「核らしきもの」が生まれつつあるように感じます。それをいかに大きくしていくかを考えていきたいです。
ところでL.starさんの過去の投稿から、日本にはどうしても排他的な一面を持つというご意見を見かけました。確かに日本人は、事あるごとに“自分が属していないグループ”でひとまとめにしがちであると感じます(精神病然り、オタク然り)。しかしこれは別に日本人に限った話ではなく、人間というものの本質であると考えていました。
そこでお聞きしたいのですが、L.starさんの在住しているオランダ、また欧州の別の国ではどうなのでしょうか。このような性質は小さいのでしょうか。
そうなるように願いたいものです。
まあそのためには日本からの努力だけではどうにもならない可能性は高いです。
個人的には、直近20年程度で中国が日本と仲良くできるほどの社会に変貌するのは、中国の規模とスピードを考えると無理ではないかと思っています。
変化に耐えられずに分解してしまうでしょう。
そしてマスコミュニケーションが限界に達している以上、“情報を受け取る側”のレベル向上が必要になると思います。
莫大な情報を自分で取捨選択し、自分で考えることのできる人間を増やすことが必要なのですね。
というかむしろ情報は口コミのようなP2Pベースに戻ると言うことです、ツイッターしかりSNSしかり。
その過程で個人のメディアリテラシーが向上するかどうかは微妙なところです。Googleがやっているように、アルゴリズムが情報選別役を果たすかも知れませんね。
まさに「絶対的に客観的な神様の存在」です。もっともアルゴリズムの弱点を突かれるまでの短い命の神ですが。
とすれば、経済的な繋がりが急速に増加している日本と中国には共同体の「核らしきもの」が生まれつつあるように感じます。それをいかに大きくしていくかを考えていきたいです。
経済的には核のようなものはできつつありますね、実際。ただそれがいかなる形に発展するかは今後見守る必要があるでしょう。
企業同士、個人同士は協力できても、国家同士はどうだろう?イデオロギー的には?とか
ところでL.starさんの過去の投稿から、日本にはどうしても排他的な一面を持つというご意見を見かけました。確かに日本人は、事あるごとに“自分が属していないグループ”でひとまとめにしがちであると感じます(精神病然り、オタク然り)。しかしこれは別に日本人に限った話ではなく、人間というものの本質であると考えていました。
そこでお聞きしたいのですが、L.starさんの在住しているオランダ、また欧州の別の国ではどうなのでしょうか。このような性質は小さいのでしょうか。
あらゆる共同体は、何かしらの排他的な一面を持つ、というのは本質的だと思いますが、どのように排他的かは共同体依存ですね。
欧州はもちろん田舎に行けば田舎の排他性がありますし、民族ごとの排他性もあります。民族問題はご存じの通り重要な問題です。
一方で、欧州で排他と逆の意味で開放的な場合は、なにがしかの原則論を持って行われることが多いかと思います。宗教しかり、論理しかりですが。
オランダにおける同性愛などに対する寛容も、そういうところからじゃないかと思っています。
排他的じゃないと言うより、如何に開放的に持って行くかという枠組みの形成がうまい。
一方日本はどうかというと、現状の経済影響力に比べて、日本人の考えられる世界のサイズがあまりにも小さすぎる、と言う問題を抱えているかと。
明文化されていない「空気」のおかげで、計測可能な優秀さよりも、空気を読める方が重視されてしまっていて、原則論も通用しない。
こういうところ「開放的になれない部分」は日本が直さなければいけないのではないでしょうかね。