@Sophie525さんから日本への移民は2010年時点では時期尚早で反応をいただいているが、その続編の日本が移民を受け入れられるようになるための条件と提案と併せて読んでいて、どうにも違和感がぬぐえなかった。基本的なことは殆ど同意がとれていて、内容にも異論がないというのに。たとえばここ。

僕は日本が移民を受け入れられる体制になるには、少なくとも以下の条件が満たされる必要があると考えています。
人生で1年以上外国で過ごしたことがある日本人が過半数になること

簡単に言うと「そんなことができるようになるなら、別に移民をわざわざ受け入れようという必要はないよね」と言いたくなるのである。個人的には過半数ではなく20%で十分だろうと思うが、数の問題とは思えない。Togetter - 「移民に賛成する二人が異なる視点から意見を交わす」を見ても同じ感想である。

考え抜いた結果、これは「目的と手段が逆なのだ」と言うことに気付いた。L.starは移民は手段だと考えている。元々達成すべきグローバル化と言う目的があって、その目的のための過程の中の(とても有望な)選択肢の一つと考えている。@Sophie525の論法は実は逆である。移民という目的があって、それを実現するためにはグローバル化の達成と言う手段を使いましょう、というものである。

違和感の正体はここで、例えばブレインストーミング的に「東京タワーに振りかけると日本をグローバル化する薬」という怪しいアイテムを仮定してみよう。Sophie525氏は「これを使えば移民を受け入れられます」と言うだろう。L.starは「これがあるなら移民など必要ない」という。

これはつまり「グローバル対応が先か、ローカル強化が先か」という、卵と鶏問題の亜流である。ここがかなり根の深い問題で、多くの対立を引き起こしている。実際には、「グローバルもローカルも強い日本」に反対している人は多くない(スーパーペシミストを中心に少なくもないのは泣ける)のだから差異が発生するのは、今の日本の弱さがどっちから来ているか、と言う分析結果にある。

グローバルもローカルも現在の組織を引っ張る両輪なのだから、最終的には両方とも強くならなければならない。それをローカルで行うのか、グローバルで行くのか、はたまた両方をどうバランスさせるのか。あるいはこっちはグローバル、あっちはローカルという分担になるかもしれない。

 

さてここからはL.star個人の分析を言わせてもらう。日本ローカルは弱くない。日本人は勤勉でタフ、今まで不戦敗状態だった中国に負けつつあるとはいえそれでも上位の経済力を誇る。政治についても、EU諸国を見ている方がよっぽど危なっかしいぐらいで、ベルルスコーニやサルコジではなく鳩山が総理であったことに感謝すべき、と思うぐらいだ。日本の弱さの多くは、ローカルではなく日本の非グローバルにある。

移民政策に、いやグローバルを先にするために必要な施策全般にはデメリットがあるという。それはその通り。でも、そのデメリットは、21世紀を生きる我々みんなが乗り越えなければいけない障壁だ。ものすごく極端に言うと、デメリットを見ること無しに本当の意味でのグローバルを知ることはできないし、そのメリットを得ることができない。

もちろん日本は全てのデメリットから逃げている訳じゃない。でも他の国だって同様に闘っている。試行錯誤で痛みを受けながら前進しようとしている。特にオランダはこういう戦いに関しては果敢で、その点は本当に敬服すべきだと思う。闘っているのは移民賛成の人たちだけじゃない。コーエンほどイスラムと向き合った政治家ももちろんだが、ウィルダースほど懸命にイスラムと闘う右翼も日本にはいやしない。その戦いの中にこそ、本当のグローバルというのがあるように思われる。

だからL.starは繰り返し言いたい。メリットを見つめ、デメリットをつぶす問題解決を繰り返すこと。それが日本がグローバルと向き合うのに必要なことだと。いや本当はローカルと向き合う時にも必要なことだ。グローバルと向き合うのは、何も移民問題だけじゃない。諸外国と、グローバル企業と向き合うのもそうである。

あるいはもう日本は先進国であり続けるのに疲れたのかもしれない、とも思う。向き合わずに痛みを避け続けていれば、いずれどっかの民族が痛み無しにグローバルを受け入れられる方法を発明してくれ、それを使ってグローバル化を成し遂げることはできよう。しかし、そのように進んだ国から技術をもらって生きる国を人は「後進国」と呼ぶ。そして、日本は明治元年から高度成長時代までの100年間、そんな道は一度も選ばなかった。

ここで@Sophie525のエントリのまとめに戻ると、

30年も待ってたらその前に日本が沈没しますよという意見もあるでしょう。日本経済の弱体化が加速して行けば行くほど、日本人は職を求めて海外に出ざるを得なくなってきます。つまり、日本経済の弱体化が加速して行けば行くほど、日本経済を強化できる移民政策の実現に近づくのです(すこし皮肉ですよね)。

個人的に彼の作戦が成功するとして前述の通り閾値の考えに差があるので、30年かかるとは思わない。しかし我々にはたぶん30年などと言う悠長な時間は残されていないだろう。ただし、日本経済の弱体化によって海外に出て行った人たちは、たぶんもう日本には戻ってこれない。なぜなら弱体化した日本経済にはもうそういう人たちを雇う余力が無くなってしまうからだ。

だからL.starは繰り返し言いたい。そうなる前に我々はグローバルと闘わなければ手遅れである。そのためにはメリットを見つめ、デメリットはつぶす問題解決を繰り返すこと。必要なら過去の自分たちとも決別できるだけの強い意志で。それが日本がグローバルと向き合うのに必要なことだ。いや本当はローカルと向き合う時にも必要なことだ。グローバルと向き合うのは、何も移民問題だけじゃない。諸外国と、グローバル企業と向き合うのもそうである。

グローバルと向き合って闘って勝利を得るか、はたまた勝負を投げて後進国として生きるか、そういう時代にいるのである。であれば誰かにケチをつけて溜飲を下げるのでなく、グローバルと、ローカルと、どうやって闘うかまずは真剣に議論したいものである。そういう意味では、今回の一連の移民政策議論は大変意義深かったと思うのである。

 

しかし、こういうとき、「グローバル」だの「ローカル」だの、と言う言葉が微妙に自分の意図している何かとずれていることがもどかしい。たぶん日本人が英語をしゃべらなければならない理由で使った、茂木健一郎さんの地域の固有性を守るためにも、グローバル化に関与しなければならない。にある「文化」と「文明」が一番近いのだろうが、その概念を、ローカル、グローバル、そしてそれらが混じり合って調和した理想的状態を示す単語がやはり必要になりそうだ。