いろいろ日本についてつらつら考えているけど、国際人たちに聞いてほしいこと。そして排外主義者の人たちにもっと聞いてほしいこと。でもやったとおり、結局日本人に足りないのは自信、とかそういう結論に落ち着きつつある。まず自信を持つためには自己暗示が必要なのだが、それが不足している。

やれ移民だのなんだの、と具体的に日本を強化するような政策アイデアはいろいろ出てきているから、それを実行すればいいのだ。どんな政策にもメリットとデメリットがある。とにかくメリットを重視してデメリットと戦い、もう駄目だと思ったらさっさとその政策は捨てる。

そういう果断さが求められているのだが、局所解にはまってしまっている日本にはそれができない。確かに日本は素晴らしい文化を持っていて安住できる地かもしれないが、そこから変われなければ沈むだけである。まあそんなことを言っても、みんな自信が無いから実行できない。これは政治家だけの問題じゃなくて、全員の問題だ。

たぶんそんな状態を脱するために必要だったのは、理論でもばらまきでも経済復興でもグローバリズムでもなく、自信の裏付けになるものなのだ。果たしてそんな都合の良い銀の弾丸があるのか、というとあるのである。イデオロギー、あるいは宗教。イデオロギーさえ確立されれば、あとのものは、経済も社会改革も自然とついてくるだろう。

イデオロギーが世界を席巻した例は何度もある。イスラム教やキリスト教は、いずれも世界的な役割を果たした。精神論とバカにする事なかれ。日本版シリコンバレーが成功しないたった一つの致命的な問題ではマクニールの独特の考察の話をしたが、彼は別に武器防具の話だけをしたのではない。宗教やイデオロギーも又、決定的なテクノロジーとして作用したと述べている。第一次世界大戦の集結を決定づけたのは、民族自決と共産主義の2つだったとまで言い切っている。

そんなことを「自信」と結びつけてエントリにしようと思ったのは最近ドイツのトリアーにいって、ローマ時代の遺跡とともにカール・マルクスの家にいってきたからなのだが、戦後という時代からの変化に戸惑っている今こそ、多数の迷える民衆の空白を埋めるイデオロギーの時代ではなかろうか。そして、イデオロギーを伝える役目としては、強力なコミュニケーションツールであるインターネットがある。

これは排外主義者としての「ネトウヨ」の成立過程を考えたときに興味深く思った点から来ている。彼らはネット上から自然発生し、判で押したように均質な発言ができる勢力を作り上げた。これは驚くべきことで、他の国では、排外主義にせよ宗教にせよ何にせよ、思想勢力が隆盛するにはそれを糾合できる指導層が不可欠である。ところがこのケースではそれがない。にもかかわらずある程度統率された行動力まで有しているのは驚く限りである。

実は黒幕が居るとか、未だ議席も持たないんだから隆盛の前段階に過ぎない、と言う可能性はある。でもネットによって新しい形のイデオロギーが発生しうることを示唆していると思うと興味深い。そうするともっと極端になると、例えばTwitterで運びうる140文字程度の計算され尽くした言葉が、Retweetによって伝搬して新しいイデオロギーの中心にさえなるのではないか、と思えるのである。

もちろんそうやって生み出されるのは殆どゴミなのだが、しかし人類の、あるいは地球の歴史などと言うのはそういうゴミのようなものまで含めての大量な挑戦の中から生み出されてきたのである。打率1厘なら大成功も良いところである。

そして、もしも本当にそんな言葉が現れるなら、それはもはや聖書やコーラン、「共産党宣言」に匹敵するような影響力を持つだろう。だから、以下のような特徴を備えているだろうと予言できる。

  • 個人の自信の礎になること。そのまま信じて実践することが、自分の成功の元であると確信できるようになること。
  • 現状と未来を説明できる。読んで「なるほど!」と思い、さらに「こうすべきである」という目標が明確になること。
  • 「中庸」を定義できること。「文化」と「文明」の関係にしろ、進歩のスピードにしろ、自分と個人の関係にしろ、極端にならず、現状の一番良い状態になるような形を説明できること。
  • より大きな「想像の共同体」を定義できること。多国籍企業の例などを見れば分かるが、もはや世界は国家の枠組みを超えたところで進行している。今の経済のありように合致した共同体を提案できること。
  • 悪者になるのができるだけすくないこと。以前の悪行はある程度リセットできること。「これから頑張ればまだ勝ち目はある」という思いを確認できること。

果たしてそこまで徹底的に研ぎ澄まされた内容を140文字にできるか?という問題はあるかもしれない。しかし思い返せば、かつての宗教とて、原理原則とて長い文章ではなく、民衆に記憶されたのは短いスローガンにすぎなかった。140字のスローガンなんて、長すぎるではないか。もちろんその言葉がスローガンにすぎないなら、その裏には膨大な思想が隠されているということでもある。

まあそういう意味ではタイトルは言い過ぎかもしれない。しかし、かつて出版が宗教革命に大きな役割を果たしたように、21世紀には21世紀のやり方で新しいイデオロギーが示されるのではないか、とは漠然と思う。その上でもしTwitterが有望な役目を果たすのなら、140字のスローガンが登場する、ということだ。

Twitterは200億tweetを達成したそうだが、逆に言うと200億回そういう試みがなされたとも言える。中にはどうしようもないのが99.99%だろうが、それでも200万は超えるのである。この100万回では効果が無かったが、次の1億回では何かそういう言葉が生まれないとも限らないのでは。そう考えると、今我々は本当に凄い時代に生きているのだな、ということを実感できるのではないだろうか。