L.star界隈のtwitterでこんな話題が。

私は日本人なのだが、たぶん一般的な日本人があまり好きではないのだ。私が抱えているもっとも大きな心理的問題は、民族同一性障害なのかもしれない。

元ネタになる一連のツイートは知的移民問題と絡めてである。L.starも昔やったことがあるが、これは結構荒れる。しんどい問題である。

民族同一性障害、というより、人は根本的に文化に対する接し方が異なる。だから民族に対するとらえ方より、民族と他文化と自分との関わりで類型化できるのではなかろうか。日本人が英語をしゃべらなければならない理由で語った文化=文明モデルを元に、国際人としての分類分けをしてみたい。

レベル0:自「文化」中心型

基本的に自「文化」を真ん中に据えて、他の文化の存在に否定的、あるいは好奇の目で見ているだけの人。世界に関する関心は薄く、ややもするとバカ世界地図に出場できる知識しか持っていなかったりする。しかし自「文化」についての関心は強く、総合的理解度も高く、その効能を強く信じている。しばしば情緒的である。というのもどの「文化」も歴史的地理的経緯から発生する非合理を抱えていて、それとうまく折り合わなければいけないからだ。

基本的に保守的であり、自「文化」を正しく守ろうと言う気概があり、それゆえに他の文化から学ばない。日本国内で日本語で生活していて、外国と交流していない人の大半はこのモデルではないかと思う。

なお、レベル0をこじらせると他文化を強く否定するようになり、立派な国粋主義者になれる。

レベル1:P2P型

自「文化」に加えて、他「文化」の存在を肯定的に認知している人。ただし、それは自「文化」vs「諸外国」という二元論で、通常「諸外国」といっても特定の1国程度で、主に特定の専門分野を通じて交流している。インターフェースそのものは狭いが、その内容は密で、両「文化」の架け橋になる存在である。2つあるどちらかの「文化」を軸足に持ち、他方の良いところを取り入れるのが基本になる。例えば「和風フレンチ」などは典型的な例といえよう。

以前日本人はどの程度英語をしゃべれるべきかにてレベル4の英語をしゃべる人は、と言ったことがあるが通例そういう人はこのレベル1である。

レベル1をこじらせた人は軸足を見失って外国かぶれになる。諸外国のありようが何でもよく見えてしまうわけだ。

レベル2:スター型

「文明」の持つ特性とその長短所を理解している「文明」人。この人たちにとっては自「文化」はたまたまよく知っているものであり、多数ある一つに過ぎない。大抵論理的である。というのもレベル0とは逆に、「文明」にはその成り立ちからも非合理があまりないため、情緒的な人から見ればあまりにも殺風景で、耐えられたものではない。

一見レベル1より良さそうに見えるが、結局「文明」というハブを通じてものを見ることになりがちなのと、多数「文化」を目にするために、一つから大きくは学べない。その代わりに、あらゆる「文化」の長所を組み合わせるようなダイナミックなこともできるのが特色である。近代日本は幕末の混乱の反動からここにうまくジャンプできた例かもしれない。陸軍をプロイセンに、海軍をイギリスに学ぼうなどと言うのは

レベル2をこじらせた人は、実は自分自身を見失って分裂したり迷走してしまう。レベル0,1にはあった軸になる文化が、ここではあまりにも希薄になってしまうからだ。それを防ぐためにも論理によって自分を正当化できることは重要である。

レベル3:真の国際人

レベル1も2も、実は国際的な文化交流のモデルとしては不完全で、完全になるためには両方について熟知する必要がある。

だからこそ「文明」と「文化」の両モデルを完全に理解して使いこなせるのが真の国際人である。ただ、これを今できる人は限られた天才だけだろう。例えば大好きなマクニール先生のような偉大な学者、政治家や芸術家はこのクラスを達成しているかもしれない。個人的には目指したいと思うが、自分自身のライフワークとしてならともかく、生きる武器としての国政制としてはいささかオーバーキルではなかろうか。

番外:世捨て人

そもそも交流を拒否する人。深い説明の必要はないだろう。

 

いかがだろうか。ただし、このレベル分けにしたところで、同じ人でも項目によって異なる、ということだ。例えばNetscapeのCTOだったマーク・アンドリーセンはプログラマーとして、あるいは起業家としてレベル2以上かもしれない。しかし彼は中国に出張してすらピザしか食わなかったと言う噂を聞いたことがあるので、それを真に受けるなら食文化的にはレベル0だったようだ。いやジャンクフード好きというのは立派な食文化レベル2なのかもしれないが。

あるいは逆に日本人がいくらレベル0が増えているといっても、ミシュランが驚愕する東京などをみれば、食に対する豊かさはレベル2であろう。

同じ項目に置いてすら複数のレベル分けが共存しうる。例えば一見伝統的に見える芸能ものが、実際には他文化の同等品を徹底的に研究し尽くしていたり、とかである。フランス料理は伝統料理かもしれないが、最前線のシェフはあらゆる料理食材を研究していることだろう。

最後に一番重要なのは、「文明」と「文化」は相互補完的であるからして、レベル3のような理想像を除けば、どのレベルが正しいというものはない、ということを肝に銘ずる必要がある。どのレベルも本来同じように重要であり、相応の敬意を持って迎えられるべきである。こじらせたやつはやっかいだが、しかしそれはレベルでも同じなのである。

言い換えると日本「文明」はレベル0,1,2「文化」の人たちで構成されているというのは言い過ぎだろうか。同じ構成員なのだから、お互い協力して強い日本をつくっていきたいものである。