いろいろと個人的に忙しかったりやる気が出なかったりで、一部予定している記事も遅れがちなのだが、気になった記事があったので。
英語は普段会社で使っているのもあり、L.starにとっても結構深刻な問題である。実際時々あやしかったり、切り替えに手間取ったりしつつもそれなりに頑張っていて、たいていの欧州人からは「日本人にしてはずいぶんできる」と評価してもらっている。ただその言葉のうちどれだけがお世辞かは知りたくもないが、まあ改良の努力はしている。ちなみに、オランダにいるがうちの部署は英語圏(not米語圏)出身者が多く、彼らのネイティブな「生きた」英語にはさんざん苦労させられる。
で、英語についてのいろんな「どこまでできるべきか」という議論だが、そもそも人によってまちまちなはずである、という基本的なスタンスが抜けてないだろうか。だから人によってどこまで要求されるか、をちゃんとクラス分けして議論すべきではないだろうか。と思ったので、個人的な見識にもとづいてクラス分けしてみた。
TOEIC900点、とまではいかないだろうが、日本では「ちょっと英語のできる」と見なされるレベル。はっきり言うと、中学校から高校前半で習う英語をきっちり身につければ、ここまで簡単にいく。外国で真剣に生活しない人でもこの程度は身につけられるが、その際に他の言語圏の人たちが苦労して覚えないといけない文法やアルファベットの違いとかがあるが、日本人は実はそういうことに悩まされることはほとんどない。ただ覚えていることに沿ってきちんと訓練するだけでこのレベルには到達できる。
個人的には日本の都市在住者や、外国人がやってくるような観光地在住者の殆どが今後身につける必要があるレベルである、と考えている。そうでなくても、頻繁に海外旅行に行くような人には要求されるだろう。大半のオランダ人は実はこのレベルで、ちょっとレベルの低いところに行くともう通用しない。
L.starが個人的に「インターナショナルビジネス語」(以下長いので国際語とする)と呼ぶ言語が基本的に習得できているレベル。国際企業で話されている英語というのは明らかにネイティブの英語とは違っていて、そこらのスペイン人やイタリア人のちょっと教育レベルの高い人なら話せるような英語のサブセットである。明確な定義など無いが、語彙も少ないし、文法もあまり複雑なものは出てこない。気の利いた表現も必要ない、ごくごく淡々としたものである。
でいうところの「通じる英語」とほぼ共通していると思われるこの言語は、単なる意志コミュニケーションの手段であり、なんら情緒的なものは含まない。コンピューター業界なんかでは、会話はともかくドキュメントの読みとかでこのクラスが要求されるので、案外基礎としてできている人は多い。後はそれを実践して磨くのみだ。
「ビジネス英語」とも呼ばれているのだと思うが、ビジネス英語クラスで学ぶのはもうちょっと丁寧なレベルが高い英語のように思った。そういうのは付加価値であり、やはりレベルの高い英語ができる人は高い職掌につく率も多い。もちろんそれは、そういう勉強をきちんとしている証拠である。
聞いた話だが、欧州のエグゼクティブクラスになるような人は、徹底的な発音矯正をして、BBCで話されるようなきれいな英語(いわゆる標準の英語)を身につけるという。これなど、完全な国際語である。
専門知識に限らず、ニュースサイトなどを読んで細かい部分まである程度理解でき、知性の高い人たちと難しい議論ができたりできる程度を指す。「TOEFLできないと話にならない」などと言う主張や、L.starが頑張って目指しているのもこれである。多くの長期海外在住者はこのレベルにあるだろうし、そうでないと相当大変だろう。ジョークに反応できる必要はあると思うが、気の利いたジョークを連発できるようなレベルである必要はない。
ここまで行けば、たとえ日本語訛りであろうとも国際社会ではまず通用する。相当のレベルでもない限り、あるいは英米人でない限り、どうせ相手も訛っているのだ。気にしてはいけない。
これ以上の説明は必要ないだろう、死ぬほど英語を勉強してきたから分かる、英語学習の限界の増田が目指して失敗したところである。通常このクラスに行き着く日本人は海外育ちのバイリンガルか、死ぬほど努力したかどちらかだろう。
実は、ぶっちゃけこんなのが必要とされるのは英語圏の国のローカルなところだけである。なぜならそのようなところでは高度な英語スキルと人間としてのレベルの高さが比例すると仮定でき、実際その仮定が信用されるからだ。だからこのレベルは、英国か米国で地元民に混じって活躍したいなら必須である。しかし日本で、あるいは多国籍企業では、ここまでのレベルはオーバーキルである。だから、このようなレベルの必要性についての論説は、例外なく英語圏に住んでいる人から出てくる。
逆に日本語で考えてみると良い。東京のような都市で生活するならたどたどしい日本語を使いつつ生活することも可能だろう。その上で都市生活者は比較的外国人になれているから「あいつは日本語の分からないから馬鹿だ」と仮定することは少ない。しかしこれが田舎に住んでみたらどうだろう。外国人慣れしていない田舎の人たちには、そういう人をうまく扱うのは難しかろう。
だから、ネイティブなみの英語というのは、実は国際社会に対応するためのレベルではない。むしろ英語社会ローカルに溶け込むために必要なレベルなのだ。
さて分けられるとしてこのくらいだろうか。もちろんどのレベルの話者も日本にとって重要であるが、とりわけ観光や文化交流のために必要なレベル1,あるいは基本的なビジネス関係の構築のために必要なレベル2の話者の数を増やすことが急務だろうと思われる。その上は大して必要としない。おおざっぱに言うと、レベル1:2:3:4=1000:100:10:1程度の割合で良いだろうとすら考える。
米国在住経験はないので聞きかじりになるのだが、欧州での英語経験が米国に比べてユニークなのは、実際に英国人によるネイティブ英語と、ドイツ人やフランス人などがしゃべる国際語が入り交じる職場を体験できる確率が高いというのがある。するとどうしても、この2つは別の言語だと気づかざるを得ないのだ。だから、増田の人の文章の以下の部分が全体としてのすれ違いの全てを表しているのではないだろうか。
問題は以下のように、「英語」という単語をうまく補完すれば自明のはずなのである。
そう、日本人はネイティブ英語ができないことを前提にして、国際語としての英語を使うことに集中しないと駄目だと言うことだ。それは他の人も示しているとおりである。お互いに全く矛盾しない。
英語には2種類ある。一つは英語圏の母語としてのネイティブ英語。もう一つはインターナショナルビジネス語としての英語である。まずはそこを区別するところからはじめてはいかがだろうか。
必要なのは「共通語としての英語
英語は普段会社で使っているのもあり、L.starにとっても結構深刻な問題である。実際時々あやしかったり、切り替えに手間取ったりしつつもそれなりに頑張っていて、たいていの欧州人からは「日本人にしてはずいぶんできる」と評価してもらっている。ただその言葉のうちどれだけがお世辞かは知りたくもないが、まあ改良の努力はしている。ちなみに、オランダにいるがうちの部署は英語圏(not米語圏)出身者が多く、彼らのネイティブな「生きた」英語にはさんざん苦労させられる。
で、英語についてのいろんな「どこまでできるべきか」という議論だが、そもそも人によってまちまちなはずである、という基本的なスタンスが抜けてないだろうか。だから人によってどこまで要求されるか、をちゃんとクラス分けして議論すべきではないだろうか。と思ったので、個人的な見識にもとづいてクラス分けしてみた。
レベル1:天気・買い物・道案内など日常的な基本会話ができる
TOEIC900点、とまではいかないだろうが、日本では「ちょっと英語のできる」と見なされるレベル。はっきり言うと、中学校から高校前半で習う英語をきっちり身につければ、ここまで簡単にいく。外国で真剣に生活しない人でもこの程度は身につけられるが、その際に他の言語圏の人たちが苦労して覚えないといけない文法やアルファベットの違いとかがあるが、日本人は実はそういうことに悩まされることはほとんどない。ただ覚えていることに沿ってきちんと訓練するだけでこのレベルには到達できる。
個人的には日本の都市在住者や、外国人がやってくるような観光地在住者の殆どが今後身につける必要があるレベルである、と考えている。そうでなくても、頻繁に海外旅行に行くような人には要求されるだろう。大半のオランダ人は実はこのレベルで、ちょっとレベルの低いところに行くともう通用しない。
レベル2:自分の仕事や専門分野の読み書き会話程度ならこなせる。
L.starが個人的に「インターナショナルビジネス語」(以下長いので国際語とする)と呼ぶ言語が基本的に習得できているレベル。国際企業で話されている英語というのは明らかにネイティブの英語とは違っていて、そこらのスペイン人やイタリア人のちょっと教育レベルの高い人なら話せるような英語のサブセットである。明確な定義など無いが、語彙も少ないし、文法もあまり複雑なものは出てこない。気の利いた表現も必要ない、ごくごく淡々としたものである。
「通じる英語」でいいんですよ
でいうところの「通じる英語」とほぼ共通していると思われるこの言語は、単なる意志コミュニケーションの手段であり、なんら情緒的なものは含まない。コンピューター業界なんかでは、会話はともかくドキュメントの読みとかでこのクラスが要求されるので、案外基礎としてできている人は多い。後はそれを実践して磨くのみだ。
「ビジネス英語」とも呼ばれているのだと思うが、ビジネス英語クラスで学ぶのはもうちょっと丁寧なレベルが高い英語のように思った。そういうのは付加価値であり、やはりレベルの高い英語ができる人は高い職掌につく率も多い。もちろんそれは、そういう勉強をきちんとしている証拠である。
聞いた話だが、欧州のエグゼクティブクラスになるような人は、徹底的な発音矯正をして、BBCで話されるようなきれいな英語(いわゆる標準の英語)を身につけるという。これなど、完全な国際語である。
レベル3:英語で閉じた世界で生活が出来る。
専門知識に限らず、ニュースサイトなどを読んで細かい部分まである程度理解でき、知性の高い人たちと難しい議論ができたりできる程度を指す。「TOEFLできないと話にならない」などと言う主張や、L.starが頑張って目指しているのもこれである。多くの長期海外在住者はこのレベルにあるだろうし、そうでないと相当大変だろう。ジョークに反応できる必要はあると思うが、気の利いたジョークを連発できるようなレベルである必要はない。
ここまで行けば、たとえ日本語訛りであろうとも国際社会ではまず通用する。相当のレベルでもない限り、あるいは英米人でない限り、どうせ相手も訛っているのだ。気にしてはいけない。
レベル4:ネイティブに遜色ない、あるいはそれ以上の英語を流暢に話す。
これ以上の説明は必要ないだろう、死ぬほど英語を勉強してきたから分かる、英語学習の限界の増田が目指して失敗したところである。通常このクラスに行き着く日本人は海外育ちのバイリンガルか、死ぬほど努力したかどちらかだろう。
実は、ぶっちゃけこんなのが必要とされるのは英語圏の国のローカルなところだけである。なぜならそのようなところでは高度な英語スキルと人間としてのレベルの高さが比例すると仮定でき、実際その仮定が信用されるからだ。だからこのレベルは、英国か米国で地元民に混じって活躍したいなら必須である。しかし日本で、あるいは多国籍企業では、ここまでのレベルはオーバーキルである。だから、このようなレベルの必要性についての論説は、例外なく英語圏に住んでいる人から出てくる。
逆に日本語で考えてみると良い。東京のような都市で生活するならたどたどしい日本語を使いつつ生活することも可能だろう。その上で都市生活者は比較的外国人になれているから「あいつは日本語の分からないから馬鹿だ」と仮定することは少ない。しかしこれが田舎に住んでみたらどうだろう。外国人慣れしていない田舎の人たちには、そういう人をうまく扱うのは難しかろう。
だから、ネイティブなみの英語というのは、実は国際社会に対応するためのレベルではない。むしろ英語社会ローカルに溶け込むために必要なレベルなのだ。
さて分けられるとしてこのくらいだろうか。もちろんどのレベルの話者も日本にとって重要であるが、とりわけ観光や文化交流のために必要なレベル1,あるいは基本的なビジネス関係の構築のために必要なレベル2の話者の数を増やすことが急務だろうと思われる。その上は大して必要としない。おおざっぱに言うと、レベル1:2:3:4=1000:100:10:1程度の割合で良いだろうとすら考える。
米国在住経験はないので聞きかじりになるのだが、欧州での英語経験が米国に比べてユニークなのは、実際に英国人によるネイティブ英語と、ドイツ人やフランス人などがしゃべる国際語が入り交じる職場を体験できる確率が高いというのがある。するとどうしても、この2つは別の言語だと気づかざるを得ないのだ。だから、増田の人の文章の以下の部分が全体としてのすれ違いの全てを表しているのではないだろうか。
...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人は英語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人は英語ができないことを前提にして、それを補うシステムを設計しないと生き残れない」ということになるね。
問題は以下のように、「英語」という単語をうまく補完すれば自明のはずなのである。
...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人は国際語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人はネイティブ英語ができないことを前提にして、それを補うシステムを設計しないと生き残れない」ということになるね。
そう、日本人はネイティブ英語ができないことを前提にして、国際語としての英語を使うことに集中しないと駄目だと言うことだ。それは他の人も示しているとおりである。お互いに全く矛盾しない。
英語には2種類ある。一つは英語圏の母語としてのネイティブ英語。もう一つはインターナショナルビジネス語としての英語である。まずはそこを区別するところからはじめてはいかがだろうか。
コメント
コメント一覧 (22)
タマタマ入った城の観光案内が英語でなく現地語だけだったのでつくづく往生しましたが、どうもどうやら地元の言葉でなければ伝わらないニュアンスがある。???らしい?
オランダ・ベルギーでもそうですよ。そもそもしゃべるのがぺらぺらとはいえ、英語コンテンツを用意するのはそれなりに労力ですから。英語版をきっちり用意できるのはやはりメジャーな観光地だけです。そもそも英語は各国語の代用にはなりません。同じゲルマン語族内ですら。
私は頭が悪くて、ネオティブはとっくに諦め
大学職員さんが頭が悪いか、英語の実力がどうなのかはもちろん知りませんが、頭が悪いのとネイティブ並みなのは関係ないでしょう。
英語なんて単なる訓練の産物じゃないですか。そういう不要な劣等感こそ「日本人はもっと英語をしゃべれるべきだ」派の人が批判しているわけで。
かえすがえす真摯なこのページには敬服しています
ありがとうございます。
ただ残念にも、頭の悪い私には構造が分かりにくになりまいたね、どこにいけば理論を聴けるんでしょう
すいませんが、どのあたりがわかりにくいんでしょうか。この文章はリンクされているようなエントリでの議論をそれなりによく筋道立ててまとめたつもりで、実際そのように評価いただいているので、改善点があるならお聞きしたいです。
スエーデンだろうとノルウエイだろうと、戦争とタイミングの一瞬で国境が決まるので、つくづく国境は意味がなさそうですが、言葉だけは違います。
タマタマ入った城の観光案内が英語でなく現地語だけだったのでつくづく往生しましたが、どうもどうやら地元の言葉でなければ伝わらないニュアンスがある。???らしい?・・・どうも考察するに、英語はぺらぺらなのに、あえて不利な(特に観光では不利な)自国語に固執している節が感じされるわけです。なぜでしょう。
現地語でないと伝えられない思いが感じられるわけですね。
特に被占領国の経験がある場所柄では。
意味不明の考察を進めてすみません
何が言いたいかと言うと、理系では論理の展開が本質で、論文は英語で書かなくてはならないにせよ、その前提として日本語での論理能力の鍛え方が前提と言うことです。理論的に正しく科学的ノイエスがあれば、英語ネイティブの研究者でも必ずがんばって聞きとろうとしてくれます。でなければ自分が不利になりますから
>もう一つはインターナショナルビジネス語としての英語である。まずはそこを区別するところからはじめてはいかがだろうか。
と、言う意見に賛成したくて筆を執りました
私は頭が悪くて、ネオティブはとっくに諦め、それでも聴いてくれるる論構築のみに集中しています。(それで学会で批判されてもいます。誰かは泥をかぶる必要があるので)
かえすがえす真摯なこのページには敬服しています
がんばってください。
そしてついでにもう一つ。
やはリ民主みたいな粗忽で急ぎすぎで何も考えてない外国人参政権には反対です。
日本人はまず、自信の文化的背景のもとに論理体型を集積して世界に打って出る時期に入りつつあると思われます。まずは日本語の理的理論体型を確立し、世界がサイトできるロジックを確立し、その上でゆっくり研究者を招くのは戦略としてベストに思えます。
まあ、その時期の理論はいくらもあるでしょうが
以上まだ言いたいことはありますが、労作に敬意を表してここで閉じます。ただ残念にも、頭の悪い私には構造が分かりにくになりまいたね、どこにいけば理論を聴けるんでしょう
I am a Japanese expatriate living in Antwerp and Cambridge after I lived in Canada and USA more than ten years. I was really surprised that people here do not speak much English or their English is much worse than I expected. Actually a Swedish friend warned me that people speak "strange" English in Europe. He had lived in the US for 16 years and when he went back to Sweden, not many people understood his English so he had to speak slower and learn "proper Swedish-English".
One of the reasons Belgians are not good at English despite its linguistic similarity to English is that they only start to learn English at 15-16 in school because they learn both French and Dutch. Another reason may be that many people really do not take English seriously and have contempt toward UK and USA. They fully think they know enough English, though many of them speak and write eccentric English.
Belgian themselves are well aware of their English limitation as well, though they probably do not care much. During our meeting, a PI brought up this communication issue. He suggested that Belgians should speak more English. But one man told that it will cause more troubles if Belgians try to speak English more frequently. One occasion during a break people switched Dutch to English, then a very lively conversation just dropped dead instantaneously, he said.
If people live, study and/or work in an Anglophone country whose official language is English more than 5-10 years at a highly competitive level, then any people should attain the English level that is functional in any occasion in their profession. Many Japanese may assume people in Sweden, Belgium or Holland have a fabulous English skill. But I do not think so. If people live in Belgium for 10 years, then their English skill will for sure deteriorate or it will reach the level of Belgian; that may not be bad for normal Japanese but that is horrible to the people once lived in an Anglophone country. Of course your Dutch or French will improve.
Any case, any language is just a language and there are more critical skills to learn to be successful in a career.
Thanks so much for your very impressive comment. However Belgian is a very special case even in Europe because most of European country have only one official language. For instance many Dutch can speak "Dutch-English" very well. I know some Flemish but they cannot speak English very much like Dutch.
> Any case, any language is just a language and there are more critical skills to learn to be successful in a career.
That could be true if it is not a bottleneck. But I think it is.
I think so.
When I was student, friends from French or Germany always talked to me that their pride were too high too learn English.
>すいませんが、どのあたりがわかりにくいんでしょうか。この文章はリンクされているようなエントリでの議論をそれなりによく筋道立ててまとめたつもりで、実際そのように評価いただいているので、改善点があるならお聞きしたいです。
ありがとうございます
http://www.nonsensecorner.com/wp25/?p=4304
の意見は、なるほどと思ったのですが
皆さんのレプライを読もうとすると、ツイッターのようなものしか見えないので
わたしが間違ってるんでしょうか?
ツイッターでも良いけど、意見を読んでいる甲斐がない。
皆さんのレプライを読もうとすると、ツイッターのようなものしか見えないので
わたしが間違ってるんでしょうか?
そのエントリでは誰からもコメントをいただいていません。最近はコメント欄よりtwitterやトラックバックの方が有意義なコメントをいただくケースが多いですね・・・
一つだけあるコメントはtopsyというtwitter検索サイトが勝手に送ってくる機械生成のコメントです。まあtwitterのようなものといっていいです。
ですのでその状態で間違いはないです。
The coach of the number 16th team should not claim "日本人の魂を持って戦ってくれた". --- They truly fought through games with Japanese soul and spirit.
If this was an Olympic game, say a figure skating, and a Japanese skater got the 16th in the competition, not many people would be impressed. A skater would have said that she did not performed her best and would not be happy for her performance. Same is true in science. Are we going to be very proud of making a supercomputer that ranks in the 16th?
Paraguay is a county with the population of 6.3 millions, less than that of Aichi prefecture. Its per capita income is $4700 and it ranks the second poorest country in south America. Its capital Asuncion, one of the least known capitals in the world has just over a half million people. Why should this Japanese coach be cheering himself up with the result against this tiny nation? That is a mystery. We should probably praise the spirit of Paraguayan players not Japanese if all things are properly considered. It just kept screwing up games before the cup. The soccer team seemed to have done well but it looks really good since few expected anything from them before the tournament.
The coach of the number 16th team should not claim “日本人の魂を持って戦ってくれた”. — They truly fought through games with Japanese soul and spirit.
In my opinion, they should. The importance of these Olympiads is not so much to win as to take part.
I understand what you mean. I know that we Japanese behave like you described. But we are wrong. We should be proud of every excellent challenge. Order? It doesn't matter.
Of course we should be more serious to achieve higher. However it is an another story.
ただ英語の勉強以上に重要なものは、聴衆が関心を持つような話す中身=自分の考えを持てるようになることです。この部分の訓練が英語以上に日本の教育で欠けています。
話す中身を持っていない場合、英語が下手であれば周囲の人は、日本から来たのだからきっと良い考えを持っているだろうに、英語がうまくないためにうまく伝えられないのだろうと推測してもらえますが、下手に英語ができると、逆になんの考えもないことが周囲にばれてしまいます。
高校時代に米国に留学していて流暢に英語で話せるけれど日本の歴史を全く知らない若者よりも、ブロークンな日本語なまりの英語で訥々と自らの経験を話す老人の方が外国人に尊敬されるシーンを何度も目撃しています。
コメントわざわざありがとうございます。ただ、いただいたコメントと本文との関係がきわめて薄く、正直大変困惑しています。
なにがしか主張されたいことは分かりましたが、ここで語らずともご自身のブログあるいはもっと「英語はネイティブ並みでなければ駄目」と主張するブログのコメントとされた方が良いのではないでしょうか。
ただ英語の勉強以上に重要なものは、聴衆が関心を持つような話す中身=自分の考えを持てるようになることです。この部分の訓練が英語以上に日本の教育で欠けています。
そうでしょうか?何を持って「日本人が自分の考えを持てていない」と考えるのかがまずわかりません。確かに中身のない人が多いのかもしれませんが、個人的な経験から見て、多くの欧米人も日本人と同等かそれ以上に中身がありません。
それに本文では「このくらいの人に対してこのくらい」と論じているのであって、そのバランスを逸脱して教育をしろとも言っていません。それに
高校時代に米国に留学していて流暢に英語で話せるけれど日本の歴史を全く知らない若者よりも、ブロークンな日本語なまりの英語で訥々と自らの経験を話す老人の方が外国人に尊敬されるシーンを何度も目撃しています。
ネイティブクラスが必要なのはごく一部、そしてブロークンでもとにかく通じればいいよ、というのはここでの主張と一致しています。
I understand the point but I have to say rarely people ask me about Japanese history. Also they do not care much about Japanese culture in real work places. In science and engineering work places, people will judge Japanese based on the knowledge and skill related to their profession not on the knowledge of Japanese history or culture. Professional skill can easily overcome the insufficient English as long as one can perform given tasks well. Japanese need to know more about Japanese related subjects if a job requires such a knowledge. Otherwise, a Japanese will be fired even before he can talk about his favorite Oda Nobunaga, Hikaru Genji or beautiful cheery blossom. Knowing about Japan is good but it is secondary for many professions.
2.私の考えは、大学職員さんの「理系では論理の展開が本質で、論文は英語で書かなくてはならないにせよ、その前提として日本語での論理能力の鍛え方が前提と言うことです。」やPicoさんの「Any case, any language is just a language and there are more critical skills to learn to be successful in a career.」と同じで、「語る技術」である英語もさることながら「語る中身」を持つことがもっと大切ということです。人により必要な英語のレベルに差があるというL.starさんの考えに反対しているわけではありません。
3.意見は、個人的経験に基づくものである以上、個人的な経験が異なることによって議論がかみ合わない部分や誤解が生じるのはやむを得ないかと思います。私の場合は、米国での駐在員生活や国際会議に出席した時の経験、アジアをはじめとした開発途上国の政府職員との議論の経験を基にしていますので、欧州での企業や国際機関等での勤務経験を基にされている方とは、意見が異なるようにも聞こえますが、実際のところ、差はないと思います。
4.「日本の歴史」と書いたのは、国際会議の場や多くの留学生が集まった席での議論などでは、日本人ならばどのように考えるかとの観点から発言を求められる場合も多いことから、日本人としてのアイデンティティがしっかりした人ほど、その場の議論に貢献できる、すなわち国際的に通用する”国際人”になる資格を有していることを述べたかったからです。(しかし、このことは、国籍に関係なく、一人の個人として、能力で他の外国人社員と対等に競争している日本人について該当するものでないことは承知しています。)
5.インターネットが発達しグローバル化した今日においては英語ができることは、日本に居ながらにして世界の情報や人とのつながりを得ることを可能にします。その意味では、レベルを問わず、多くの日本人に道具としての英語をフルに活用してもらいたいと願っています。
お返事ありがとうございます。ようやくそこにあった違和感が理解できました。
いずれにしても語る中身は重要なことは論を待ちません。が、
日本人ならばどのように考えるかとの観点から発言を求められる場合も多いことから、日本人としてのアイデンティティがしっかりした人ほど、その場の議論に貢献できる、すなわち国際的に通用する”国際人”になる資格を有していることを述べたかったからです。
なるほど、ここが最大の違いのようです。確かにおっしゃるようなありようは理想像の「一つ」といえます。しかし「全部」ではありません。
ここでもう一つの国際人像を提示したいと思います。それは「中身はさておき英語を覚え、それで外国文化について多数学び、それによって何かを得て日本に持ち帰ってくる人」というものです。
国際人とは日本から世界へ発信するだけではありません。世界から日本へ受信することも国際人の仕事ではないでしょうか。文化とは双方向的なものです。
ですから「中身は大事」というのは賛成ですが、「まず中身」という考え方には反対です。
私の場合は、米国での駐在員生活や国際会議に出席した時の経験、アジアをはじめとした開発途上国の政府職員との議論の経験を基にしていますので、欧州での企業や国際機関等での勤務経験を基にされている方とは、意見が異なるようにも聞こえますが、実際のところ、差はないと思います。
米国と欧州にはエントリで語ったようなもの(英語ができる人のレベル差など)はありますが、おっしゃるとおり基本的にはあまり差はないと思います。
しかし、企業関係者、あるいは研究者とは違う経験をしている外国在住者がたくさんいるのも事実です。
例えば欧米由来の技術(西洋芸術など)を学びに来ている人たちはどうでしょうか。外国人の夫を持つ専業主婦などはどうでしょうか。
多くの日本人に道具としての英語をフルに活用してもらいたいと願っています。
全くです。
でんでんダメな方向かも知れません
この
>ここでもう一つの国際人像を提示したいと思います。
どうやらそれは間違っていそうです
>それは「中身はさておき英語を覚え、それで外国文化について多数学び、それによって何かを得て日本に持ち帰ってくる人」というものです。国際人とは日本から世界へ発信するだけではありません。世界から日本へ受信することも国際人の仕事ではないでしょうか。文化とは双方向的なものです。ですから「中身は大事」というのは賛成ですが、「まず中身」という考え方には反対です。
歴史を紐解けば、「私がここで一日休めば、日本の国が一日遅れる。」と、必死でがんばった学者たちがいました。もしかすれば明日にも滅びるかもしれない日本という故国を背負って必死でがんばったんでしょう。その成果で明治日本に多大な貢献をなした先輩たちの歴史をわたしたちは学びます。
見上げるべき、美しい日本人だったんだろうと、素直に思います。
しかし!・・・です。時代は反転しました。
いま、海外で学んできて、帰ってきた非常識留学生が,俺が日本で教えてやるから、いますぐ出世させろ!。金よこせ、場所よこせ、部下よこせ。と、いう、破廉恥研究者の暴若無人の非常識振りを、いま、私たち大学職員が目の当たりにして困惑していることを、普通の人はあまり知らないと思います。
Lstarさん、古いです。・・・話にならないほど。
はっきり言って、とても見苦しい、洋行帰りの研究者たちが
アメリカではこう
ヨーロッパではこう、
無知な日本人に、俺様が教えてあげるという態度で
とてつもなく、学会でど顰蹙を勝っているのがほとんどなんですな
これは、もちろんLstarさんの話に出る方の本質的な問題ではなく、
これらの留学生帰りがタマタマ品性下劣だっただけだと思いますが
人数比として考えると、留学生帰りには
あまりに多く見える人格破綻者です。
つまり、Lstarさんの言う国際人が、その定義としてしまえば
あまりに多くの、人間失格の人格破綻者を
含有してしまうということは、声を上げてお話したい。
と、言うか、
人間にも失格のようなバカを「国際人」と呼んでいいの?
それは、「国際」より「人」そもそも言葉の定義としてダメでしょう
「人」と呼ぶのに気が引ける精神化状態の先生もほいほい来ますから
審査は大変です
日本の学会出入り禁止とか、ホントにひどいのいますよ。
>私の場合は、米国での駐在員生活や国際会議に出席した時の経験、アジアをはじめとした開発途上国の政府職員との議論の経験を基にしていますので、欧州での企業や国際機関等での勤務経験を基にされている方とは、意見が異なるようにも聞こえますが、実際のところ、差はないと思います。
実際のところ、話にならないくらい差があるかと思います
たぶん、学会と勤務では大きな違いがあるんでしょうね
>米国と欧州にはエントリで語ったようなもの(英語ができる人のレベル差など)はありますが、おっしゃるとおり基本的にはあまり差はないと思います。しかし、企業関係者、あるいは研究者とは違う経験をしている外国在住者がたくさんいるのも事実です。
例えば欧米由来の技術(西洋芸術など)を学びに来ている人たちはどうでしょうか。外国人の夫を持つ専業主婦などはどうでしょうか。
多くの日本人に道具としての英語をフルに活用してもらいたいと願っています。
全くです。
それはそのとおり、子供たちには国際人になってほしいし、
でも・・・
日本に帰ってきて、「あのバカは」と、言われる欧米かぶれになってほしくない
もう私の歳しか知らないでしょうが、まあ笑い話ですが
むかし漫画のおそまつ君で
おフランス帰りの「イヤミ」ってのがキャラクターであったんですが
いまのフランスとか、アメリカでは、とか言ってる評論家は、イヤミの知ったかぶりにしか見えませんな。
中にはいい人がいるのは分かります
でも、とてもじゃないけど、洋行帰りを採用する気にはなりません今日このごろです。
昔はひどかったでしょうが、
今の日本の大学、ホントに自由があっていいですよ。
海外いい行ききゃいつでも・・・あまり生きたがらないみたいですが、・・・日本のほうは言葉損しても安全で済みよいもんなあ
なんだろう、この文章はどう見ても婉曲に、L.starとその海外在住者の友人で西洋からものを学ぼうと頑張っている人たちを、人間失格の人格破綻者の西洋かぶれとののしり、お前なんぞ採用するか!と具体的な危害をほのめかしていると読まれて仕方がない代物です。しかし、読んでも哀れみしか浮かびません。いったいこの人はここまで徹底的に相手を攻撃してまで何を守りたいのだろうか、と。誰を相手に戦っているのだろうかと。
つまり、Lstarさんの言う国際人が、その定義としてしまえば
あまりに多くの、人間失格の人格破綻者を
含有してしまうということは、声を上げてお話したい。
定義?どっから定義などという言葉が出てくるのですか。こちらが提示したのは一つの「像」です。
もう一度適用範囲を引用しましょう。
確かにおっしゃるようなありようは理想像の「一つ」といえます。しかし「全部」ではありません。
ここでもう一つの国際人像を提示したいと思います。
つまり「国際人」と呼ばれる人の中にはそういう人「も」いるということです。ここからどうやれば「定義」になるんですかね。
まあその根本からして話がずれているので後は無意味と思うのですが・・・
いま、海外で学んできて、帰ってきた非常識留学生が,俺が日本で教えてやるから、いますぐ出世させろ!。金よこせ、場所よこせ、部下よこせ。と、いう、破廉恥研究者の暴若無人の非常識振りを、いま、私たち大学職員が目の当たりにして困惑していることを、普通の人はあまり知らないと思います。
Lstarさん、古いです。・・・話にならないほど。
まあいることは予想に難くありませんし、見たことすらありますね。なにしろスタージョンの法則によればSFファンを含めあらゆるものの90%がクズです。
しかし読む限り、お互いの文化の違いを飲み込めず、相手を一方的になじっているだけのようにも見えますねぇ。どっちが問題か、というのは難しい話ですが。
でも、とてもじゃないけど、洋行帰りを採用する気にはなりません今日このごろです。
とまで言ってしまえばもはや差別そのものじゃないですか。
日本での研究を望みながらポジションがないために帰れない研究者の友人が居ますが、こんな文章を見たらさぞかし残念に思うでしょうね・・・
これは、もちろんLstarさんの話に出る方の本質的な問題ではなく、
たぶん、学会と勤務では大きな違いがあるんでしょうね
上記の通り、大学職員さんがみたのはあくまで特殊な例である、というと言っておきながら
>ここでもう一つの国際人像を提示したいと思います。
どうやらそれは間違っていそうです
その一部の例だけでここまで言えるところが素晴らしいですね・・・まあ最初に言ったとおり、基礎の基礎で間違っているのですが。
むかし漫画のおそまつ君で
おフランス帰りの「イヤミ」ってのがキャラクターであったんですが
赤塚不二夫は西洋かぶれとそれに対する反発をイヤミを使って見事に笑いに昇華しましたが、大学職員さんは昇華した笑いを差別に戻してしまうのですね・・・
なんだろう、この文章はどう見ても婉曲に、L.starとその海外在住者の友人で西洋からものを学ぼうと頑張っている人たちを、人間失格の人格破綻者の西洋かぶれとののしり、お前なんぞ採用するか!と具体的な危害をほのめかしていると読まれて仕方がない代物です。
謝ります。
そうではありません
でも、中には、やはりおフランスを鼻にかける研究者はいます。
引退した後も、ヒマなので僕のところへ振ってきて
ドイツではこう、クリーブランドはこう、お前は何やってる。の粘着で大変です。うちだけでなくその先生は随所で嫌われています。聴くだけ時間の無駄ですので、迷惑してるのは僕らのラボだけじゃないみたいなんですけどね。
さっきのレプライ書いたときは、さんざん言われた直後で、酒も入りちょっと切れてました。ごめんなさい。
うちだって
優秀真面目な留学生はいつでも大歓迎ですよ。いまは
アフリカ南米中国と、うちに4大陸留学生そろっちゃいました。
>しかし、読んでも哀れみしか浮かびません。いったいこの人はここまで徹底的に相手を攻撃してまで何を守りたいのだろうか、と。誰を相手に戦っているのだろうかと。
まもるのは、自分の研究室です。大学では、自分の教室だけは石にかじりついても守るけど、大学全体のためにはなにもしない・・・と。言われ、たしかに教室で一家の雰囲気です。
まあ、そこまでひどくはなく、大学の仕事も少しはしますよ。
中に四大陸いると、地球はああだこうだ酒の勢いでやってるような飲み会になるときもあります。そういうのは好きですね。
?>まあいることは予想に難くありませんし、見たことすらありますね。なにしろスタージョンの法則によればSFファンを含めあらゆるものの90%がクズです。
しかし読む限り、お互いの文化の違いを飲み込めず、相手を一方的になじっているだけのようにも見えますねぇ。どっちが問題か、というのは難しい話ですが。
ちょっと、すみません、誤解があります。
全部否定する気はないんです
すばらしい人もいます。
たぶんLstarさんのような
(これはいちおう、礼儀としておせじです)
秘蔵っ子の御曹司として日本でもたいせつに丁寧に育てられ、
アメリカでは研究のはずが、実績を上げた上、国家資格まで得てしまい、給料10倍でアメリカに永住をとボスに言われるのをけって、日本に無理に戻ってもらって、看板として活躍していただく先生もいます。チームを結成した内閣を拝見しましたが。
いや、美しいチームが出来ました。
若くて有能で。見ほれてしまいます。
さっきビール飲んだからまた勢いよく書きすぎましたが
外国人留学生も賛成、でも、外国人参政権はちょっとまってね、法律と人を見てから
留学帰りも歓迎、でもまあ、できれば、アメリカ証券感覚で改革を、説明なしに無理に急にすめないではほしいですが、ゆっくりみんなに教えてほしいところです。向こうでチームを作ったスーパーな先生には、いろいろ大学全体の構造改革をお願いできればと思います、
>>>L.star より:2010 年 8 月 4 日 9:06 PM(大学職員さん)
まもるのは、自分の研究室です
研究室を守るために他人のブログにコメント?
それは何か激しく間違ってませんか。
戦う相手はしがないブロガーではなく、あなたの目の前のその研究者ですよ。
はいはあい、
Lstarさんが、圧倒的までに完全に間違っています
日本にいないから、ここの影響力を知らないでしょう。
地球は60億人いるんだそうですけど、
その中で、唯一つの外国人賛成まともブログです
他があったら教えてください。いつでも引っ越します
迷惑をかけるのは本務ではないので。
ただ、すなおに読めばLstarさん自信も、ここ以外にまともなブログがあるのか、恐らくは御存知と思います。皆無です。
話を戻せば、日本人を愛する方の外国人参政権は好きですよ。
そこに話しをもって行くのは、反対派の意見を聞くことです
反対派で、まともなブログ、一箇所でした。
もはや、ここは公の場所です。ここしかありません
スレ主さんのますますの精進が期待されます
まもるのは、自分の研究室です
研究室を守るために他人のブログにコメント?それは何か激しく間違ってませんか。
戦う相手はしがないブロガーではなく、あなたの目の前のその研究者ですよ。
でも、中には、やはりおフランスを鼻にかける研究者はいます。
お分かりかと思いますが、こちらもそれを否定しているわけではありません。でも、残念な人たちはどんなところにも居ます。
あるいは別の価値観との対立だっていくらでもあります。「西洋かぶれ」と同じように「大卒のインテリ」だって笑いものにされた時代があったのはご存じでしょう。
でもだからといって大学教育を否定するのは間違いですから。
その点をご理解いただけたら、こちらとしてもそれ以上はありません。
スレ主さんは外国人参政権賛成派、
参政権反対派のHPはやまとあるけど、
賛成派のまともな場所はここだけ、といいたいのでした
外国人参政権がらみの話ならせいぜい1年間ぐらいで総計数万PVにすぎません。
有名ブロガーなら、そんなの1日ですよ、1日。2chでときどき「オランダの悲劇はデマ」という形で言及されるのは知っていますが、その程度です。
そんなのにどんな影響力が?全く分からないので、知らない具体例があれば教えていただきたいですね(本に載ったとかは分からないですしね)
しかし、自分の研究室を守るのと外国人参政権にどんな関係があるのかさっぱり分かりません・・・
もはや、ここは公の場所です。
まあそういっていただけるのはブロガー冥利に尽きます。ありがとうございます。
外国人参政権がらみの話ならせいぜい1年間ぐらいで総計数万PVにすぎません。有名ブロガーなら、そんなの1日ですよ、
すみません、バカなのでその数万PVの単位が分かりません
暇なときでも教えてください
有名ぶろがーさんたぶんどっかにいるんでしょうが
外国人参政権賛成派のブログは「存在」自体を見たことがない。
しょうもない社民党のHPとかはありますが。
1日。2chでときどき「オランダの悲劇はデマ」という形で言及されるのは知っていますが、その程度です。
そんなのにどんな影響力が?全く分からないので、知らない具体例があれば教えていただきたいですね
そうですね。大学でROMっている先生多いですが、
本とか調べてみます。
まあ
本は一度書いて見られては?
しかし、自分の研究室を守るのと外国人参政権にどんな関係があるのかさっぱり分かりません・・・
直接の関係はないでしょうが、かなりの影響は受けます
もうあんな騒ぎは勘弁してほしいですが、聖火リレーの学生は何処の学生だって騒ぎになって、問い合わせはやたらあり事務処理大変でした。行ってた学生さんのラボもっと大変だったでしょう。
もう、聖火リレーなんて日本に来なくていいです、迷惑です。
うちの大学来てくれる学生は、フルタイムの研究職が得られれば
帰化してくれそうですが、
中国だけは、あちらの選挙権がなく、こちらだけでフルに駆使して
地方参政権というのは、しかも数十万人一度も与えるのは、リスクが大きすぎます。
もちろん、具体的にラボに被害はないですが、永住して職を探すときは、アファーマティブで彼らが優先されるので、日本人研究者はちょっと可愛そうですね。
でも国際共同研究と書くと通りやすいとも言われ、これはメリットかも知れません。実際はみんなそう思うようで競争が激しいのでナカナカ。
もはや、ここは公の場所です。
まあそういっていただけるのはブロガー冥利に尽きます。ありがとうございます。
がんばってください。
すみません、バカなのでその数万PVの単位が分かりません
暇なときでも教えてください
PV=ページビューは、そのサイトが何回閲覧されたかを示す単位です。人気などの指標になり、影響力の大きさもわかります。
ですから、この1年間で外国人参政権関連の記事は数万回見られた、と言う意味ですね。
ちなみに実際に影響力のある有名ブロガーの知人によると、記事の影響力が感じられるのは「1日」1万PVぐらいからだそうです。まったく話にならないですね。
外国人参政権賛成派のブログは「存在」自体を見たことがない。
単純に相手にされていないんだと思います。
最近だと知的移民についての議論がありましたが、その中でも移民賛成派の人は外国人参政権なんて誰も語ってなかったですね。
一部の反対派の中で盛り上がっているだけ、そういう印象を受けます。そういった人たちには「反排外主義」と言う切り口でだいたいすんじゃいますから。
そうですね。大学でROMっている先生多いですが、
これは意外でした。アクセス数から見てそういうサイトではないのですけどね・・・