いろいろと個人的に忙しかったりやる気が出なかったりで、一部予定している記事も遅れがちなのだが、気になった記事があったので。
必要なのは「共通語としての英語

英語は普段会社で使っているのもあり、L.starにとっても結構深刻な問題である。実際時々あやしかったり、切り替えに手間取ったりしつつもそれなりに頑張っていて、たいていの欧州人からは「日本人にしてはずいぶんできる」と評価してもらっている。ただその言葉のうちどれだけがお世辞かは知りたくもないが、まあ改良の努力はしている。ちなみに、オランダにいるがうちの部署は英語圏(not米語圏)出身者が多く、彼らのネイティブな「生きた」英語にはさんざん苦労させられる。

で、英語についてのいろんな「どこまでできるべきか」という議論だが、そもそも人によってまちまちなはずである、という基本的なスタンスが抜けてないだろうか。だから人によってどこまで要求されるか、をちゃんとクラス分けして議論すべきではないだろうか。と思ったので、個人的な見識にもとづいてクラス分けしてみた。

レベル1:天気・買い物・道案内など日常的な基本会話ができる


TOEIC900点、とまではいかないだろうが、日本では「ちょっと英語のできる」と見なされるレベル。はっきり言うと、中学校から高校前半で習う英語をきっちり身につければ、ここまで簡単にいく。外国で真剣に生活しない人でもこの程度は身につけられるが、その際に他の言語圏の人たちが苦労して覚えないといけない文法やアルファベットの違いとかがあるが、日本人は実はそういうことに悩まされることはほとんどない。ただ覚えていることに沿ってきちんと訓練するだけでこのレベルには到達できる。

個人的には日本の都市在住者や、外国人がやってくるような観光地在住者の殆どが今後身につける必要があるレベルである、と考えている。そうでなくても、頻繁に海外旅行に行くような人には要求されるだろう。大半のオランダ人は実はこのレベルで、ちょっとレベルの低いところに行くともう通用しない。

レベル2:自分の仕事や専門分野の読み書き会話程度ならこなせる。


L.starが個人的に「インターナショナルビジネス語」(以下長いので国際語とする)と呼ぶ言語が基本的に習得できているレベル。国際企業で話されている英語というのは明らかにネイティブの英語とは違っていて、そこらのスペイン人やイタリア人のちょっと教育レベルの高い人なら話せるような英語のサブセットである。明確な定義など無いが、語彙も少ないし、文法もあまり複雑なものは出てこない。気の利いた表現も必要ない、ごくごく淡々としたものである。
「通じる英語」でいいんですよ

でいうところの「通じる英語」とほぼ共通していると思われるこの言語は、単なる意志コミュニケーションの手段であり、なんら情緒的なものは含まない。コンピューター業界なんかでは、会話はともかくドキュメントの読みとかでこのクラスが要求されるので、案外基礎としてできている人は多い。後はそれを実践して磨くのみだ。

「ビジネス英語」とも呼ばれているのだと思うが、ビジネス英語クラスで学ぶのはもうちょっと丁寧なレベルが高い英語のように思った。そういうのは付加価値であり、やはりレベルの高い英語ができる人は高い職掌につく率も多い。もちろんそれは、そういう勉強をきちんとしている証拠である。

聞いた話だが、欧州のエグゼクティブクラスになるような人は、徹底的な発音矯正をして、BBCで話されるようなきれいな英語(いわゆる標準の英語)を身につけるという。これなど、完全な国際語である。

レベル3:英語で閉じた世界で生活が出来る。


専門知識に限らず、ニュースサイトなどを読んで細かい部分まである程度理解でき、知性の高い人たちと難しい議論ができたりできる程度を指す。「TOEFLできないと話にならない」などと言う主張や、L.starが頑張って目指しているのもこれである。多くの長期海外在住者はこのレベルにあるだろうし、そうでないと相当大変だろう。ジョークに反応できる必要はあると思うが、気の利いたジョークを連発できるようなレベルである必要はない。

ここまで行けば、たとえ日本語訛りであろうとも国際社会ではまず通用する。相当のレベルでもない限り、あるいは英米人でない限り、どうせ相手も訛っているのだ。気にしてはいけない。

レベル4:ネイティブに遜色ない、あるいはそれ以上の英語を流暢に話す。


これ以上の説明は必要ないだろう、死ぬほど英語を勉強してきたから分かる、英語学習の限界の増田が目指して失敗したところである。通常このクラスに行き着く日本人は海外育ちのバイリンガルか、死ぬほど努力したかどちらかだろう。

実は、ぶっちゃけこんなのが必要とされるのは英語圏の国のローカルなところだけである。なぜならそのようなところでは高度な英語スキルと人間としてのレベルの高さが比例すると仮定でき、実際その仮定が信用されるからだ。だからこのレベルは、英国か米国で地元民に混じって活躍したいなら必須である。しかし日本で、あるいは多国籍企業では、ここまでのレベルはオーバーキルである。だから、このようなレベルの必要性についての論説は、例外なく英語圏に住んでいる人から出てくる。

逆に日本語で考えてみると良い。東京のような都市で生活するならたどたどしい日本語を使いつつ生活することも可能だろう。その上で都市生活者は比較的外国人になれているから「あいつは日本語の分からないから馬鹿だ」と仮定することは少ない。しかしこれが田舎に住んでみたらどうだろう。外国人慣れしていない田舎の人たちには、そういう人をうまく扱うのは難しかろう。

だから、ネイティブなみの英語というのは、実は国際社会に対応するためのレベルではない。むしろ英語社会ローカルに溶け込むために必要なレベルなのだ。

さて分けられるとしてこのくらいだろうか。もちろんどのレベルの話者も日本にとって重要であるが、とりわけ観光や文化交流のために必要なレベル1,あるいは基本的なビジネス関係の構築のために必要なレベル2の話者の数を増やすことが急務だろうと思われる。その上は大して必要としない。おおざっぱに言うと、レベル1:2:3:4=1000:100:10:1程度の割合で良いだろうとすら考える。

米国在住経験はないので聞きかじりになるのだが、欧州での英語経験が米国に比べてユニークなのは、実際に英国人によるネイティブ英語と、ドイツ人やフランス人などがしゃべる国際語が入り交じる職場を体験できる確率が高いというのがある。するとどうしても、この2つは別の言語だと気づかざるを得ないのだ。だから、増田の人の文章の以下の部分が全体としてのすれ違いの全てを表しているのではないだろうか。
...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人英語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人英語ができないことを前提にして、それを補うシステム設計しないと生き残れない」ということになるね。

問題は以下のように、「英語」という単語をうまく補完すれば自明のはずなのである。
...いや、何だろうね、どうも最近の「日本人は国際語ができるようにならんとグローバル化を生き残れない!」って風潮にイラっとくるものがあったので書いてみた。俺に言わせれば、「日本人はネイティブ英語ができないことを前提にして、それを補うシステム設計しないと生き残れない」ということになるね。

そう、日本人はネイティブ英語ができないことを前提にして、国際語としての英語を使うことに集中しないと駄目だと言うことだ。それは他の人も示しているとおりである。お互いに全く矛盾しない。

英語には2種類ある。一つは英語圏の母語としてのネイティブ英語。もう一つはインターナショナルビジネス語としての英語である。まずはそこを区別するところからはじめてはいかがだろうか。