2週間ぐらい間を開けつつ、とはいっても実際にはいろいろ書けなくて苦労したけれども、ネイションシリーズの第4回。
一応おさらいしておくと、発端になったのは日本のナ ショナリズム:企業というネイションの喪失と今起こっている勢力争いという仮説という考察から。第一回は国家民族に再フォーカスし、鎖国によって日本の良さを守る、超効率エコ社会を訴える「現代に おいて鎖国が現実味を帯びる時 ー 日本第一百科事典財団構想」、その次は経済と企業システムの再興を宗教改革になぞらえた「意義の ある「労道」がしたいー21世紀の日本で宗教改革の波が」。そして第3回は日本文化シンパを増やそうぜ!という「日本」”JAPAN”から”NIPPON”へ・・・経済は停滞しても文化浸透は止めない。
で、第4回で考えるのは国家という枠組みを維持しつつも、超国家組織によりより大きな共同体を実現する「インターリージョナリズム」である。
実はこのような形態の失敗例は多数ある。国際連盟と国際連合は代表例で、結局のところ「国連のため」に何かをする国家はほとんどない。むしろ国家のために国連を利用する連中ばかりである。しかし、さすがに、これは純粋に今の世界に国連サイズの共同体を運営できる準備ができていないと見るべきであろう。いつの日かこれが実現する日は来るかもしれない。しかし、ここでいうインターリージョナリズムは、そのような世界規模のものではない。大きめの国家規模、ロシア・アメリカ・中国等の大国に対抗しうる程度の規模の話である。
現状をひもとくと、代表的な実装例はEUであり、多大な成果を収めているのは事実であるが、同時に経済的なものを中心に多数の問題点も抱えているのはニュースの通りである。ただし、L.starは個人的にはヨーロッパにはEU以外の選択肢は無かったと考えている。それは歴史的に小さく分裂した封建制度の下にあった時期が長く、文化および言語で隔絶していて、お互いにわだかまりを抱えている割に覇権国家といえるほどの圧倒的な実力のある国家が居ない横並びのヨーロッパには、ほかに共同体の大きさを広げる方法はなかった。
翻って日本、ひいてはアジアで同様の枠組みになるのはなんだろう。歴史的に見れば、幕末から明治政府までの一連の流れにおいて、それに近いものがあっただろうと考えられる。また、現在民主党政権というか鳩山総理は「東アジア共同体」という構想を打ち出しているが、これもまさにインターリージョナリズムである。もう一つはASEANである。EUほど緊密ではないが、しかし中国やインドに対抗できる程度の大きさの経済圏になっている。東亜共栄圏もこのたぐいに見えるが、インターリージョナリズムが対等な国家連合であるのに対して、大東亜共栄圏は所詮日本帝国を言い換えたものに過ぎない、という重要な違いがある。
ここでL.starの勝手な仮説を又持ってくるが、インターリージョナリズムを形成可能な国家群には、以下のような条件が必要とされると考えている。
こと(1)に関して、鳩山総理が日中韓を共同体基盤に選ぶのは彼の経験からだろうということは、外国である程度の期間を過ごしていると簡単に理解できる。この3国は、他の国家に比べてずっと文化的に近いのだ。中国人の英語は彼らが中国訛りであるにもかかわらず聞き取りやすい。体調的につらくて欧州の料理を食べたくないようなときにも、ビビンバのようなあまり辛くない韓国料理はまだ食べやすい。西欧社会はもちろん、インド、南米、アフリカ、いずれも日本人とはかなり大きな文化的差異をもっている。アジア人だから信用できる、というのはない。しかし、信用できないアジア人を見分けるのは、信用できないスロバキア人を見分けるよりなんとなく簡単だろうと思う。ここは重要である。
(2)は言い換えると、インターリージョナリズムという技術的な枠組みに対してどのような「ネイション」を与えるかである。EUは環境保護主義を強く打ち出して、長期的な視野に立った文明存続という困難な目標に立ち向かおうとしている。また、経済についても全体の足並みを何とかそろえて、世界規模経済の時代にそぐうような枠組みを作ることに腐心している。ここが今、日本を中心とした国家連合に欠けている。(3)も、アジアの諸国家では一位中国がダントツ、二位日本(ただし下降中)、3位以下が韓国台湾シンガポール等が追い上げている、という感じでけっこう差が大きい。途上国も大きく、当初のEUほど対等でもない。ここは問題だ。
逆に言うと、日本とインターリージョナリズムが結びつくためには(2)と(3)の条件を満たすような連合体があればいい、と言うことになる。(3)については、中国は外して日本・韓国・台湾・シンガポール(と香港か)あたりの経済都市が中心になれば実現しやすいだろうか。そして(2)になるような理想で、環境保護主義と並んでたてるのはネットを駆使した新しい社会形態ではないか、と思う。電脳都市である。技術的にはGoogleを超えるような凄いブレークスルーが必要になるかもしれないが、何もこれはアジア人だけで実現する必要はない。彼らを呼んでくるだけでもいいのである。ポイントは1国では成し遂げられないほどの効率での電脳化で、住んでいるアジア人が幸せになれると信じられればいいのである。ここで思いついたのはどっちかというとサイバーパンクに近い世界だが、糾合できるだけの力を持てる目標はいろいろ考えられるだろう。エコだって良いわけだ。
このようなインターリージョナリズムが成功する場合、日本にもたらす利益は莫大だが、変化も巨大である。道には日本人だけでなくアジア人もあふれ、事実上の第一公用語も日本語ではなくなり、同質的な「アジア文化」が支配的になるだろう。そういう意味で、インターリージョナリズムは文化と強く影響し合うのではないだろうか、と漠然と思う。まあ、それよりなにより一番大切なのは、そういう理念や諸条件を持った国家群をうまくくっつけ続ける政治技術である。統合する理由はあって、長期的にはペイするかもしれない。しかし、短期的にしないほうがいい理由などいくらでも思いつく。ここをうまくコントロールできる世界的なリーダーシップがないと、簡単に崩壊するだろう。
参考文献:
一応おさらいしておくと、発端になったのは日本のナ ショナリズム:企業というネイションの喪失と今起こっている勢力争いという仮説という考察から。第一回は国家民族に再フォーカスし、鎖国によって日本の良さを守る、超効率エコ社会を訴える「現代に おいて鎖国が現実味を帯びる時 ー 日本第一百科事典財団構想」、その次は経済と企業システムの再興を宗教改革になぞらえた「意義の ある「労道」がしたいー21世紀の日本で宗教改革の波が」。そして第3回は日本文化シンパを増やそうぜ!という「日本」”JAPAN”から”NIPPON”へ・・・経済は停滞しても文化浸透は止めない。
で、第4回で考えるのは国家という枠組みを維持しつつも、超国家組織によりより大きな共同体を実現する「インターリージョナリズム」である。
実はこのような形態の失敗例は多数ある。国際連盟と国際連合は代表例で、結局のところ「国連のため」に何かをする国家はほとんどない。むしろ国家のために国連を利用する連中ばかりである。しかし、さすがに、これは純粋に今の世界に国連サイズの共同体を運営できる準備ができていないと見るべきであろう。いつの日かこれが実現する日は来るかもしれない。しかし、ここでいうインターリージョナリズムは、そのような世界規模のものではない。大きめの国家規模、ロシア・アメリカ・中国等の大国に対抗しうる程度の規模の話である。
現状をひもとくと、代表的な実装例はEUであり、多大な成果を収めているのは事実であるが、同時に経済的なものを中心に多数の問題点も抱えているのはニュースの通りである。ただし、L.starは個人的にはヨーロッパにはEU以外の選択肢は無かったと考えている。それは歴史的に小さく分裂した封建制度の下にあった時期が長く、文化および言語で隔絶していて、お互いにわだかまりを抱えている割に覇権国家といえるほどの圧倒的な実力のある国家が居ない横並びのヨーロッパには、ほかに共同体の大きさを広げる方法はなかった。
翻って日本、ひいてはアジアで同様の枠組みになるのはなんだろう。歴史的に見れば、幕末から明治政府までの一連の流れにおいて、それに近いものがあっただろうと考えられる。また、現在民主党政権というか鳩山総理は「東アジア共同体」という構想を打ち出しているが、これもまさにインターリージョナリズムである。もう一つはASEANである。EUほど緊密ではないが、しかし中国やインドに対抗できる程度の大きさの経済圏になっている。東亜共栄圏もこのたぐいに見えるが、インターリージョナリズムが対等な国家連合であるのに対して、大東亜共栄圏は所詮日本帝国を言い換えたものに過ぎない、という重要な違いがある。
ここでL.starの勝手な仮説を又持ってくるが、インターリージョナリズムを形成可能な国家群には、以下のような条件が必要とされると考えている。
- 文化的な同質性や、物流・経済などの結びつきが強いこと
- インターリージョナリズムによって初めて実現できる高い理想を共有できること
- 国家間の役割が対等かそれに近いこと。援助する国とされる国に分裂したりして、不公平感を作らない。
こと(1)に関して、鳩山総理が日中韓を共同体基盤に選ぶのは彼の経験からだろうということは、外国である程度の期間を過ごしていると簡単に理解できる。この3国は、他の国家に比べてずっと文化的に近いのだ。中国人の英語は彼らが中国訛りであるにもかかわらず聞き取りやすい。体調的につらくて欧州の料理を食べたくないようなときにも、ビビンバのようなあまり辛くない韓国料理はまだ食べやすい。西欧社会はもちろん、インド、南米、アフリカ、いずれも日本人とはかなり大きな文化的差異をもっている。アジア人だから信用できる、というのはない。しかし、信用できないアジア人を見分けるのは、信用できないスロバキア人を見分けるよりなんとなく簡単だろうと思う。ここは重要である。
(2)は言い換えると、インターリージョナリズムという技術的な枠組みに対してどのような「ネイション」を与えるかである。EUは環境保護主義を強く打ち出して、長期的な視野に立った文明存続という困難な目標に立ち向かおうとしている。また、経済についても全体の足並みを何とかそろえて、世界規模経済の時代にそぐうような枠組みを作ることに腐心している。ここが今、日本を中心とした国家連合に欠けている。(3)も、アジアの諸国家では一位中国がダントツ、二位日本(ただし下降中)、3位以下が韓国台湾シンガポール等が追い上げている、という感じでけっこう差が大きい。途上国も大きく、当初のEUほど対等でもない。ここは問題だ。
逆に言うと、日本とインターリージョナリズムが結びつくためには(2)と(3)の条件を満たすような連合体があればいい、と言うことになる。(3)については、中国は外して日本・韓国・台湾・シンガポール(と香港か)あたりの経済都市が中心になれば実現しやすいだろうか。そして(2)になるような理想で、環境保護主義と並んでたてるのはネットを駆使した新しい社会形態ではないか、と思う。電脳都市である。技術的にはGoogleを超えるような凄いブレークスルーが必要になるかもしれないが、何もこれはアジア人だけで実現する必要はない。彼らを呼んでくるだけでもいいのである。ポイントは1国では成し遂げられないほどの効率での電脳化で、住んでいるアジア人が幸せになれると信じられればいいのである。ここで思いついたのはどっちかというとサイバーパンクに近い世界だが、糾合できるだけの力を持てる目標はいろいろ考えられるだろう。エコだって良いわけだ。
このようなインターリージョナリズムが成功する場合、日本にもたらす利益は莫大だが、変化も巨大である。道には日本人だけでなくアジア人もあふれ、事実上の第一公用語も日本語ではなくなり、同質的な「アジア文化」が支配的になるだろう。そういう意味で、インターリージョナリズムは文化と強く影響し合うのではないだろうか、と漠然と思う。まあ、それよりなにより一番大切なのは、そういう理念や諸条件を持った国家群をうまくくっつけ続ける政治技術である。統合する理由はあって、長期的にはペイするかもしれない。しかし、短期的にしないほうがいい理由などいくらでも思いつく。ここをうまくコントロールできる世界的なリーダーシップがないと、簡単に崩壊するだろう。
参考文献:
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