「オランダが*外国人参政権導入により*ひどいことになっている」というのはガセ

が驚くほどヒットしてしまった。はてなトップページにいた2日間のヒット数が約1万で、これはほぼそれ以前の一年間の20%に相当する。意見もたくさんいただいたし、かなり多面的に眺めることができた。一見たくさんの論点があるように思えたが、実は論点は複雑なものではなかった。一連の「外国人参政権問題もの」のコメントを書いているときも、「外国人参政権に反対か、賛成かはあまり重要な問題ではない」と思っていた。しかし、整理ができたら、それをようやく言葉としてまとめることができた。以前からオランダに住んでいるからこそ思う、外国人参政権論を考えてみたのコメントでも、「もっと大きな枠組みで考えよう」などと言う話をしたが、それを一言で言うと、

「参政権議論の中には、ずっと重大な政策問題が隠れている。それは、日本社会を開放的により広めていくか、はたまた外圧の脅威に備えて防備を固めるべきか」

ということだ。この2つは極東と言われるぐらい西洋文明から遠く、防備のしやすい日本では重要なポイントであり、その選択で何度も成功と失敗を繰り返してきた。

開放的にしていく、というのはグローバル化する社会を見据えて日本社会のプレゼンスを世界に広めよう、というものである。そのためにはお互いの理解を深め、相互利益を尊重して行きつつ、今持つ日本のコンテンツをより世界に売り出していくということになるだろう。これは1850年頃に大成功を収めた施策に習って「開国派」と呼ぼう。

もう一つのものは、迫り来る中国の恐怖、多文化交流がもたらす弊害を重視し、対応するに日本国民の結束を固め、現在ある利益をきっちり守っていく、というものである。大国とは距離を置きつつも、優秀な商品の輸出で利益を上げるモデルなのだろうか、国内の混乱を収めるのにひとまず注力すると言うことだろうか。開国派に対応させるとじゃあ攘夷派?ということになるが、日本には1600年頃に同様の施策で大成功した例がある。それにそって「鎖国派」と呼ぼう。

L.starはどっちか?といわれると熱心な開国派である。正直外国人参政権については弱賛成である。が、鎖国派かつ反対派の意見は受け入れられ無いものが多いので、強く反発している。開国派かつ参政権賛成の人の意見と言えば、だいたい参政権を広げることがグローバル化にそう布石として考えられるから、である。

同じ外国人参政権反対派でも、開国派か鎖国派で論点が大きく異なることに注意されたい。鎖国派かつ参政権反対派の論点は「内政干渉」「他国での危機(例のオランダの悲劇とか)」であり、上記の分析とほぼ一致する。一方で開国派かつ反対派の主張は前回のエントリのelm200氏のコメントにもあるような「早期解決のために帰化の促進や二重国籍を」である。開国派かつ賛成派とは、お互いの相違をあくまで本質的ではなくテクニカルなものだ、と認識できるだろう。が、鎖国派には同じ反対派と言え、二重国籍などは受け入れがたかろう。「違憲」に触れる人も多くは鎖国派であり、開国派の人はL.starのようにどうでもいいか許容説中心で、一部過激な人が要請説を唱えるぐらいだ。

これは旧来の保守・改革というのとはまた違う切り口であるようにも思われる。保守には参政権反対派が多いが、親米・親欧路線があり、これらはもちろん開国派にも受け入れられるものだ。改革の中には、鎖国派に受け入れられるようなのもあるだろう。

最後に日本がこの決断を迫られたのは、開国の時だろうか、はたまた日中戦争の時だろうか。いずれにしても今巻き上がっている議論を見る限り、もう一度この大きな選択肢を迫られているのは間違いない。今の日本を幕末になぞらえる人がいるが、実際そういう時代なのである。

だから皆さん、「鎖国」「開国」どっちを取るべきなのか、という重要な話をしませんか。どっちか決めることができれば、外国人参政権問題を含む多数の問題の答えなどほぼ自動的に決まると言っていいわけで。それはある種の戦争になるかもしれないが、これをはっきりさせるのは今後の日本の戦略上この上ない価値を生むと思うのだ。どっちを選んだから良い、という正解はたぶんない。どっちもリスキーな選択で、デメリットはある。選ぶのはどっちのメリットを取り、そのデメリットを許容するかだ。

最後にこの文章を書いたL.starが強い開国派なので、読む人はがんばって排除したとはいえバイアスがかかっていることをご了承されたい。

P.S. ところで鎖国派かつ参政権賛成、という人も見たことがない。そんな人はいったいどういう意見を持っているのかも興味がある。