能力がないから日本が負けている訳じゃない。現実には日本はあふれんばかりの文化と才能を持った場所だ。

これはオランダに住んでいて、ヨーロッパを旅していて痛切に思う。東京・大阪という世界で文字通り1,2を争う大都市圏を擁し、勤勉な国民性と並外れたサービスを提供している。その上で日本食やマンガアニメカラオケといった、抜群のコンテンツを持った国である。覇権国家アメリカとてここまで魅力的な美辞麗句は持ち合わせていない。しかも、その覇権国家に一度は経済で勝ったというのだから並大抵ではない。落ちぶれたとはいえ、日本はその能力をまだかなり保っているのは、外から見れば非常によく分かる。外から見てよく分からないのは、一生懸命日本を終わらせたい人がいる、ということだ。民主党の話(だけ)ではない。日本はもう駄目だ!と叫んでいる人たちだ。彼らが叫び続ければ、自信を失った日本は本当に終わるだろう。そうさせないためにも、日本の中から良いものを選別して残し、改めて勝てる形に再編成しなければならない。そこでelm200さんのこの記事。

日本にシリコンバレーを作る方法
一方アメリカでは Google 一社で2万人の従業員がいる

といきなり素っ頓狂なところの引用から始めるが、Googleの有名な20%ルールを考えると、20000人の社員は、最低でも40*0.2で週8時間の自由なプロジェクト時間を持っていることになる。年間では20000*8*52=832万人・時間=104万人日=52000人月になる。5万人月とは圧倒的なR&D力である。L.starのいる会社は従業員1000人規模なので、どうあがいてもこれだけの工数は用意できない。人月単価100万円として520億円相当のR&D人件費、それをほぼわかりやすい投資無しで生み出していると言って良い。しかもこれはたかがGoogleの話(されどGoogleだが)であって、アメリカのソフトウェア業界全体の話ではない。

話を戻すとして、elm200さんは以下の点を問題としてあげている。これはL.starも同意する。
原因は、広い意味での社会資本にある。社会資本とは、簡単にいえば、面白いアイディアを持った個人を支援して、事業化し、収益を生んでいく環境である。

しかし、こういう社会資本が今までどこかに存在したはずなのである。でなければ日本が勝者になったはずはない。正解はもちろん、大企業の中、である。膨大なR&Dコストは従業員のやる気と情熱によって生み出され、それを世界に売って回収していくことで、日本は金持ちになった。翻ってIT業界はどうだろう。日本におけるソフトウェア業界の勃興は割と遅めで、老舗ですら60年代後半、ということもある。そして、大半が日本国内で閉じたビジネスをしていた。つまり、彼らは常に日本の大企業という上客と商売をしてきたことになる。はなからおいしい仕事を手にすることができたわけだ。そのツケは今やってきている。おいしい仕事をくれる大企業や官公庁無しに、SI企業が生き延びることはできない。必死にコスト圧縮により生き延びようとしているが、結局ソフトウェア業界の縮小を招くだけだろう。その縮小が続けば、今の大企業のようなビジネスモデルの大半は死滅する。
誰かが、こうしたクリエーティブなエンジニアたちを退屈な仕事から解放して、彼らにしかできない仕事に専念させてやらなければならない。それができるのは、優秀な起業家たちだけだ。冒険的な起業のほとんどは失敗してしまう。それでも生き残った一部の事業が大きな利益と雇用をもたらす。活発な起業を促す上で、日本に一番欠けているのは、資本市場的なダイナミズムだ。たとえば、誰かがスタートアップを始めたとしよう。シリコンバレーの人間だったら、まず出口(exit)から考える。株式公開するのか。大企業に売却するのか。3年後?5年後?そうやって、会社を売却することで創業者は大きな現金を得て、再び新しい起業が可能になる。

シリコンバレーでは、そうやってエンジニアが大金を手にして再び新しい技術ベンチャーを作るため、非技術者が始めるのに比べて、成功確率は大きくなる。要するに、自腹である程度の規模の会社を始められる程度に、日本のエンジニアが金持ちにならなければならないのだ。極論を言えば、日本のトップエンジニア 1000人がそれぞれ10億円ずつ持っているようなイメージである。

私は、こういう革新的な起業文化をつくりたい。

L.starは、これを「リスクをどれだけ取ってチャレンジできるか」と言い換えるとよりシンプルじゃないかと思う。結局、だれかがリスクを取ることができさえすれば、この種の収益化はどんどん進行していくだろうと思う。しかし、日本のソフトウェア業界というか、日本自体が可能な限りリスクを取らない方向へものすごい勢いで動いている。ちょっとでも瑕疵があればすごい勢いで批判の対象になる、そんななかで、L.starは本当はチャレンジがしたくて仕方がないんだが、それはL.starはどうしようもない馬鹿だからである。常識的な人ならしない。昔「会社はリスクを取らずにつまらないことばかりしている」と愚痴ったら、そこにいたとある社長に「馬鹿だなぁ、会社とはいかにリスクを取らないかだ」と言われたのを覚えている。それが日本の実態なのである。

だから、金勘定のできる投資家「だけ」がいても、今の日本では駄目だろう。結局金とはリスク要因の一つに過ぎないため、他のものにつぶされる。大企業を好む風土しかり、新卒orDieの就職制度しかり、技術力よりコミュニケーション力ばかり求める会社しかり。そう言うのを乗り越えてエンジニアにチャレンジさせられる投資家がいて、始めて日本はシリコンバレーに匹敵する武器を手に入れられるのではないか。たぶん、Y Combinatorのような方向性を持った投資会社なんだろうな。まあL.starはポールグレアムが好きすぎるので、そういう影響を多大に受けていることは認める、としてもだ。

IPAの未踏ソフトウェア事業は、そう言う意味で方向性だけは悪くなかったと思う。ただし、あれは一定の成果を上げたものの、結局たいしたものをそれほど生み出したりはしなかった。GoogleやTwitterどころが、時価数十億円になる会社の一社も生み出さなかった。なぜだろう。そもそもそういうレベルを求めていなかったからだろうか。IPAの体質だろうか。ばらまく金がけちくさかったのだろうか。投資家とチャレンジャーではなく、教授と研究員の関係になってしまったということなのだろうか。

これを引用しているKoshianの以下のエントリも。

エンジニアが金持ちになって次の世代を作る未来
elm200さんが目指す「革新的な起業文化」を日本に芽吹かせるには、こういう非エンジニアにサービスを作らせてちゃダメなんだよ。それはカルチャーなんだから。エンジニアのカルチャーで作らないと。

この文章など、エンジニアの独りよがりに見えなくもない。そもそもエンジニアのカルチャーってなんなんだよ、と。しかし、活気のある新技術大好きエンジニアは往々にしてリスクテイカーであることを考えれば、ここも得心がいくであろう。内にこもるような官僚主義ではなく、もっと外に開いてリスクを取るようなカルチャーこそ、革新的な企業文化の中軸に据えられるべきものである。

リスクを取らない、と言う選択肢はもっとも安直だし、個人の選択として責められるものではない。しかし、全体としてリスクを取らない社会はそのまま沈み行くのみである。沈まないためにも、再び挑戦できる社会に回帰することが求められている、