さて、我々はヒスパニアからバルブス家を、これらにひけをとらぬ立派な人物をナルボ・ガリアから迎え入れたのを後悔しているだろうか? 彼らの子孫は今も この首都に住み続けている。彼らの抱く、この国に対する祖国愛は我々のそれに劣らぬものである。スパルタ人やアテネ人が戦争に勝っても短期の繁栄しか享受 できず、最後には破滅した理由は他でもない、彼らが征服した民族をあくまで異国人として、分け隔てしたからではないか?

その点で、我ら が建国者ロムルスは賢明にもギリシア人とは逆のやり方を選択したのであった。数多くの民族を、敵として戦ったその日のうちに、もう同胞として遇したほどで ある。のみならず、外来者が我々の上に立ったことすらある。解放奴隷の息子に官職を委託したこともある。これらは多くの人が誤解しているように、最近のこ とではない。古い時代から、度々起こっていることなのである。

- ローマ皇帝クラウディウス(訳:ローマ帝国第4代皇帝クラウディウスの演説より引用)

前回のエントリ

明文化されていない制度に振り回されるのはもうやめませんか?


に、以下の反応を海外ニートさんからいただいた。

「社畜丸出しな発言をすれば激しく叩かれる」という空気(世論)を作ろう。 ニートの海外就職日記.

まあお褒めをいただいたということで喜んでおくが、その後の反応は首をかしげてしまう。
どういうことかと言うと、「社畜丸出しな発言をすれば激しく叩かれる」という空気(世論と言ってもいいだろう)を作ればいいw。

うーん、空気をつくるのはいいのだが、相手を攻撃するような空気にしてはいけないと思うのだ。それは何かというと、海外ニート氏にしてもL.starにしても、究極の目標は日本人仕事環境の改善であるのだからして、元社畜も普通の人も人間的な労働環境を享受できることが必要なのである。蔑んだものいいは、強烈な反発を引き起こす。なんとなれば、彼らは社畜であることの有用性を信じており、そこにアイデンティティを持っているのだ。その先がどれだけ人間的な生活であろうと、現在の自分を否定するというのは大変なことなのだ。となると、自己肯定のために首輪自慢を始め、労働しない怠け者を糾弾せざるを得ない。これは人間のごく初歩的な行動力学の一つである。

海外ニート氏の言わんとすることは「反社畜文化の強制」である。これはすなわち、悪い空気を強制してきた悪しき伝統と何ら変わらない。我々がなすべきは、「クソ経営者と社畜文化を粉砕せよ!」とか、ゲバ文字でプラカードに書き殴りたくなるようなスローガンを掲げることではない。しかし、時間が過ぎれば条件も変わる一方、人間、特に集団の思考を変えることは大変に難しい。クソ経営者を駆逐し、社畜文化信奉者を追放したところで、真の社会の安定など訪れるはずがない。そのとき次のプラカードにこう書き殴ってしまうだろう「社会の敵である大企業を倒せ!」と。そしてその先がどこに行くのかは誰も分からない。すべては自分たちのすることを信じて目先の要求に応え続けた結果であるが、本質を突いていないが故にゴールにはたどり着けない。いや偶然たどり着くのかもしれないが。だから言いたい。我々のすべきは、「日本人のできるだけ多数に、家庭や自分を犠牲にせずに人間的な生活を享受できるようにする」という「ゴール」を忘れずに、都度正しい処置をし続けることである。つまり、社畜を攻撃して撃退するのではなく、社畜を融和して、人間らしい生活をさせるのだ。

と、ここまで書いたのはいいが、実際にどうすればいいかというととんと思い浮かばないのが現状である。我々に必要なのはシステムを破壊することではなく、改善することであるというのは、問題解決コンサルティングに似ている。問題点を並べ上げ、冷静に分析し、それをどう改善するかという案を立て実行する。ほぼ間違いないのは、みんなうすうす問題点には気づいているのだ。それを掘り出して明るみに出せばいい。ごくごく当たり前のことだ。もっとも、誰もが知っているとおり当たり前のことを当たり前にすると言うのは大変難しいことである。そんなの簡単だ、とのたまうやつはよほどの腕利きか、正真正銘の馬鹿かのどちらかである。たいてい後者だが。むしろ問題は如何にして問題解決コンサルティングという「法廷」に立たせるかである。彼らは自分の立場を100%信じている、いや信じざるを得ないのだから、これが半端無く大変である。そのため、ある程度はやはり外からの攻撃にならざるを得ないだろう。違法性を突くとか、非効率だと叫ぶとか。

しかし、やはり一番いいのは人間らしい生活の可能な職場を作って、それが見本になることである。つまり融和のための環境を新設すると言うことなのだが、L.starはこれを個人的に「ネオ大企業」と読んで、構想を練っている。大半の社員が普通の時間だけ働いて、普通に休みをもらって、無理な労働も強要されずにしかし一定の利益(多大な、である必要は無い)をあげることができるような、そんな会社モデルである。これはもちろん人件費ダンピングを平気でしてくる既存企業相手とやり合うため分が悪いが、少なくとも自分の周りだけは幸せになれる。しかし幸せな人を見たら、けしからんといいつつも、何か考えるのでは無かろうか。重要なのは彼らに自分で何かアクションをとらせることだ。我々が強制するのではなく。

・・・まあひとまずそんなところにしておこう。

ところでこのような「融和」が必要な局面は昨今そこら中に見られる。例えば在日韓国人問題も移民問題も、グローバル化に対応するというのもそうだ。結局のところ文明の歴史とは拡大である。もはやインターネットがパンドラの箱を開けてしまった段階で、それは止めようがない。このエントリは

叩かれるべきはムラ社会制度ではなく、ムラが小さすぎることに対して


に似ていると書いていて思ったのだが、そもそも言いたいことは同じである。我々は文明を指向する以上、(長期的には)拡大しなければならない。自分たちだけで足りなければ周りを取り込むしかない。これは必然なのだ。そしてその競争に勝ちたければ、やるべき事は一つ、他者に先んじて自分たちが彼らを融和してしまうことである。声を大にして言いたいが、我々は争っている暇など無いのである。その間に周りの強国がどんどん力を付けて、最後には飲まれてしまうだろう。あなた方はそれでいいのか?