オランダ人の見る「2種類の日本人」とは?【オランダ】


「日本在住の日本人」と「オランダ在住の日本人」というくくりで分けられているところが実に興味深いこの記事。まず後者の方から・
一方、もう一種類の「外国在住の日本人」というのは、日本在住の日本人と違って、外国の文化を取り入れてなじもうとしない、「絶対的な単一民族なのだそうです。

「外国在住の日本人」L.starは絶対にこうならないように、努めて大変な努力を払っている、と信じている。これからもそうしたいと思っている。しかしそれは本当に大変なことだし、とても他人に強制できることではないし、そうなってしまった日本人を見ても、たいていは彼らなりの努力をした結果であるので、馬鹿にしたくはない。正直くじけたくなることは数知れない。

一例を挙げよう。

ちょっと欧州のどこかに旅行に行く。9時頃ホテルのビュッフェで、日本人的米とおかず的発想で、クロワッサンとスクランブルドエッグとかりかりに炒めたベーコンを食べる。するとたいてい昼食を待たずして、10時半頃には燃料切れに陥ってしまう。どうにも調子が出ない。さあここでできる一番簡単な対策は、パンの代わりにご飯を食べることだ(ホテルのビュッフェでは難しいのだが)そうすると、やはり調子が出る。消化の関係があるんだから、やはり日本人はご飯食べないとね。となるとライスが出るような高級ホテルにしないと。ちゃんちゃん。

実はこれは間違った結論なのだ。それに気づいたのは4月にミュンヘンに行ったときで、このときは1日目の昼食にソーセージ(とわずかなパンとプレッツェル)を食べ、元気が出ずにぐったりしてしまった。3日目だったと思うが、行程全体で何となく糖分不足を感じていたのを思いだし、パンは甘い菓子パンを食べることにしたら、何とも調子が良かった。これではたと気づいたのだ。パンはご飯に比べて消化が悪いので、その出だしの悪さを糖分で補わないといけない。だから欧州人はたいていトーストにべったりと甘いジャムやチョコペーストを付けて食う。これはいわば二段ロケットのようなものである。このような配慮は日本ではほぼ必要がないことに注目したい。米は消化も腹持ちもそれなりによく、わざわざ二段ロケットにする必要は無い。そもそも日本の生活は米を食って一番都合がよいように最適化されている。

なんてこった、日本人はヨーロッパにおける朝食の食べ方すら知らないのだ。これはヨーロッパで生活してヨーロッパのパンを食べるなら絶対にどこかで身につけなければいけないものだと思うのだが、彼らにとってはあまりにも当たり前すぎて教える必要すら思い浮かばないだろう。

これはあくまで一例だが、こういう細かいものから大きなものまで、挫折を毎日のように味わうのだ。それを自分が欧州の慣行をよく知らないせいだ、と認めてしまえば、自分は小学生の常識すら知らない新参者の馬鹿だ、と認めることになってしまう。この状況で取り得るのは自分が馬鹿だと認めるか、自分がよく知っている世界に退行するかだ。どっちを選ぶのが楽かなど、わかりきっている。L.starは、自分が馬鹿だと認めた上であえて苦労をしようという二重の大馬鹿ものだというのは知っている。こんな生き方、他人にどうやって勧められるものか。

一つ言えるのは、これは日本人が欧米と大きな文化ギャップを持っているから生じやすいものではあるものの、万国共通である。中国人がどこに行っても中華街を作るのも、にた理由があるのではないかと思う。

でも、この記事を読んでちょっと勇気がわいた。もう一つの「日本在住の日本人」とは
「思想的な面から考えれば、日本人は多民族といえるくらいに、革新的な考えを持つ者もいれば保守そのものという者もおり、均一化されておらず各々が個性的である。その基となるのは精神の強さである。強いからこそ、他国から導入される思想や流行などを素直に受け入れる姿勢をもてる。つまり、『土着の日本人』は、常に柔軟かつ寛大な心と精神を培っている国民だ」

という人間だと書かれている。これはL.starが実際に目指したいと思っている人間像の一つである。これもまた日本人には限らないのかもしれないが、しかし「外国在住日本人」の反対のありようを目指すことは、こういう日本人になるための道である、ということではないだろうか。たぶん、ヨーロッパに来なければ自分の文化的引きこもり傾向は絶対に気づかなかっただろう。類型は危険ではあるが、こういう評価をきちんと受けたいために正しいことをしている、と思ったのは大変な成果であったかなと思う。

これからは、自分に自信を持って二重の大馬鹿者となって、いろんな視点から改めて欧州と自分の両方を眺め直してみよう、そう誓えた一日でした。

追伸:

もう民主党に売国されちゃいなよ、日本人!


オランダに住んでいるからこそ思う、外国人参政権論を考えてみた


と2つ、思いがありながらなかなか伝わらないフラストレーションのたまるエントリだった。だいたいL.starはエントリを3部作ぐらいで考えていて、今回ももう一作を、と考えつつうまくいかず終了かな、という感じだった。しかし前述のオランダ人から見た日本人というのが出てきたおかげで、最後の締めとなる部分がきれいにつながった。何を言っているのか、と思うかもしれない。しかし上記2つの言いたいことはつまるところ「日本人よ、『日本在住の日本人』になれ!」ということである。L.starにとっては、それ以外の内容はすべて、導かれる帰結に過ぎない。今考えればL.starは全く何を言っているのだ、である。

このような人達は実は日本にだけ存在する特別な人たちではなく、世界中に散らばっている。中国人だろうが日本人だろうがアメリカ人だろうが、である。世界がコミュニケーションの発達により相対的に縮小していくなら新しい秩序が必要となる。それを作ることができるのは、お互いの良いところを吸収していける資質の持ち主だけだと思わないだろうか。来るべき未来において日本が一定以上の地位を占めたいなら、世界中のそういう人たちと協力し、日本の良さを広め、悪いところはただし、他者のよいところを取り込むことにある。そして、「日本在住の日本人」がそのように言われることをしたことこそ、我々がかつて日本を超大国たらしめたと考えられないだろうか。

何もかも曖昧で、よく分からないのかもしれないとは自分でも思う。繰り返すが簡単なことではない。具体的な道筋すら今のところ無い。

でも、これを読んだ皆さんがどう思うかというのはとても重要なのだが、私はそれと関係なく自らこの苦難の道を選ぶ。そして、それを自分の誇りにしたいと思う。