週末が忙しかったので前回のエントリ

なぜ「はてブは一方的になりやすい」か –


と、そのはてブ、あるいはメタブを読みながらどうやって返答したものかと思ったりしつつしていたら、ところどころわかってないと思われるエントリも出てくる。たとえばこれ。

  • Nagise Nagise 根本的に誤った主張は、均質に双方向なメディアで議論しても一方的に非難される。その際、怒鳴って無理を通すことも可能だが、それができることはむしろマイナス要因。 2009/06/19 CommentsAdd Star


なぜか主張とまったく関係の無いことをこんなところで主張されている上、今日気づいたらうちを元ねたにしたエントリまである(ここははてブではないので、ピンバックされない)

一方的な非難を陰謀説で考えるのは筋が悪い - プログラマーの脳みそ.

一方的な非難なんてめったに存在しない。昔AoEの対戦を仲間内でやっていたが、Free for allで戦うときのコツは、全員味方だと考えることだった。うまく行動すれば、みんな勝手に「組んでた」と勘違いしてくれるからだ。おかげでそれほどうまくなかったにもかかわらず、FFAの成績はまずまずだったと記憶している。

・・・と読んだら、そういう話ではないらしい。

Nagise氏の主張が根本的に間違っているのは、分類の仕方だ。
正しい主張をしたと仮定して「これはひどい」と言われるのはどのような原因が考えられるだろう?

  1. 読んだ人がみな馬鹿で主張を理解できず「これはひどい」と言った

  2. 読んだ人がみな結託してネガティブコメントを書いている

  3. 読んだ人のうち最初の数名がネガティブコメントを書いたため、叩く空気ができ、同調圧力で皆が叩いている



ここからして一番ありそうなのが抜けている。それは「読んだ人は馬鹿ではないが、主張を理解できなかった」である。たとえばこのエントリが典型的な例である。

L.starは今回、一度もどちらが正しいかという話をしていない。どちらでもいいのである。一方的だというのは、双方向に働かない(働きづらい)という意味だからである。ところが、一方的の意味がいきなり変わって、一方的な「攻撃」と補完されている。だから文面の内容は「はてブは一方的=はてブユーザははてブを通してページを一方的に攻撃している」と摩り替わる。例として出てくるのは「これはひどい」である。

かくしてL.starは「一方的」という単語とはてブを組み合わせるとこのような補完をされうる、という教訓を得た。問題は自説が正しいかどうかではない。通じるかどうかである。そのためにはより正しい言葉を選び、より適切な概念に立脚して文章を書かないといけない。あるいはそれでも補足しないといけない事態になりうる。

あるいは、まったく通じない事態になるほうが多い。通じないのは行間が読めないからで、読めないのは読める素養がないからである。読める素養は勉強、主義主張、経験、時代などから培われるが、そのバックグラウンドが異なると読めない。行間を勝手に補完してくれることを期待する向きには「なんでそこに食いつくの」になり、補完できないほうでは「わかりもしないのに何を言う」ということになる。あるいは「空気」といってもいいかもしれない。

たとえば去年の「10年は泥のように働け」発言を取ってみよう。これは50代ぐらいにとっては非常にわかりやすい概念である。かれらの生きた時代は、これを肯定しないと生きていけない時代だったし、それに見合った褒章があとであるだろうという事実を共有できた。ところがL.starのようなロスジェネ世代の大半は、あとで報われる可能性が低いことが骨身にしみているから、この意図を理解できない。さて、正しいのはどっち?正解は「時代による」としか言いようが無い。

コミュニケーションパスが拡大し、人口も増えていく中で、旧来の空気はどんどん時代遅れになりつつある。もちろんこれは常に起こっていることであるが、スピードを上げている。そんななかで、新しい「空気」がきっと求められているのだろうなと思う。そこには正義はどこにも無い。よりたくさんの人間が同意形成をできるかどうか、ということだけが問われるだろう。