なんでも才能のせいにするなよ - 狐の王国.

またまたKoshianに喧嘩を売っているようで仕方がないが、これを読んで昔読んだLifehacker.jpの以下の記事が脳内でリンクした。 ちょうど書きかけで死蔵していたので、これを機に加筆して世に出すことにしよう。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則



全てのグループでバイオリンを始めた平均的な年齢は変わらず、「スタートが早かった」効果はグループでみると無視できました。それに対して練習量は、他のグループは同じ年齢で 8000 時間、あるいは 4000 時間にしか達していなかったのに対して、ソリストになりそうなグループは計10000時間ほど、一週間の練習量も他のグループよりも飛躍的に高かったのです。

面白いのは、彼の調査によると「練習をせずに天才的才能を発揮する」人も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者も見られなかったのだというところです。

この「10000時間やればいっぱしのプロになれる」というのは、L.star自体もだいたい同意するところである。実際プロになるにはそのくらいの努力はいる。一方例で言うとソリストの中でも超一流、コンピューターで言えば超級ハッカーになりたければ話は異なる。これは「才能」と「運」の世界になるが、そのレベルの話はこのエントリでは省く。

L.starも、実際プログラミングというかコンピューターのことについては四六時中考えているし、それを考えたら、はっきり言って10000時間では足りない。ただ、正味プログラミングに費やしたのはまだまだ足りないかもしれない。まあ元記事に戻ると、凄腕のレジなんて、ちょちょんと10000時間も修行すれば誰でもなれるたぐいのものであり、100年たっても追いつけないような類では決してない。

そして、これを2008年話題のキーワードで読み替えると、「10年間泥のように働け」となる。だから10年間必死で働けば、たいていの人は一人前になれるのだ。これが日本の大企業の強みであり、「泥のように働け」肯定派の主張の根幹である。

これは「泥のように働いた」結果何になるか、というのを無視すればまったく正しい。しかし、そこが一番の問題なのだ。IT業界の場合、コンピューターのスペシャリストになんてなりはしない。全銀協手順とか社内Javaフレームワークのような基盤と、パートナー人脈や社内政治のスペシャリストになれる。これは社会の未来を作るスキルではない。社会の今にパッチを当てるスキルだ。それどころが、会社が変わるとたちまち役に立たなくなるものであり、会社が信用できないような状況では取得したくもない。

そして、社会が腐っていると感じられるのに、それにパッチをあてて未来永劫維持したいという若者がいるものか(老人ならいる - 「先送り」でなんとかなればいいから。)これが世代間の空気差となって現れている。

話がずいぶんずれている。

累計10000時間の努力が誰にでも出来るかというと、実はほとんどの人には無理だと確信している。それを支えるためには体力、精神力、環境など全てが問われる。業界が閉鎖的だったり嫌な空気だったらやる気を無くして脱落する。個人が病弱なら健康上の理由で脱落する。転勤して良い環境から離れてしまったら脱落する。理由なんていくらでも転がっている。L.starは昔芸術をやってたせいもあって、自分がコンピュータを続けられるのがどれだけ幸せか理解している。

  • 資本があまり必要ない。身体能力もそれほど必要ないし、マシン台もたかがしれている。

  • 実行することで、他人に迷惑をかけることが少ない。騒音も発しない。

  • 仕事にすれば生活するだけの金が稼げる。衰退傾向にない。

  • 個人的にやりがいと意欲がある。一日中机の前に座っていても苦にならない。

  • コミュニケーション量が自分に合っている。個人的に積み上げる作業が主であり、常に膨大なコミュニケーションが要求されるような類ではない。

  • 業界の状態があっている。すでに確立した権威は多くないし、それほど閉鎖的ではないし、技術トレンドは発散傾向にある。


無論これは「L.starにとって」であり、他の誰かにとっては同等ではない。しかし、これら全部に適合し続けるよりどれか一つが外れる方が簡単だ、というのは分かっていただけるかと思う。逆に言うと、こういう条件をすべて満たして(無意識であれ意識的であれ)時間を積み上げ続けられることこそ、その人の才能と言っても良いかもしれない。

最後に一言でまとめると、自分に言い訳する必要無しに10000時間続けられるものを探しなさい、ということだ。