一生涯技術者で居たい、と言う人は少なくない。そういう宣言をする人も結構いるのは知っている。それは個人の選択であるし、大変立派な志だし、貶めるつもりはかけらもない。しかしそれを理解した上で、L.starは逆に「一生涯技術者であり続けると考えるのは辞めよう」宣言をしようと思う。個人的な3つの理由をあげよう。


  • 宣言によって、地位にしがみつくのが目的になってしまう。




目的と手段をすり替えてしまうと言う点で、一番気をつけなければいけないのは「しがみつく」ことだろうと思う。自分は世界に貢献したいのか?世界を汚してさえも我が侭を貫きたいのか?あくまでそういうとき、自分は前者を選べる人間であって欲しいと考えている。「一生涯技術者やるんだ!」という意志は、そのとき大きな妨げになる。なにも「50で引退する」と宣言したい訳じゃない。引き際を間違えたくないだけなのだ。その上で一生技術者を出来たなら、これは大変幸運なことだったと思う。

そもそもこの業界においてはあまりにも流れが速く、自分の「正しい」と信じていることが流れとともに否定されることも増えている。こんな状況において、常に前線で尊敬される存在であることは大変に困難である。幸運にもそれができればいいと思っているが、そうでなくなったとき、自分に冷静な行動が取れるかどうかは、技術者であり続けるよりずっと大変で大切なことなのではないか。


  • 技術だけで生きていく器ではない。




世の中には大まかに2種類の人間が居ると思う。それは「狭く深く」か「広く浅く」かどちらか、と言う話だ。狭く深く攻めるのはもちろん大切だし私も好きなのだが、残念なことに私は「広く浅く」タイプに生まれついてしまったようだ。正直、学者肌の方々には勝てない。そもそも、いわゆる「ガチガチの理系人間」ですらないのだ。

ならどうするか?もちろん自分の土俵で勝負するしかないのだ。それには「技術者」という枠組みを離れて考えなければいけない。広い範囲で勝負するしかないのだ。そのためには技術は常に自分の一つの有力な武器であるのは忘れないでいながら、もっと別の武器も持たなければいけない。そして、そちらが有力な武器になるなら、技術を捨てる決心が出来るだけの視野の広さを持たないといけない。


  • 常に全体の利益を考えたい。




上記2つをふまえて言うと、私が技術者でありたい最大の目的は「技術によって世界に貢献し、世界と自分のWin-Win関係を築くこと」なのである。だから、自分が居なくなることが全体の利益になるかどうかも考えなければいけない。広い視野を持って世界のために働きたいのなら、その時々で一体自分が何をしているかなんて、実にちっぽけなことじゃないか。

まあ、こんな風に考えているのである。もちろんこういう考えを「意志薄弱」とか言う人もいるのだろう。でも、逆に問いたい。「意志があれば世界は良くなるのか?」と。私は自分に意志があるかなど問いたくない。そんなものはどうでもいい。問いたいのは「世界の役に立てるか」だけである。

ちなみに、非常に漠然と将来の技術者以外の道として思い浮かべているのはファンタジー作家だ。おじいさんが子供に語って聞かせるような物語調が素晴らしいDavid Eddings(1931生まれ)は、51歳の時に出世作Bergariadシリーズを上梓し始めている。

http://en.wikipedia.org/wiki/David_Eddings

なんだ、それに行き着くまでまだ15年以上もあるじゃないか。なかなかどうして、36で死ねるほど人生というのは退屈なものではないのだ。