2014年06月

ゲーム史的に正しい「ドラクエが日本で生まれたわけ」


に引き続き、「マリオ」正確には「スーパーマリオブラザーズ」が、本当に日本で生まれる必然性があったのかについて考察してみたいと思う。ところで考察すべき点は2つあって

  • 日本初のアクションゲームはレイヤーで考えられているのが、米国発のはパースペクティブで考えられているのが多い

  • 「マリオ」が日本で生まれる必然性はどこから来るか


になる。

 

まず最初に前者をさっさと済ませてしまうと、スクロール系アクションなどで多重レイヤーで奥行き表現を出す手法を日本人が得意としたか、というと完全にそのとおりである。

「ラスタースクロール」と呼ばれる手法などを駆使し、美しい多重スクロールを実現したのは横スクロールでは、ムーンパトロールが最初と言われている。また縦においてはゼビウスこそ使ってなかったが、その後の雨後の筍のように出てきたものの中には、そういったゲームが大量にある。こういう多重スクロールを駆使した二次元シューティングゲームは、当時の日本人の独壇場とも言え、スーパーマリオブラザーズの時代にはもう確立していた。ただ一つだけ突っ込みたいとすれば、これは元々はマルチプレーン・カメラという戦前のセルアニメなどで使われた技法からの発展で、米国の方で元々は使われていたと思う。

 

しかし、次の問いになると首を傾げてしまう。ドラクエの場合、RPGでは米国がはっきり先行しており、WizとUltimaのいいとこ取りという日本独自の取り込み戦略が、あの形に結実したのがはっきり分かるため、順序がはっきりしている。アメリカは先に本格的な方向に進み、日本はそれをデフォルメしながら追いかけた。

ところが、アクションゲームは日米双方でしのぎを削っていた分野である。同じプラットフォーム系のアクションゲーム、というくくりにおいてもマリオ程ではないとしても歴史的大ヒット作のPitfall!がある。例えばPitfallシリーズからスーパーマリオの地位を占めなかった可能性は、決して少なくなかったかもしれないと思うのである。そこにはいかなる必然があったのか?無いとしたら、単純に偶然競争に勝てただけなのか?

だから今回は「マリオに匹敵するエポックメイキングなゲームが米国で生まれなかったわけ」を考察したい。

 

ところで仮に必然であったとすると、以下の様な選択肢が考えられる。

  1. 米国人は、別のカテゴリを開拓するのに夢中だった。

  2. 米国人は、日本人開発者より優秀ではなかった

  3. 米国人は、マリオにチャレンジできるようなゲームを作れる状態になかった。


潰せるものから潰していくと、(2)の優秀な人材というのは、もちろん居なかったわけではない。例えばマリオの宮本氏に匹敵する評価を今日受けている数少ないゲームデザイナーの一人であるWill Wrightのデビュー作は1984年の「バンゲリングベイ」である。後にプラットフォームゲームのプリンス・オブ・ペルシャで評価を受けるJordan Mechnerも同じ年にあの「カラテカ」を出している。

そして(1)の別カテゴリだが、アクション系については、これがたいして見当たらないのである。この頃のアメリカから出てきた2次元アクションのゲーム、などというものはなかったかのようなぐらいないのである。残るは(3)だが、そんな状態になるような大きな出来事がなかったかというと、実はあったのである。スーパーマリオブラザーズのデビューは1985年。その2年前にあの「アタリショック」。その衝撃から米国のコンソール業界が立ち直ることは、ついぞなかったのである。

 

一応説明しておくと、この当時のゲームが出来るプラットフォームは、だいたい3種類に分けられる。安価なゲーム機は、貧弱なCPUとメモリしか積まなかったが、ROMカートリッジと、アクションゲームを動かすためのハードウェアスクロール機能やスプライト機能、つまりはグラフィックのハードウェア支援が強力だったため、アクションゲームを作るのに非常に適していた。高価なPCは、CPUとメモリは強力だが、ハードウェア支援は貧弱で、絵は綺麗だが高速な画面書き換えは苦手。そしてその中間に、ホビーにも適したPCというものが存在している。当時の日本で言うと、順にファミコンやセガMk3のようなゲーム機やアーケード、PC-8801/9801などのパソコン、MSX、と言ったあんばいだ。当然作られるゲームも棲み分けされ、ゲーム機ではアクションが、PCでは演算能力を活かしたRPG,シミュレーション,3Dアクションなどが主流であった。

この状態でゲーム機が全滅したのだから、まともなアクションゲームが作れるはずもない。例えば先程のカラテカは、最初にAppleIIでリリースされている。当時のAppleIIはリリースから何年も経っており、控えめに言ってもファミコンより大分貧弱だった。それを使わざるを得なかったのである。

実際にどんなゲーム機で、どんなゲームが当時リリースされたか、ちょっとWikipediaで調べてみると、愕然とする。

List of console game franchises

は、コンソールゲームで有名なシリーズ物ゲームが、最初に登場したハードウェアごとにまとめられている。ちなみにアタリショック以前のものは米国では第二世代、2nd generationに、ファミコン(=米国ではNESと呼ばれる)は、3rd generationに属する。2nd generationで、日本には有望なゲーム機があまりないとはいえ、それなりに日本初のシリーズが見て取れる。しかし3rdになると、米国産のゲームの数は絶望的なほどに少ない。試しに知らないシリーズを調べてみると、結構な割合で日本のもののローカライズ品だったりする。

このように、マリオに匹敵するアクションゲームを作る余地は、当時のアメリカには全くなかった。むしろ、優秀なアクションゲームを作れる基盤は日本にだけあったといえる。宮本氏が素晴らしいデザイナーであった以前に、もう戦略的圧勝、マリアナの七面鳥状態。

 

というわけでマリオについても独自の考察をしてみた。日本文化と2Dの親和性の存在を補強する証拠はあるものの、それはあくまで副次的要因にすぎず、それ以上に外的要因が大きかった、という印象である。L.starはそもそも最初のコンソール機がプレステで、コンシューマー方面はあまり得意でなかったので、PC方面が最前線だったRPGに比べて苦戦するだろうなと思ったら、意外な方面から回答をもらってしまった。

しかし、アタリショックの原因とかはいろいろ言われているが、影響の大きさには今更ながら驚いた。この失敗を挽回できるコンソールの発表まで結局20年かかっている計算になる。日本メーカー凄い、と思っていたが、実際にはアメリカの自滅っぷりがもっとひどかったんだなあ、と今更ながらに思わされた次第である。

 

 

チームラボ猪子氏が語る「マリオやドラクエが日本で生まれたワケ」


というのがよく荒れておりました。荒れる理由はゲーム史に対する不理解で、例えば以下の文面はゲーム史論文などというテストがあれば0点です。横スクロールアクションとしてのスーパーマリオブラザーズは、もちろんゲーム史的に非常に重要なマイルストーンではあります。しかし、実際には最初どころがわりと後発です。
一瞬話変わるんですけど、これはマリオ。僕の大好きなマリオ。実はマリオというのは世界で一番はじめに、世界で初めて横スクロールアクションという概念を生み出して、実際世界中で大ヒットしています。世界中の人々はマリオを生んだ人に対して、天才なんじゃないかと、神のように賞賛しています。でも考えてみてください。マリオを生んだ人は京都にいて、京都は伝統的な日本の空間の認識によってデザインされた空間に溢れています。もしかすると毎日の生活の中で、自分の生活に対していつも世界は横側にあり、その横側にある世界はレイヤでデザインされていて、普段の生活の中で見ている風景を、そのままゲームという世界に落としただけなのかもしれません。

日本人はレイヤーで理解するから俯瞰的で、欧米人はパースペクティブで考えるから一人称視点、というのは分からなくもないです。例としてFPSが出ていますが、一人称視点でリアルを追求するのは実際に米国の一人勝ちです。しかしよくよく考えて本当にそうなのかというとそれだけじゃないでしょう、という気もする。じゃあ本当にゲーム史から考えるとどうなるのか?というのをつらつらと考えてまとまったので、今日は「ドラクエ」について書いてみます。つまりJapanese RPGとしてのマイルストーンのドラクエの「日本らしさ」について、です。

まずRPGですが、サラブレッド三大始祖ならぬRPG三大始祖があるとすれば、以下の3つでほぼ決まりでしょう。これらは、すべて「米国製」で、RPGという概念がそもそも輸入であることがわかります。

  • Rogue
    ランダム生成の俯瞰的ダンジョン冒険ゲームで、ほとんどすべてのダンジョン生成式RPGの始祖。

  • Ultima
    俯瞰2Dのフィールドを歩きまわり、複雑な戦闘をこなすタイプのCRPGの始祖。なおダンジョンは3D

  • Wizardly
    3Dダンジョンを冒険し、クイックな選択式の戦闘を行うタイプのCRPGの始祖。


あとはこれをどのように解釈して輸入していったかということになりますが、まずUNIX発祥でメモリリソースをバカ食いするRogue型が日本で導入されるのはかなり後で、有名所ではトルネコの大冒険あたりですので、今回は除外します。残る2つ、UltimaとWizardlyは当時のほとんどすべての日本(国産)RPGに影響を与えており、ドラクエも例外ではないどころが、影響を色濃く受けていることを公言しています。ですので、これを「どのように消化したか」が、日本らしさの見せ所になるのでしょうか。どのように、というと、初期のRPGでは3つの点があげられるかと思います。

  • 補助的な冒険の舞台であるフィールドは2Dか、3Dか、そもそも存在しないか

  • メインの冒険の舞台であるダンジョンは2Dか、3Dか

  • 戦術の見せ所である戦闘は、2Dによるタクティカル・コンバットか、単純画面・選択式のクイックコンバットか


そもそもTRPGを、特にD&Dの影響を色濃く受けて誕生したCRPGは、「ダンジョンに入ってお宝を持って帰る」というのが基本的なスタイルでした。その中で視覚情報を元に自分でマッピングをしながらプレイする3Dは、どちらかというと本格的、というイメージが強かったのは確かです。例えば、国産初のRPGと呼ばれるブラック・オニキスは「フィールド(街):3D、ダンジョン:3D、戦闘:クイック」を選択しました。大分あとになりますが、国産のTRPGから展開した本格RPGである「ロードス島戦記」も「フィールド:2D、ダンジョン:3D」を選択しています。

特にグラフィック描画を行う場合、2Dの細かいドッド描画は大変なこともあり、初期には直線だけで書ける3Dが流行りました。これが高性能化するにつれ、確かに2Dは増えていきます。本格的な2D RPGというと、夢幻の心臓あたりでしょうか。

また、日本では「ドルアーガの塔」「ハイドライド」「ドラゴンスレイヤー」を始めとする、アクションRPGというジャンルが勃興します。これはアクションゲーム(通常全方向スクロール)に対して体力、攻撃力、防御力、経験値といった「RPGっぽい要素」を付加したもので、3Dがリアルタイム描写が難しいことから、主に2Dでした。こういったゲームは当時の8ビットパソコン(PC-8801等)でリリースされています。アクションRPGについては、ゼルダの伝説が決定的なマイルストーンでしょう。これも全編2Dです。

さてファミコンでリリースされた初期の傑作RPGとも言える ドラクエは「フィールド:2D、ダンジョン:2D、戦闘:クイック」を選択しています。この頃になると、2DのRPGもそれなりに普及しており、当時の国産RPGとしては実は保守的なものです。ドロー式のグラフィックを考慮しない、アクションゲーム向けのハードウェアの制約を考えると、2Dのほうがやりやすかったのでしょう。後には3Dダンジョンのファミコンゲームもいくつか発売になりますが、全編3Dなのはドラクエから半年後、しかもディスクシステムの「ディープダンジョン」になります。技術的な制約も大きかったせいか、基本的にはコンシューマー機のRPGはしばらく2D主体で進みます。ファイナルファンタジーなどもその一つです。

一方米国では、3Dが優勢です。Ultimaは確かに2D RPGの生みの親でありますしその後もかなり長い間影響力を持ちますが、当時の米国の本格的RPGの多く、例えばWizardlyやUltimaと並び称されたMight & MagicやBard's Taleなどは「フィールド(街):3D、ダンジョン:3D」です。 米国では引き続き本格RPG=3Dの図式が続きます。日本のアクションRPGが2Dアクションの系譜から進化したのに比べ、「ダンジョン・マスター」が決定づけた米国のリアルタイムRPGは3Dです。

例も出したとおり、日本で3Dが流行らなかったわけでも、アメリカで2Dが出なかったわけでもありません。しかしながら、確かにアメリカは3D,日本は2Dという傾向がはっきりと見て取れます。これはもう一方でアメリカのRPGは硬派で本格的、日本のRPGはカジュアル、というイメージにもつながります。

もう一つ言えるのは、アメリカ=TRPGの延長で自分がプレイするゲームであることを望んだ、日本=エンターテイメントとして物語を楽しむ、というところかと思います。TRPGの延長である米国のRPGは概ねサブクエストが充実しており、一本道には程遠い部分があります。他方日本では、サブクエストの豊富なRPGは、PC-98後期の「ソードワールドPC/SFC」や「英雄伝説4」など素晴らしい物がありますが、やはり主流とはいえません。あくまで物語的に楽しむサブゲームとしてのお使いや戦闘があります。この点でも、「日本=俯瞰的」「欧米=一人称視点」というのが見て取れるのではないでしょうか。

駆け足になってしまいましたが、実際に日本と欧米でRPGの進化に差があることをゲーム史的に並べてみました。たしかに一定の根拠があるように思えますね。ただ、一つだけ気になるのはドラクエの主人公、喋らないんですよね。これは主人公を一人称視する手法だというのは間違いないですが、たしかに若干ずれている気もします。

P.S.

あくまで自分なりに思索を巡らせてみたものなので、誤認の指摘、補強する資料の提示、追加の視点などのコメントは歓迎します!

 

 

 

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