2014年04月

エンタープライズ、というといつも最初に浮かぶのは航空母艦なわけだが、SI業界ではだいたい「大規模系」とか「基幹系」という言い方が多そうな。もちろん日本のITの業界の中でも、特に上流としては給料も高い花形ではある。¥ITの進歩に取り残されていくのではないか、という強い危機感を持っている人もいる。


そのあたりから、WEB業界の勉強会に顔を出すようになったのですが、WEB系のエンジニアと、エンタープライズのエンジニアの歴然とした違いに驚いたんです。WEB系の人は、コーディングから企業の経営まで興味を持ち、技術の吸収にも貪欲です。一方エンタープライズの人たちは、上流工程なら上流工程だけ、プログラミングならプログラミングだけ…と仕事が細かく分割されていて、他人の領域にはあまり興味を示しません。


僕はそもそもエンタープライズ側の人間なので、そこに大きな危機感を覚えました。どうしたらエンタープライズ系のエンジニアがもっと自ら学び、WEB系との競争力を得ていくことができるのか。



エンタープライズ系とWeb系というくくりが漠然としているので、これを見て違和感を覚える人もけっこういるだろう。とはいえ、意味がぶれては困るので、本エントリでは上記の文章に会うような形でエンタープライズ系とWEB系という単語を再定義して利用する。従って、一般の定義と異なる点に留意して読んでいただきたい。例えば、有名なインターネット系企業がエンタープライズ系にみなされたりするだろう。


で、このへんの違和感をもうちょっと書き変えると楽しい釣り記事に化けるからあら不思議。よ。さん爆釣おめでとうございます。


エンタープライズ系とウェブ系


驚くほど沢山の人がこれを単なるエンタープライズ系Disと見ていてびっくりするが、そもそもエンタープライズ系という言葉がたしかに侮蔑的な響きを若干含まないではなく、


エンタープライズ0.2 - 進化を邪魔する社長たち -


などという爆笑もののコラムもあるぐらいである。しかし、上の記事の危機感と重ねあわせると、まあ納得はいかないでもない。ただし、よ。氏がこの文章をdisとして書いたわけではなく自分なりの思考実験として書いたのだろうな言うのはわかるし、ほぼ正解だと思う。え、どこがだって?











服装 スーツ Tシャツ

ここ。要するにこの問題は、古典的な宗教戦争であるスーツvsギークにマッピング可能だ、という話でしょう。まあ単純にスーツvsギークで置き換えられる話では決して無いんですが、本質的にはここです。

だから、L.starとしては「エンタープライズ系」の人たちが「WEB系」みたいに勉強会に出て熱心に勉強するようになる方法とか、実はあんまりないと思っています。「WEB系」ってのはギーク、つまり伊達と酔狂で世界を良くするためにしがらみ無視してコード書くような輩なのです。仕事で書いてる人たちとはモチベーションの出処が違いすぎる。まあそんなこと言ってると「エンタープライズ系」の中でも特に心無い人たちから「酔狂でやってるんだったら給料とかいらないよね」とかありえない反論受けたりするわけですが、完全に違法ですのでそこのところよろしくと言い返したいし、そもそもじゃあお前が酔狂でただ働きしてから言えよ、という身も蓋もない罵詈雑言のあびせあいになりかねない。

やや脱線したが、ちなみにこのブログでは、このへんを騎兵vs歩兵という言い方で表現している。以下のエントリが一番詳しい説明だろう。

ブラック企業 vs ハイテクノマド:最後まで立っていたほうの勝ち




1つ目は、「多数が団結することでスケールメリットにより成果を出すのが最良である。故に個人が多少なりとも不便であっても、全体としての収支のために足並みをそろえて協力するのが一番」というやりかただ。スケールメリットは、どの時代においても常に強力な武器であるが、同時に大多数が協調動作するのは常に困難だ、という欠点がつきまとう。大企業などははっきりこのモデルなのだが、ここではいつもの比喩になぞらえ「歩兵型」と呼ぶ。


もう一つは、「少数が強みを生かすことによる精鋭型が最良である。故に協力関係とかは重視せず、個々人が最大限のパフォーマンスを出すことに集中すべき」というやりかたである。このやり方では、確かにスケーリングすることは難しい。しかし、個人の能力の技術によるブーストが大きくなれば、スケーリングのような阻害要因もなく強力な威力を発揮する。こちらは「騎兵型」と呼ぶ。



さっきの「どうやればWEB系の人のように最新技術を自主的に学ぶようになるか」にまじめに戻ろう。いや「みんながみんな個人の時間削ってまで勉強するほど意識高い人じゃない」というのも事実だと思っているが、それだけでは勉強熱心な人材がWEB系に偏っているように見えることが説明できない。むろんそんなのは「見ている人の範囲が狭いだけ」ということもできよう。しかし、そこには論理的な説明もある。


個々の個人が歩兵のように動くか騎兵のように動くか、というのは完全に属する組織に依存している。歩兵としての行動をすべきなら、騎兵のように個々のパフォーマンスに頼った行動をすべきではないし、全体に沿った動きになるために道を外すべきでもない。だから、個々の個人が騎兵のようになろうとすることはありえない。それゆえ、エンタープライズ系の人は、組織全体のスループットを最適化する最善の選択肢として、唯々諾々と指示に従って自主性を発揮しない。


じゃあなぜWEB系がそれを取り入れられているのかというと、歴史的経緯としか言いようがない。


エンタープライズ系の世界は、汎用機の時代から続く古い文化から枝分かれしている。最初のころには、プログラムを設計する人と入力する人が別で、デバッグは机上で行ってから入力を依頼して翌日パンチカードが完成、みたいな気の遠くなる作業が必要だった。勢い、プログラムの生産性を向上させるためには分業が欠かせない。設計、実装、入力、テスト、レポート、みたいな分業は当たり前になるし、それが多数のチームで分散することになる。そうしないと、プログラム投入にかかるレイテンシを削減することが難しくなる。そう考えると、歩兵型文化はむしろ当時の歴史的必然から発しているとも言える。


一方WEB系はもっと後発の技術が中心で、極端に高度化された例では一人がコードを書いたら自動でテストが走り、シェル一発でHerokuの新しいインスタンスが出来て自動で本番デプロイ完了、ぐらいの勢いのある世界にいる。このような世界では、一人が技術的に習熟してなんでもやってしまったほうがコンテキストスイッチやナレッジの転送が入らない分絶対に速いはずである。それにインターネットはフリーソフトウェアムーブメントなんかを源流にもつ全世界的に広がるオープンな非常に騎兵的な文化から発祥しているため、そもそも騎兵型と親和性が高いのである。とはいえ、WEB系といっても全ての企業がその恩恵に浴していないわけではない。そこはまだ過渡期だから、ということだろう。


じゃあエンタープライズ系がWEB系になればいいよね、というのがおそらく唯一の選択肢なのだが、簡単ではない。そもそも既存の大量の基盤がエンタープライズ系として存在しているのを、どうやって移行するかという問題がある。単にコードやツールの問題だけではなく、そこには規約にしろ政治にしろ体制にしろ、すでに記述されてしまった文化があるのだ。それは恐竜が’鳥類になれないぐらい決定的な差である。それを置き換えよう、というかWEB系の技術カルチャーでエンタープライズ系の要件を再実装しよう、という流れは例えばSalesforceみたいなのがあるとおり、色んな所で存在している。この10年ぐらいでひょっとして答えが出てくるかもしれない。

 

 

中途半端なグローバル教育に煽られて幼年期に英語を教えるよりも、しっかりとした「日本語脳」を育てるべきだ

という記事が目に入ったので。L.starにも娘がいるが、今のところオランダ生まれニューヨーク育ちという自分とは似ても似つかない経歴の持ち主になっており、子どもの教育という面では色々考えることが多い。

海外在住組はやはりその事情が事情なので、「まずはしっかり日本語から」という上記のURLに沿う形のものと、「せっかくだから海外でしか学べないものを」の大体二派に分かれている。まあ言い争いとかになることはほぼ無いが、みなさん自分なりの考えをお持ちである。

・・・と言うのを考えながら上記を眺めて「ああ、まずはしっかり日本語派の意見でも出てきたかなあ」と見ると、さすがかの東洋経済オンライン炎上事件で有名な原田武夫氏の面目躍如というべき、まさかの右脳左脳論が出てきて飛び上がってしまった。右脳左脳論は、例えばぐぐって出てきただけでも

「右脳派」「左脳派」は都市伝説だった! 人に“利き脳”はない:研究結果

科学的に偽りであることが証明された脳に関する9つの迷信

なんかでもあるように、すでに学説的には完全に否定されている。L.star自身はMind Hacksで読んだが、少なくとも10年前には都市伝説的なものだという話は出てきていたように思う。びっくりするほど今更である。述べられている学説自体も正直それを意識して読めばトンデモが否定されたというだけのことがわかる。ただ、巷の「右脳左脳説」などが未だにあるように、引っかかりやすい理論だなあ、とは思うのでここに記しておく。なにがしかの正しい知見が含まれているかも、という点は否定はしないが、正直STAP細胞のほうがよっぽどありそうに感じる。

さてバカバカしい記事のデマ指摘だけやってもつまらないので、ついでに自分の考える「子供に英語を教えるべきか」論でも余白に残しておこうかと思う。

ちなみにL.star家は中では日本語だが、これは別に「教える当人たちが日本語が一番上手なのだから日本語で」という程度であり、そこまでしっかり日本語をという点を意識したことはない。そしてどのみち外で英語とかは身に付けるのであるから、それはその時プロから学べばいいのである。逆に言うと、これが日本だったら、自分で積極的に英語を教えたかもしれない。

ただそういう教え方をするときにひとつ気をつけるべきなのは、「自分に教えられないものは、どのみち身につけさせることはできない」ということだと思っている。結局のところ、子供は親から学ぶので、親が教えられないようなものを継続的に教えるのは困難だし、お金でその部分を補完するのも限界がある。だから、無理して背伸びして他人の求めることを英才教育する必要はないと思うのである。親が社会が教えられないものは、結局のところ本人が自分の興味で学ぶしか無いのだから。

そういう意味では、結局のところ本人の興味が一番重要で、親が何を教えるかなんてわりとどうでもいいことなのだろう、とは真剣に思っている。親とは、子供の興味を最大限に引き出す存在であることが一番で、それ以上でも以下でもないと思っている。

そんな中で何かひとつ学んでほしいものがあるとすれば、「日本人脳」に凝り固まらない考え方、だろう。欧米で暮らして学んだ重要なことに「日本人はAと考え、欧州人にとってはBで、アメリカ人にはCであることが当然である」のようなことが、そこら中にゴロゴロ転がっているのが世界だ、というのがある。それは日本だけで生きているとややもすれば見逃しがちなものであり、また単に日本人であることを学ぶよりもはるかに難しいことであった。

もちろんすべてのことを学ぶのはよりコストの掛かることなので、必ずしも良いこととは限らない。ただ、自分の目の前にあるたくさんの真実を咀嚼して考えることのできるのは、それ以上に重要な事だと思う。Larry Wallの座右の銘は”There's more than one way to do it”である。それを教えるにあたって、やはりまずはmore than one wayの存在を教えてあげるのが仕事ではないだろうか。世の中には人の数だけ真実がある。日本だけなら1億かもしれないが、世界だと70億なのである。

いやそう言いつつも、真実はそんなに多くないのかもしれないと思うことはもちろんありますよ。少なくとも、原田武夫氏が思っているほとには、ね。

 

 

巷ではSTAP細胞が話題になっていて、会見があったり大騒ぎです。そもそも悪意がないことを立証したとしても論文として致命的なミスをいくつも犯してるわけで、僕は嘘はついてないけど馬鹿です!というのはちょっと落とし所としてどうかな、という気がしています。

そもそも元々ハーバードの人のアイデアが10年間も再現されていないのを日本人が取り上げて論文としてなんとかした、というのはそこに何か欧米人には受け入れづらい概念であっても日本人に親しみやすいゆかりがあったのではないか?そんな愚にもつかないことをつらつら考える春の一日ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

そんな渦中のSTAP細胞ですが、日本でも4月になって再現失敗のニュースがあるようですね。

1週間で辞めたっていいじゃないか! 「入社3年は働け」に読者反発


若いって素晴らしい! 入社1週間で「新入社員来ない」続出


STAP細胞のアイデアって、要するに「過度のストレスを与えれば洗脳リプログラミングされて、万能性を発揮する」という話ですが、それは実際には選別だとかコンタミだとかいろいろ言われる部分があって、まあ再現しているという話であれば、その証拠をまず見せるところが重要なのではないでしょうかねえ。

え?「お前が貼ったそのURLはSTAP細胞のリプログラミング実験失敗じゃなくてBLACK企業の洗脳失敗の記事だ」だって?

・・



・・・

そんじゃーね!


 

 

どこかの選挙事務所に就職した人が4日で辞めたという話がバズっています。以下のあたりが火元ですが

責任感のない人たちが、世の中の「好意のバトン」を落とすこと


目標を持って頑張った人と、突然消えた人


まあ辞めた人が適正がなかったとか折角のチャンスなのに情けないとか、そういう話で済ましてしまえば全て丸く収まる話だとはいえ、いつもこの手の話をみると、上の方から語る人に一つの視点が抜けていることが気持ち悪く感じます。それは「人間はストレスを掛けすぎると壊れる」ということです。L.starの知る世間一般では物を壊すと壊した人の責任ですが、人を壊しても壊れた人が悪い、という話になります。不思議です。

日本でこの「ストレスをかけ過ぎると壊れる」というのが認識されないのは簡単で、日本の成功者の殆どが「過度のストレスを耐え切った」選別された人たちだからです。でも当人は選別されたと気づいていません。自分の回りにいるのが選別された人ばかりだから、世の中の人はみんなこんなものだと思っています。弱い人がいるとは全く思わないので、そういうのにぶち当たると異常にしか見えません。苦労して成功すれば成功するほど、この傾向は強まります。雇用者が松田公太議員と聞いてむしろ納得です。

同じような話は、以下からも感じました。

入社2日目の明日から試して欲しいこと


これもバズって大変なことになりましたが、岩瀬氏の思いのなかには、正しい部分がたくさんあります。一方で、彼は人より優れていたから成功したのであって、普通の人は彼よりもずっと無能だし、脆いものです。その上、人の弱さとはボトルネック的なもので、何か1点でも問題があると底が大きく足を引っ張ります。だからこそ、努力をし続けることは並大抵のことではないのです。

L.starは面識は無いけれども、岩瀬氏は(平凡な人と比べると)とても優秀でタフな努力家で、しかも幸運なことに目立った弱点も(そんなに)持っていないことでしょう。その上意識が高いから友人にもそういう素晴らしい人材に恵まれていることでしょう。だから、普通の人がそんなに脆いことには気づけません。

そんな人のアドバイスを聞くのは、平均的な人にとって危険なことです。

平均的な人に必要なアドバイスは、むしろ平均的なところから努力して、程よい上まで辿り着いたような人からのアドバイスです。そういう人こそ、むしろ凡人が陥りやすい罠の回避法とか、根性のない人が人並みのふりを出来るぐらいの努力法とかをむしろ教えてくれるわけです。そっちのほうがよっぽど重要です。

もちろん、挑戦することは大事ですし、時には大きな賭けも必要になります。しかし、それをやるにしても、一番重要なのは本人のサステナビリティです。心ない上司からの無茶振りや他人の尻拭いで自分の精神を壊すようなことは、まっさきに避けなければいけません。

そういうのをいろいろ考えていくに、今若者に必要なのは「無茶でない挑戦」をできるよう指導してくれる「師」を探しなさい、ということかなと思ったりします。「師」は上司とは限りません。同僚かも、伴侶かも、友人かもしれません。大切なのは、あなた個人にカスタマイズされたものが必要だということです。

 

 

 

 

 

 

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