日本の電気自動車「エリーカ」が米国の「テスラ」にこれだけ差をつけられたワケ

ワケを説明するわけでもなく釈然としない内容なんだけど、以下の一文に大変ビックリした。
資料を読んだ限りでは遙かに先端的な「エリーカ」が、技術的には余り特徴があるとは思えないテスラにこれだけ引き離されたしまったの何故か?

なぜびっくりしたかというと、その答えはあまりに簡単だから。「エリーカ」がはるかに先進的だったからこそ、技術的に凡庸に見えるテスラに離されてしまったのだ。

テスラ・ロードスターはそもそもがロータス・エリーゼのコンバージョンEVのようなところで始まり、ボディもかなりの部分で設計流用、バッテリーは汎用品、EVユニットまで当初は他社のものだったはず。つまりテスラ社の独自要素技術部分は殆ど無く、既存のものをインテグレートしただけ、というところに近い。もちろん独自部分の比率はその次のタイプSでは増えているし、今後もその傾向は続くだろうけど。

一方のエリーカは発明は割と初期とはいえ実用例に乏しいインホイールモーターゆえサスペンションも従来のものが使えず既存の車体の流用が難しいし、その上電気自動車の理想的なプラットフォームを追求しており、その後のSIM-Drive社の他のプロトタイプでは軽量化のためにカーボンのような新素材にも手を出している。いやスペックは素晴らしいしチャレンジングスピリットは買う。しかしこれだけ色々手を出していたら、テスラのアプローチにはスピードで叶うはずがない。

これ、すなわち「巧緻は拙速に如かざるなり。兵法の基本ですがな。

あるいはKISS(Keep it Simple Stupid)原則と言い換えることもできる。テスラが素早く自社製品をリリースできたのは、要素技術的に特徴がない、シンプルでつまらないものにしたからこそ。そういう意味ではテスラと比べるべきはコンバージョンEVの会社で、あくまでテスラはそういうラピッドプロトタイピングの手法で車を作っていた。

こういう自明なことをどうして分からないものか、と思う。映画「風立ちぬ」で扱った軍用機の世界もそういう高い目標を掲げ必死で解決した結果、整備の困難な稼働率の低い機体が出来上がったわけで。無駄に高い目標立てて右往左往する時間があるのなら、その前に低い目標を順次クリアしていけばよいのに。

ただし、SIM Driveのアプローチが間違っているかというと必ずしもそうとはいえなくて、立ち上がりこそ遅くても、あとから追いつくことができればそこで帳尻は合うわけです。テスラのアプローチが逃げなら、エリーカは追い込みだった。それはあくまで戦法の差であって、勝てる勝てないではない。むしろ追い込みに期待したいと思ってはいるけれども。