2010年10月

「日本の特異性」は世界に売れない

を読んでリフレーズの必要性を感じたので。

ガラパゴスについては実際いろいろな意見があるが、この際言っておいた方が良いと思う。ガラパゴスは無敵だ。もちろん、世界中で日本に勝てる国がない、と言う意味ではもちろん無い。誰も相手にしていない、と言う意味で無敵なのだ。あるいはシュレディンガーの猫になぞらえるなら、ガラパゴスな日本商品はまさに観測されていない状態にある。

在欧日本人の大半がこぞって絶賛するのはサランラップとかクレラップなど(商品名だが、ここでは類似品を含んで取り扱う。)である。欧州で売られているのは本当にしょぼいしろもので誰がどう見ても分かるだけの圧倒的な品質差がある。一度でもサランラップを使ったことがあったら絶対に使わない、というぐらいの。でもスーパーの品揃えを見る限り、殆どのヨーロッパ人は使っていないようである。サランラップの優秀さは欧州人には観測されていないのである。

あるいは日本の炊飯器を挙げてみよう。これはこの上なく優秀な機械なのは日本人のほぼ全員があたりまえのものだと考えていることから分かる。しかし日本式の炊飯文化のない国で受け入れられることはない。SUSHIがブームなのかRice Cookerというツールがこちらでも見受けられるのは確かだが、30年前日本で売られていたようなアジア製っぽいのばかりで、日本製のはまず見かけない。

ガラケーに至ってはもっとわかりやすい。キャリアとあまりにも密接に結びついているため、大半の欧米人にとって無価値なのは明白である。日本商品はたしかに高い技術力を持った王様かもしれない。しかし、この無敵の王様は裸だ。かつて売れた商品はそうではなかった。いま必要なのは、もう一度謙虚に自分たちが敵だと認めてもらえるように地味な努力を開始することである。

こんな状態でガラパゴスで何が悪いと開き直るのは、自分たちの価値を全部どぶに捨てている。この上なく愚かな行為だと思うんだが。

6月の総選挙の結果(オランダの総選挙に学んでみるを参照のこと)を受けて、ルッテ首相を首班とする連立政権が成立してしばらくたった。一言で集約すると、オランダの政治は急激な右傾化を果たした。

 

選挙後の組閣は毎回もめるらしいが今回も例外ではなく、7月のつもりが3ヶ月遅れという状態である。今回の政権は結局VVD(オランダ自民党)+CDA(キリスト教民主同盟)という右派少数連立政権に極右PVV(オランダ自由党)が閣外協力する形となった。予想された組み合わせの中では最も右派の政権である。

組閣の経緯としては、以下のような流れだった。

  1. まず最初にVVDはPVV躍進を受けてこのCDA+PVVという選択肢を考慮したがCDAが拒否
  2. 次にPvdA(労働党)+CDAは「これは(PvaA+CDA+αだった前回の連立政権と非常によく似た)敗者の連立だ」とPvdAが拒否
  3. 中庸的な+PvdA+いくつかの少数政党という「パープルプラス」左右連立政権が有力になったが、長引く交渉の末、社会保障問題で合意できず挫折
  4. 最後にCDA+PVVの右派政権で、PVVを閣内に入れるか閣外協力にするか、という2オプションに落ち着いたと

今回の組閣の面白いのは3つある。まず一つはオランダの特色とも言えた「パープル」左右連立政権ではなく、はっきりとした右派政権になったところ。2つめは躍進したにもかかわらずずいぶんと嫌われたPVVである。殆どの左派あるいは中道政党から連立を拒否され、CDAも結局閣内では合意できなかった。聞き及ぶところによるとCDA内部には未だにPVVと組むことについて批判があるらしい。

そして、3つめは閣外協力にしかならなかったにもかかわらず、PVVの主張がずいぶん受け入れられた内閣の方針である。

  • 緊縮財政。社会保障、外交、国連等への拠出の削減
  • 移民政策の厳格化、同化政策の強化、治安維持のため警察の増員
  • 寛容政策からの後退。ソフトドラッグや管理売春に対する規制強化

オランダ人は民族ジョークでは「ケチ」の役を受け持つが、「ケチ」つまり支出削減と、それにかこつけて諸権利等の厳格化をリンクさせる形でPVVは自分たちの主張を織り込むことに成功した。L.starはすでに何度も公言しているとおりPVV嫌いだが、この手際は敵ながらあっぱれであり、彼らには政治能力がちゃんとあると認めざるを得ない。

これは従来開放的な、そして貿易国として数百年の歴史を持つ国としてはかなり大きな路線変更である。いや、あるいはいつもプロテスタントやポルダーモデルのような時代の最先端を行っていた国家らしい最先端指向かもしれない。そしてPVVの台頭と内閣への事実上の関与は波紋を広げている。今月にはロッテルダムで反イスラムのデモがあり、今週末にもアムステルダムであるという話だ。

なにしろさっき行ったとおりL.starは極右嫌いなので、この政権に対しての評価はひとまず保留したい。本来問題にすべきは政治的スペクトルの左右ではなく、成果ではかるべきだから。しかし予想するならば、以下のような要素が考えられるだろう。

  • 国内世論はどうなるだろう。PVVは躍進したとはいえ、例えば都市では未だに左派が優勢であり、そうした中には「ウィルダースはただのレイシストだ」といった露骨な反感を示す人までいる。「寛容なオランダ人」というアイデンティティの崩壊の一歩を踏み出してしまうかもしれない。一方、バブルに浮かれていたように感じられた最近のオランダ人たちが、経済の引き締めにより昔らしい質実剛健な方向へ戻って、結束を深められるようになるかもしれない。
  • あるいは各種移民同化政策の強化は、主にモロッコ系移民を狙っているのだろうが、既存の優良な在住外国人(日本人含む)にも波及する問題である。これが治安の強化に役立つか、経済の衰退をもたらすかはやはり未知数である。
  • 外交的地はどうだろうか。排外主義色が強まった移民政策がEU内での孤立を深めたり、過激派だけでなくイスラム諸国まで敵に回すような可能性が指摘されている。テロ予告もすでに出ており未遂で逮捕された人もここ数ヶ月でいる。場合によっては治安のさらなる悪化が考えられる。
  • EUはすでに経済問題で結束にヒビが入りつつあり、そこにこのような右傾化した政権が台頭していくとというのはこれまた厳しい試練である。もちろんEUと表向きは友好的な関係を維持するだろうが、運が悪ければEUの存在意義をゆるがすほどの政治的な問題にもなり得る。
  • 上記のような懸念や期待は実はまやかしで、たいした成果も残さず早期崩壊というのも実は現実的なシナリオである。前政権も8年間で結局4回の崩壊を経験しているし、おそらく4年勤め上げることを期待してはいないだろう。

いずれにしても、この政策の過激な転換を果たした新政権の行く末は、日本の右派の人たちにとっても非常に注目すべきところだろう。いくつかの政策は実際にそういう人たちが主張するものであるし、どのような問題が発生してどう対処すべきか、そもそも果たして本当に考慮すべき問題だったのか、日本に適用するならどこに注意すべきか、というようなたくさんの点を学ぶことができる。

まあどんな政権がどの程度続くかはともかく、賽は投げられた。願わくば、オランダという国がどのような形で荒れこの試練を糧に成長し、世界にとって多少なりとも良くなることをしてくれることを、日本人としては期待しようではないか。

参考:オランダ・ハーグより / 春 具第255回 「69」

忙しくてブログも書く暇があまりなかったのだが、中国の脅威が日本を席巻していた。今更だがこれをネイションシリーズで料理してみたい。

日本では中国脅威論が優勢で、デモが行われたり、中国人観光客が襲われたり、一方中国の側も反日デモが激化したりしているようだ。L.starは基本的にグローバル主義者なので中国に関しては脅威論をそんなに支持していない(というか日本にとって本格的な脅威になる前に中国は崩壊するだろうと踏んでいる)が、ひとまず彼らが重大な脅威であるということを受け入れてみよう。

残念なことに、日本での反応を見るに脅威論に突き動かされている人たちは、その中国の脅威を偏狭なナショナリズム、排外主義やジンゴイズムで受け止めようとしている。これはもちろん一つのあり方である。しかし、およそ間違った解答に感じられる。

単刀直入に言おう。中国が言われているように中央集権で一枚岩の、世界最大のならず者国家だというのなら、その脅威から身を守るには日本を国際化するしかない。そんな強烈な国家は、おそらく日本どころがアジア全体を占領するに足る実力の持ち主だろうから、対抗するにはアジアだけじゃなく世界全体で当たる必要がある。

であるからして、中国が危険であればあるほど、日本だけで対抗できる敵ではないのだから外国のことを考えないといけない。ここで言う外国とは中国のことじゃない。韓国、台湾、ASEAN諸国、オーストラリアとニュージーランド、インド、中東、そして米ロといった国全部のことを指す。これらの大半または全部と良好以上の関係を維持し、中国包囲網を形成しなければ勝ち目はない。

このような強国の脅威に対抗して周りの国が連合を形成する、というのはインターリージョナリズムの一形態であり、珍しくはない。最近では戦争の脅威でこそ無いが、EUもアメリカ経済に押されて誕生した共同体である。今までのネイションの規模を大きく越える共同体が形成される要因は決して多くはないが、強い外敵はそれたりえる。もっとも他にも必要な要因はいっぱいある。上記で挙げたような国は米国を除けば覇権国家といえるだけの品格もリーダーシップも持ち合わせていない。頼みの米国は衰退する一方。正直に言って、日本ぐらいしか糾合できる主体がないようにすら思えるのである。

一方で日本がこれらの国を糾合するにはいろいろと問題がある。結局のところ日本は先の大戦の敗戦国で、恨まれているところには恨まれている。領土問題も存在している。そういうわだかまりを抱えている国は、どれほど中国が怖くても、なかなか日本がリードを取ることを了承はしないだろう。

これは逆に考えてみたらすぐ分かる。もし韓国の大統領が「中国の脅威に対抗するために日韓は協力が必要だ」と言い出したとして「でも独島は韓国領土だ」と次に付け加えるなら、納得できる日本人はまず居ない。韓国を日本側に加えるなら、竹島を放棄する覚悟が必要だろう。そうでなくても、そういう理由をわざと持ち出して、日本に様々な譲歩を求めるのは考えられる。

誤解しないでほしいのは、こう言うのは弱腰とは言わない。あくまで反中大連合の指導的地位という領土問題より遙かに大きな実質的な利益のために、些細な領土問題や歴史問題で譲歩するという、名目的な敗北を受け入れることだ。そうでないなら、そんな犠牲を払う必要はない。

例えば同じように第二次大戦の敗戦国でありながらEUで指導的な地位を維持しているドイツを見てみよう。彼らはナチスの肯定やホロコーストに対する反論を「法律で」禁じている。あるいは歴史的に見て北方領土や竹島よりも遙かに明確にドイツ領と見なせるはずの東プロイセンを放棄している。彼らは国家そのものが優れているのももちろんだろうが、それだけの犠牲を払っているからこそ、今の指導的な地位を得ているのである。そうでなければ英仏が「反省しないドイツの台頭」にさぞかし難色を示したことだろうし、EU樹立すら危うかったかもしれない。

そして、同じことは今まで日本だって歯を食いしばってやってきたのだ。それを今「弱腰だ」と近視眼的に非難せずに、そこから得られる利益がなんなのかという、もっと実務的な点に目を向けられないのだろうか。「でも民主党は」「でも管内閣は」という反論が目に浮かぶが、私は政府の話をしているのではない。あなた方一人一人の心構えを話しているのだ。

これは単にナショナリズムに傾倒しているネトウヨだけの話でもない。そもそもこういった国際化の構想は別に昔から珍しくもなく、最近では自由と繁栄の弧構想も、東アジア共同体もそのたぐいである。センセーショナルな問題ばかりに目がいって、そういう構想を支持し続けられなかったのは、結局のところ国民全員なのだから。

 

まとめると、反中という脅威が本物であるならば、それをナショナリズムで消化するのではなく、インターリージョナリズムに昇華しなければ対抗できない。だからこそ、今ばらばらになっているアジアをまとめる役を日本が果たす必要がある。そのためには、日本そのもの(国家および民族)がさらなる国際化を果たすとともに、いかにも不安定なアジアの国家群に対して日本が進んで譲歩しなければならないだろう。極端な話竹島を韓国に、北方領土をロシアに、尖閣諸島を「台湾」に譲るぐらいの覚悟が必要である。

国家どころがアジア100年の計のために日本が骨を折ってまとめあげる、それにはもちろん他にもたくさんの条件がある。圧倒的なリーダーや強固な基盤、軍事力などがあげられるだろう。一筋縄ではいかない大事業である。

しかしそれに踏み込む前に改めて問いたい。我々に、それを背負う用意ができているだろうか?それに「はい」と答えられることが、最初の第一歩だ。

昨今の「ゆとり世代」の学力が低い、というのは彼らが馬鹿かどうかとあまり関係がない可能性が高いという計算をしたことがある。というのも単純で、ゆとり世代は進学率が高いからだ。Wikipediaの進学率によると、1989年に25%ほどだった進学率は、2009年ではなんと50%を越えているという。

この25%と50%の差がどのくらいの大きさになるかというと、適当にガウス分布っぽいソースを作成し、その上位25%と50%の平均値を取ってみればいいだろう。元ソースとして1-100の乱数を3回出してその平均を取って作成した場合、結果は上位25%の場合71.3ポイント、一方50%なら63.5ポイントとなった。約8ポイント下落したことになる。

偏差値で言うとこのソースの標準偏差は16.6、平均は当然50なので、計算すると62.8から58.1に落ちたことになる。実に4.7ポイント。もちろん同一集団を仮定しているので、世代としてみれば同じ程度の頭の良さといえなくもないはずである。ちなみにこれは平均の話なので、底辺層などを計測するともっとひどい数字を見ることができる。

一方企業の側から見ると、一定数の優秀な人材がほしいという点は変わらない。よって、このような状況に対処するためには以下のような戦略が考えられる。

  • 大学が頑張って、今までと同じレベルまで引き上げればいい
    カリキュラムの改善などによって、より高度な人材を輩出できるように教育するのは選択肢の一つである。ただし、これを行うためには大学組織の改革などが必須であり、大変な規模になるのもさることながら、その費用を誰が負担するかという話になる。そもそも、大学の改善レベルを遙かに超えているからこの問題が露呈しているわけである。
  • 質をあきらめ今までと同じ量の人材を採る
    つまり、今までと同じように採用を続ける。ただしそれによって下がる人材の質をカバーするためには、訓練、社内改革、あるいはサービス残業やコスト削減などで、企業内での一人あたりの生産性の向上が急務となる。
  • 量はあきらめるが質のこだわりは辞めない
    より絞った採用にすることで、今までの均質性を維持することができる。それによって大学の淘汰が発生するため、ただし、量をカバーするためには派遣や系列会社などの利用によって、外部からの人材を積極的に持ってくる必要がある。
  • 母数そのものを増やせ
    採用をグローバルにしたりするなど、そもそも既存の枠にこだわらない採用を行えばこの影響を受けない。

こう見ると、派遣社員やサービス残業などの増加は、案外時代背景にそった結果だと言うことが分かる(だからといって肯定できるかどうかは別だが)

また、大企業がグローバルに人材募集をかけるのは、もはや従来のレベルを維持するには致し方がないことだと言うことも理解できる。もう日本だけでは衰退していくしかないのである。

・・・いや果たしてそうだろうか。グローバルしかない!というのは、確かに日本の人材を隅から隅まで調べ上げた結果であれば正しい。しかし日本社会はそのようになっていない。WSJのブログに興味深いものがあった。

Women: Japan’s Secret Economic Weapon

The argument goes like this: While Japan’s overall female employment rate is now at a record 60%, there’s still a significant lag behind the men’s participation rate of 80%. If the female employment rate was also 80%, this would add another 8.2 million employees to the work force and boost Japan’s GDP by as much as 15%

ここでは男性と女性の就職率が、80%:60%と差があり、その部分を対等になるまで高められるなら、さらに820万人の新しい雇用者が発生すると指摘している。かつて「1000万人移民受け入れ構想」と言っていた数字に匹敵するだけのものである。特に女性の退職理由などは、第2回21世紀成年者縦断調査(国民の生活に関する継続調査)結果の概況の調査結果などをみるに、出産・育児という直接能力と関係のないものがトップである。中には優秀な人材も眠っているわけだ。

かつて鹿野司氏がエッセイ(しかもログイン時代の古いものだ)で、氏が鉱山のビジネスモデルとして、良い鉱脈とあまり良くない鉱脈を同時に掘って、鉱山全体の収益を維持しつつ、かつ収穫総量を増やすということをしていると言っていたのを鮮烈に覚えている。今までの日本は、男性というコントロールのしやすい人材獲得に特化したことで利益を得たが、その代わりに(出産や育児というリスクを持つ)女性をないがしろにした。現在は総量が足りないのだから、その考え方を変える必要があるのだ。

もちろんうまく生かされていない人材種別などと言うのは類挙にいとまがない。博士やポスドクのような研究者は優秀だが企業から敬遠されている。あるいは企業社会になじめないアウトローのような人材だってたくさんいる。オタクだってそういう価値観から離れて能力を発揮している人である。極端に言えば移民だってそういうたぐいである。こういった多様な人材をどうやって生かすのか、というのがこれから本当に問われている。

このような基礎的な数字を昔はじいて知っているおかげで、L.starは新卒という慣行の行く末を全く心配していない。新卒の信頼度というのは、彼らの能力や忠誠度いかんにかかわらず、大学の数が大幅に減らない限り、落ちていく一方なのである。結局のところそれに気付いた企業が新卒に頼らずに大量雇用し、成果を上げることになり、そうなると他社も追いかけざるを得ないのだから。

そういう時代に生きて採用される側の人はどうすればいいのか?というと

日本を出て行けなくても現状を打破したい若者に贈る6つのアドバイス

で述べたとおり、欧米流のジョブホッパーになったつもりで、自分の価値を高め続けるレースに参加するのだ。新卒かどうか、履歴書が手書きかどうかなど関係なく、能力が問われる時代に備えて自分を磨けばいい。時代は変わるときには、いろんな状況に対応できる能力を磨くのが一番である。

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