マクニールは「世界史」で同様の問題について深い考察を書いている。遊牧民と農耕民の力関係がテクノロジー(例えば古代戦車、鉄器、鐙、銃などに)によって変化する、などである。例えば戦車のような機動力に勝るが高度な技術が必要な武器が優勢な時代が統率力に勝る遊牧民が強く、文明国家があっさりと滅ぼされる。逆に鉄器や銃のような大量配備が容易で、扱いが簡単な時代は農耕民が優位で、巨大な帝国が勃興する要因になる。
もちろんこのような遊牧民と農耕民というパーツをそのまま21世紀に持ってきて、正しく考察できるかというと、なにしろいろんな要素が変わりすぎてしまっているので無理である。しかし、その骨格は十分応用できるだろう。
つまり、優勢な武器と、それにあった習慣を持った社会は、世界で優位を確保するのである。今現在「武器」の地位を確保しているのは産業だろうが、それに対応する社会習慣は3種類あるかと思う。
- 優秀な少数(数人から数十人)のスタンドプレー物事を成し遂げる個人主義的なもの
- 高品位な中規模(数十人から数百人)の連携チームプレーで物事を成し遂げる集団的なもの
- 品質はさておき数的優位を確保、明文化されたルールで制御していく組織戦
こう考えれば殆どの人が「日本は2番目の典型例」と考えるだろう。池田氏も以下のように書いている。
他方、社会が自生的な生態系を形成しているため、地域や企業などの中間集団のまとまりが強い。
ところで米国シリコンバレーは明確に1番目だろう。彼らの企業規模は基本的に少数精鋭で、Googleなどは今や万単位の社員を抱えるが、5000人の時ですら殆どのプロジェクトは少数で構成されていたという。このような集団ではもちろん巨大なものを成し遂げることができないが、小さな突飛もないアイデアで小さいが突拍子もないアイデアで大逆転を狙うには適している。
そして実際ソフトウェア開発というのは小さなものである。巨大なシステムでは例外もあるだろうが、プロジェクトでのコアなエンジニアはせいぜい10人程度で、それでも実際に凄いものができあがる。極端な話だと、数千人月つぎ込んで作ったものより、数人で気合いを入れて作る方がよほどましなことがある。それがソフトウェアというものだ。
この2つを掛け合わせると、シリコンバレーモデルは、ソフトウェアシステム開発という小数人数向け武器と、少数の個人の組み合わせで起こっているムーブメントである、といえるだろう。日本はもっと大きい集団を得意とするから、日本版シリコンバレーは絶対に根付かない。
逆に言うと、少数精鋭が似合うソフトウェア開発で日本が優位に立てないのも当然だろう。大企業は集団モデルを明確に持っていて、それしか提供できない。他方少数精鋭というソフトウェア開発の特性に合わせた中小ソフトハウスは、諸事情により有効な規模まで大きくなることができない。その点は昔社員20人から先に進めない小規模ソフトハウスでも考察した。大きなジレンマを抱えている。
もちろんこれはマクロ視点なので、ミクロに見ると間違いだ。日本にも優秀な少数というのはいて、彼らも成功する。しかしシリコンバレーのような、閾値を超えた成功を得るには至っていない。シリコンバレー並みの個人の扱いを社会が覚えなければこれからも無理だろう。
むしろ日本に必要なのは、少数のスタートアップの補佐より、中規模への発展を補佐する仕組み、そしてうまくそのグループを効率的に編成して成果を上げる仕組みが必要では無かろうか。劣っている部分を強化したり、弊害を除去するのはもちろん必要で、例えば日本版シリコンバレーに必要な事情の整備であるとか、組織戦のノウハウの整備であるとかも重要である。しかし、せっかくの長所が見えているのだから、同時にそれを使わない手はない。
それに、ソフトウェア開発にしたところでいつも数人が最適ではない。残念ながらゲーム業界をよく知っているとはいえないので、推測に過ぎないが、日本の大作ゲームの一部が世界でも評価されるのは、大作の開発には大きなチームが必要になることと一定の関係があるかもしれない。もっとも多数の世のデスマーチの噂を聞くかぎり、単純にソフトウェア業界は力不足だから、ともいえそうである。
他方中国の昨今の産業政策は3番目のように思われる。欧州はと言うと難しいが、私見では彼らは3番目である。ルールを明文化して制御するのは日本に比べてめっぽう強い。もちろん日本でも、大企業はこのような組織戦のノウハウをある程度持っている。しかし単なる組織力は、今世界ではそれほど重視されていないようである。
もちろん、米国の少数精鋭が指示し、中国の人海戦術がそれを実行するというタッグは、あくまでモデルとしては完璧であるように見える。世界と日本が戦うということは、そういう新しい傾向とも戦うことである。
そのために日本の弱点を強化するか、あるいは長所にあった武器を考案するか、あるいはここは一手休んで傾向が日本に有利になるのを待つのか。多数の答えがあり、多くが正解になり得る。ここではその元になる仮説を提示するだけで、それ以上は随時やっていくなりしたい。ただ個人的には、日本の弱点を克服する最良の方法とは日本の長所であり、それは表裏一体と考えている。日本は中間集団になることによる弊害があるなら、その弊害を破るのも中間集団のもつ力ではないかと思う。