最近いつものシリーズが又行き詰まっているので、月並みなことであるが、なんかふと気考えたことを書き殴ってみる。
「日系企業の海外法人において、日本人の価値はやはりよく働くことである。タイムラグを埋められるだけの超過労働もするし、いきなりバカンスとかいって長期休暇で休んだりもしない。安い現地人の現地採用者や、中国インド等の労働者よりも結果としてお得である。」
これは典型的な日本企業の海外法人が日本人を使うときに考える論理である。というか、日本ではそういう人材が昔からずっとありがたがられているのではなかったか。もちろん雇う側からすれば金額に見合うパフォーマンスが出ればなんでも良いんであって、これでいい。しかし今日問題にしたいのは、雇われる側からすればどうだろう、ということだ。つまり「日本人」という労働者の商品性はどうか?ということだ。
最初の文章をひどくざっくり言い換えてしまえば「中国人よりお得です」となる。つまり、こういう発想に従って勝負している以上、我々が競争している相手は安い労働力なのだ。安い労働力と競争するなら、そりゃ休暇も返上してサービス残業ばりばりでやらなければ戦えないに決まっている。そう考えるとふと得心してしまった。なるほど社畜であることには合理性がある。
しかし、それはこのまま根性論で突き進むと今以上にアジアやアフリカの安い労働力と競争することになることを意味する。どうあがいても人間は一日に3倍以上の労働はできないし、日本は一度反映した分高い社会コストがある。だから、安い中国やベトナムなどに対する日本の敗北になることは分かりきっている。
考えてみたら日本がこれだけ物資も経済も豊かなのにいったいどこにそれらが消えて一般人が苦しんでいるのか、という命題はこれで説明できるのかもしれない。勝負する相手を間違えているのだ。先進国なら、先進国と戦わなければならない。
勝負の仕方は2つある。高効率化した組織や技術により、途上国一人より遙かに高い労働力を発揮すること。独自性を確立して、交換不可能な人材になること。ただし、それは「日本の中で」高くても何の意味もない。世界と比べてどうかが重要である。例えば悪い人材の例として自分の仕事を抱え込むのがあるが、これは好意的に後者と言い張ることもできる。ただ、交換不可能であるが、世界的に独自ではない。
2つの方法のどちらも、単純な根性論だけではどうにもならないことはおわかりだろう。同じ社畜のような16時間労働でも、デスマーチプロジェクトに参加するのと、こういった方向に努力するのはまったく質が違う。そういう努力は否定されるべきではない。しかしそれは先に質の高さありきであり、根性ありきではない。そこはどちらの方向にもはき違えてはいけない。
まあすべての日本人がこれをやっていないわけではないし、もちろん誰もがやらなければいけないものでもない。しかしやはりシンプルに、自分がなりたいものになれるように行動するというのは重要である。そして、根性ありきで闇雲に頑張る、と言うのは途上国の労働者と競争して貧乏になる、ということなのだ。そうなりたいならもちろん止めない。
とはいえ、まずは高効率を目指して無駄な残業を減らすこと、有給消化率を上げることからはじめて見てはいかがだろうか、と常々思う。サービス残業や休めないことによってもたらされる経済損失っていかほどだろうか。ふと調べてみると睡眠不足と不眠だけで3兆5000億円とか、予想より遙かに大きい額が出てきた。いったい根性論による機会損失が何百兆円になるのか、ちょっと計算してみたい気になった。
「日系企業の海外法人において、日本人の価値はやはりよく働くことである。タイムラグを埋められるだけの超過労働もするし、いきなりバカンスとかいって長期休暇で休んだりもしない。安い現地人の現地採用者や、中国インド等の労働者よりも結果としてお得である。」
これは典型的な日本企業の海外法人が日本人を使うときに考える論理である。というか、日本ではそういう人材が昔からずっとありがたがられているのではなかったか。もちろん雇う側からすれば金額に見合うパフォーマンスが出ればなんでも良いんであって、これでいい。しかし今日問題にしたいのは、雇われる側からすればどうだろう、ということだ。つまり「日本人」という労働者の商品性はどうか?ということだ。
最初の文章をひどくざっくり言い換えてしまえば「中国人よりお得です」となる。つまり、こういう発想に従って勝負している以上、我々が競争している相手は安い労働力なのだ。安い労働力と競争するなら、そりゃ休暇も返上してサービス残業ばりばりでやらなければ戦えないに決まっている。そう考えるとふと得心してしまった。なるほど社畜であることには合理性がある。
しかし、それはこのまま根性論で突き進むと今以上にアジアやアフリカの安い労働力と競争することになることを意味する。どうあがいても人間は一日に3倍以上の労働はできないし、日本は一度反映した分高い社会コストがある。だから、安い中国やベトナムなどに対する日本の敗北になることは分かりきっている。
考えてみたら日本がこれだけ物資も経済も豊かなのにいったいどこにそれらが消えて一般人が苦しんでいるのか、という命題はこれで説明できるのかもしれない。勝負する相手を間違えているのだ。先進国なら、先進国と戦わなければならない。
勝負の仕方は2つある。高効率化した組織や技術により、途上国一人より遙かに高い労働力を発揮すること。独自性を確立して、交換不可能な人材になること。ただし、それは「日本の中で」高くても何の意味もない。世界と比べてどうかが重要である。例えば悪い人材の例として自分の仕事を抱え込むのがあるが、これは好意的に後者と言い張ることもできる。ただ、交換不可能であるが、世界的に独自ではない。
2つの方法のどちらも、単純な根性論だけではどうにもならないことはおわかりだろう。同じ社畜のような16時間労働でも、デスマーチプロジェクトに参加するのと、こういった方向に努力するのはまったく質が違う。そういう努力は否定されるべきではない。しかしそれは先に質の高さありきであり、根性ありきではない。そこはどちらの方向にもはき違えてはいけない。
まあすべての日本人がこれをやっていないわけではないし、もちろん誰もがやらなければいけないものでもない。しかしやはりシンプルに、自分がなりたいものになれるように行動するというのは重要である。そして、根性ありきで闇雲に頑張る、と言うのは途上国の労働者と競争して貧乏になる、ということなのだ。そうなりたいならもちろん止めない。
とはいえ、まずは高効率を目指して無駄な残業を減らすこと、有給消化率を上げることからはじめて見てはいかがだろうか、と常々思う。サービス残業や休めないことによってもたらされる経済損失っていかほどだろうか。ふと調べてみると睡眠不足と不眠だけで3兆5000億円とか、予想より遙かに大きい額が出てきた。いったい根性論による機会損失が何百兆円になるのか、ちょっと計算してみたい気になった。