ちょっと週末旅行先のパリから帰ってきて今日のエントリは前回のエントリのはてぶから
tonapa tonapa 反対派も賛成派も、これほど条件の違っている国を、議論のネタにしている時点でナンセンス。いや、ディベー トごっこで遊んでいるだけなら無問題なんだけどさ・・・ 2010/01/19

確かにオランダと日本では条件は全然違うわけで、何も考えずに並べて比較するのはナンセンスであるし、L.starもそのような短絡的思考は可能な限り廃している。だが、しかしふと思ったのはそもそもそんなに違うのだろうか、ということ。今日も電車でウィリアム・マクニール博士が「東京とマドリッドの類似性」についてたちどころに3つもあげた、という話を読んで簡単に「違う」と突っぱねてしまわず考えることが重要ではなかろうか、と感じた。そこでふと相似点を考えてみる気になった。

  • 立憲君主制である。
    日本における皇室とオラニエ=ナッサウ家を同列に置くのは難しいかもしれない。皇室は少なくとも1500年以上(形式上、時に実質的にも)日本のトップだった存在である。一方でオランダ王室とて歴史をたどれば案外古いものの、有力貴族筆頭でしかなかった時代も長い。しかし、いずれも現在に至るまで王室/皇室を排せず続けていることは共通点である。なお、オランダにおける王室の人気は極めて高く、日本における天皇誕生日にあたる4/30の「女王の日」という祝日があるのも共通点だ。蛇足だがこの日は先代ユリアナ女王の誕生日(日本の先代天皇の誕生日と一日違いはもちろん偶然だろうがおもしろい)で、時期に配慮したベアトリクス女王がわざと自分の誕生日でなくこの日を祝日として残すことを選んだという。

  • 「歴史的な首都」と「実際の首都」の2種類がある
    オランダにおけるアムステルダムは確かに首都であるが、ある意味首都機能を持たない。議会はデン・ハーグにあるし、王家もハーグ在住である。一方で日本で首都というと京都府民以外にとっては東京であり、その地位は疑うべくもない。しかし歴史的に観れば京都の地位は揺るぎないものがあり、この点でアムステルダムと京都には奇妙な共通点があるといえる。ヨーロッパの他の国に、このような明確な2つの都市を持った国は珍しい。

  • 海洋国家である。
    オランダは17世紀に海洋国家として栄華を極めた国家であり、操船技術等で定評があった。また日本も島国であり、鎖国時期もあったが基本的には海を利用することの多い国である。どうでもいいがオランダでは鰊(ハリング)が国民食の一つといえ、ほかのヨーロッパ諸国に比べて魚を食べる量はかなり多い。日本の魚消費量についてはいうまでもない。

  • 鉱物資源の自給率が低い
    オランダは干拓によって成長した国家であり、山が少ないため鉱物資源が当然乏しい。一方日本は山がちな国であるが、意外にも国内消費を十分まかなえるほどの算出はない。一方、オランダでは北海のガス田という豊富なエネルギー資源を持つ点が日本としてはうらやましいが、石油も石炭も輸入であることは代わりがない。



  • 倹約志向である
    国土の大半が干拓によって作られたため結構な割合で海抜以下の土地が存在し、温暖化問題に非常にナーバスであるオランダ。対して長年の鎖国政策によって経済的には孤立を経験している日本。お互いに全く違う理由ではあるが、倹約に対する意識はどちらも高い。具体的な数字、といわれると出てこないが、日本はなにしろMOTTAINAIの国であるし、オランダ人を民族性ジョークで語ると「ケチ」である。英語でgo Dutchは「割り勘」のことである。

  • 5月に休みが多い。
    これまたくだらないが、オランダの5月は前述の女王の日をはじめとして精霊降臨祭および昇天祭が祝日であり、かなり多い。日本のゴールデンウィークに負けないぐらいである。ただし、残念なことにこれを過ぎると次の祝日はクリスマスであり、集中しすぎている嫌いがあってあまりうれしくはない。

  • クリスマスをサンタクロースと結びつけて祝う風習がなかった。
    欧米でクリスマスというとサンタクロースを思い出したくなるが、元々サンタクロースはオランダの「シンタクラース」が発祥であるといわれており、これはクリスマスではなく聖ニコラスの日(12/6)に祝う。オランダではシンタクラースの風習が強く残っている。これは国をかけた一大イベントであり、観光客にはおもしろくないかもしれないが在住者としてはなかなか見物である。一方最近はサンタクロースも出てくるが、どちらかというと逆輸入品でアメリカの商業主義の象徴っぽく見える。この風習はベルギーやスイスなどでも残っているようで、ヨーロッパ唯一というわけではない。なお、オランダのシンタクラースは悪い子をスペインに連れ去ってしまうが、オランダの冬は寒く、大人も是非スペインに連れて行ってもらいたいと思う。



  • 宗教に比較的寛容であった時期を有する。
    これは私見だが、オランダ人はあまり宗教に熱心ではない。一度カルヴァン派の重要な拠点であり、熱心なプロテスタント国家であったこともある。しかし、そんななかで「カトリック禁止」であった国内にも、隠れカトリック教会があったという。またご存じ「アンネの日記」のように、ナチス時代にユダヤ教徒もかくまっている。日本との江戸時代の貿易も布教に熱心でなかったから可能だった、というのもある。しかしうがった見方をすれば金さえ儲かれば何でもいい、ともいえる(アムステルダム商人とは、これも故意に悪くいえば死の商人そのものである)。現在の政策も、一部過激な反応を示す政党などはあるが、与党についてはイスラム教徒に関して比較的寛容な方向であるといえるのではないか。まあこれは、昨今のヨーロッパ全体あるいは結構な数の国家にいえることで、オランダに限ったことではないかもしれない。ただ、彼らは明確にキリスト教国家であ り、本当に宗教色の薄い現代日本とは異なる。
    一方の日本は狂信的にキリシタン狩りや、国家的ナショナリズムとの兼ね合いとして神道が崇拝された時代があったものの、全体的に観て宗教には寛容というか適当であり、現在の日本人は、神道と仏教のハイブリッドという不思議な形態を何の苦もなく受け入れている。

  • 国土政策による、あるいは植民地政策の失敗による分裂を経験している。
    オランダは少なくとも2度、領土の大幅後退を経験している。一度はナポレオン後のオランダ王国からベルギーおよびルクセンブルクが独立したことであり、もう一つは第二次世界大戦後のインドネシアである。日本におけるこの種の失敗は、第二次大戦がほぼ唯一であろう。特にWW2前後においては、日本では在日朝鮮人、オランダではインドネシア系オランダ人という移民問題を抱える主原因になっている。ただし、オランダではインドネシア系移民にしてもスリナム系にしても、は彼らは引き続きインドネシア系やスリナムであるが、行動様式もほぼオランダ人化しているといって過言ではない。日系ブラジル人がブラジル人化完了しているのと似たようなものである。


このぐらいだろうか。一部こじつけ一部私見で、Wikipediaなら独自研究と要出典の嵐が吹き荒れるだろうことは想像に難くない。ので、まあその程度に読んでほしい。だが、存外いろいろとくだらない共通点があるものである。このうちもし強引に移民問題(外国人参政権という小さい問題ではなく)と結びつけるなら、特別永住者問題に関していえば特にやはり既存のインドネシア系移民等の問題をいかに解決したか、という点からおそらくは多くを学べるのだろう。

本当はその後もっと深い考察につなげないといけないのだが、書いてて遅くなったし、頭の中で思わぬ方向にテーマが移動していったので次回に。

参考:

Wikipedia:オランダ

Wikipedia:日本