2010年01月

「オランダが*外国人参政権導入により*ひどいことになっている」というのはガセ

が驚くほどヒットしてしまった。はてなトップページにいた2日間のヒット数が約1万で、これはほぼそれ以前の一年間の20%に相当する。意見もたくさんいただいたし、かなり多面的に眺めることができた。一見たくさんの論点があるように思えたが、実は論点は複雑なものではなかった。一連の「外国人参政権問題もの」のコメントを書いているときも、「外国人参政権に反対か、賛成かはあまり重要な問題ではない」と思っていた。しかし、整理ができたら、それをようやく言葉としてまとめることができた。以前からオランダに住んでいるからこそ思う、外国人参政権論を考えてみたのコメントでも、「もっと大きな枠組みで考えよう」などと言う話をしたが、それを一言で言うと、

「参政権議論の中には、ずっと重大な政策問題が隠れている。それは、日本社会を開放的により広めていくか、はたまた外圧の脅威に備えて防備を固めるべきか」

ということだ。この2つは極東と言われるぐらい西洋文明から遠く、防備のしやすい日本では重要なポイントであり、その選択で何度も成功と失敗を繰り返してきた。

開放的にしていく、というのはグローバル化する社会を見据えて日本社会のプレゼンスを世界に広めよう、というものである。そのためにはお互いの理解を深め、相互利益を尊重して行きつつ、今持つ日本のコンテンツをより世界に売り出していくということになるだろう。これは1850年頃に大成功を収めた施策に習って「開国派」と呼ぼう。

もう一つのものは、迫り来る中国の恐怖、多文化交流がもたらす弊害を重視し、対応するに日本国民の結束を固め、現在ある利益をきっちり守っていく、というものである。大国とは距離を置きつつも、優秀な商品の輸出で利益を上げるモデルなのだろうか、国内の混乱を収めるのにひとまず注力すると言うことだろうか。開国派に対応させるとじゃあ攘夷派?ということになるが、日本には1600年頃に同様の施策で大成功した例がある。それにそって「鎖国派」と呼ぼう。

L.starはどっちか?といわれると熱心な開国派である。正直外国人参政権については弱賛成である。が、鎖国派かつ反対派の意見は受け入れられ無いものが多いので、強く反発している。開国派かつ参政権賛成の人の意見と言えば、だいたい参政権を広げることがグローバル化にそう布石として考えられるから、である。

同じ外国人参政権反対派でも、開国派か鎖国派で論点が大きく異なることに注意されたい。鎖国派かつ参政権反対派の論点は「内政干渉」「他国での危機(例のオランダの悲劇とか)」であり、上記の分析とほぼ一致する。一方で開国派かつ反対派の主張は前回のエントリのelm200氏のコメントにもあるような「早期解決のために帰化の促進や二重国籍を」である。開国派かつ賛成派とは、お互いの相違をあくまで本質的ではなくテクニカルなものだ、と認識できるだろう。が、鎖国派には同じ反対派と言え、二重国籍などは受け入れがたかろう。「違憲」に触れる人も多くは鎖国派であり、開国派の人はL.starのようにどうでもいいか許容説中心で、一部過激な人が要請説を唱えるぐらいだ。

これは旧来の保守・改革というのとはまた違う切り口であるようにも思われる。保守には参政権反対派が多いが、親米・親欧路線があり、これらはもちろん開国派にも受け入れられるものだ。改革の中には、鎖国派に受け入れられるようなのもあるだろう。

最後に日本がこの決断を迫られたのは、開国の時だろうか、はたまた日中戦争の時だろうか。いずれにしても今巻き上がっている議論を見る限り、もう一度この大きな選択肢を迫られているのは間違いない。今の日本を幕末になぞらえる人がいるが、実際そういう時代なのである。

だから皆さん、「鎖国」「開国」どっちを取るべきなのか、という重要な話をしませんか。どっちか決めることができれば、外国人参政権問題を含む多数の問題の答えなどほぼ自動的に決まると言っていいわけで。それはある種の戦争になるかもしれないが、これをはっきりさせるのは今後の日本の戦略上この上ない価値を生むと思うのだ。どっちを選んだから良い、という正解はたぶんない。どっちもリスキーな選択で、デメリットはある。選ぶのはどっちのメリットを取り、そのデメリットを許容するかだ。

最後にこの文章を書いたL.starが強い開国派なので、読む人はがんばって排除したとはいえバイアスがかかっていることをご了承されたい。

P.S. ところで鎖国派かつ参政権賛成、という人も見たことがない。そんな人はいったいどういう意見を持っているのかも興味がある。

日本の大学へ行ってはいけない理由


id:elm200さんが最近飛ばしまくっている。本質的な部分において、L.starは彼の意見にほぼ賛成と言っていい(つまり海外に行くべきだ)。が、しかし個別の部分、特に説得力の部分で文章に疑問を感じざるを得ない。
日本の大学の最悪な点は、学生たちに反知性主義を叩き込んでしまう点にある。

これはむしろ大学の問題点ではなく、社会構造の問題点である。大学を悪者にするなら、中学、高校、塾、予備校、どれも同じように悪者であるべきだ。むしろ、偏差値至上主義だった中等教育こそ、知性を否定し条件反射だけを肯定する元凶ではないのか。だから
改善する方法は実は比較的簡単だ。進学・卒業の規準を厳しくすればいい。

こんな方法だけでは手口の巧妙化を招くだけで、多分絶対に解決しないだろう。どのみち卒業して企業に入ってしまえば逃げ切れるのだ。ちなみに「ゆとり教育」はそう言う状況を打破しようとした産物であるが、全く逆の方法をとっている。ちょっと話がずれるが、ゆとり教育は無残な失敗だった、という言い方を良くされるが、ほとんどが従来の詰め込み教育側からの、詰め込み教育的価値観に乗っ取った判定であり、フェアではないなと感じている。ちなみにL.starの考えは、「ゆとり教育」の結果起こった「ゆとり世代」の問題行動と呼ばれるものは、自信のない人間が自己防衛としてとる行動にそっくりであることから、単に失われた20年で若者がそのよりどころを失った結果ゆえであり、ゆとり教育がどうだったのかは本当はよく分からないというか、実は良くも悪くも効果無しだったのではないかとまで考えている。まあ個人的な意見である。

話を戻して説得力の部分であるが、結局「海外に行け」というのは手段でしか無く目的ではない。

15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ


もそうだが、強い方向性の示唆とその手段はあるが、目的が希薄である。また、大学教育に対する否定の言葉は非常に強く、海外を肯定するより日本にいては駄目だ、といういいようになる。いつもの言い方をすると、救済の言葉がないのである。

そこでふと考えた。海外にいて、何が身につき、どのようなことに気づき、どのような救済が得られるのか、というのを説明すべきではないのか。学力だろうか?日本の大学のレベルは、上の方ではそれなりに高いので、正直よほど専門性の高い場所か、レベルの高い大学でもない限り相応のことが得られるであろう。だから正直わざわざ学力だけのために行くとは思えないのだ。そう言う意味では、わざわざ海外の「大学」に行く必要などあるとは思えない。なら、別に15歳に対するメッセージである必要は無い(もちろんelm200氏にはそうである必要性がある。タイトルで釣るために:) )心が若ければ誰にでも受け止められる、もっと普遍的な言葉があるはずである。

・英語力
これは「高い英語力を身につける」という知識技量的意味ではない。平均的日本人の英語レベルが実は高い、ということを認識することである。ブログで書いたかどうかは覚えてないが、ヨーロッパでも英語が通じやすいというオランダは、実際よく英語の通じる国である。しかし、大半のオランダ人の英語はブロークンで、文法単語両面においてたいしたことはない。日本の中学生レベルである。しかし日本人は英語がしゃべれないと考えている。まあ実際英語を「使う」ことについての「壁」があるのだ。まあ良く言われることである。その壁を以下に克服するかは使うのが一番なのだが、もう一つはいかに自分のレベルが高いかを認識することである。それが自信につながる。日本人は自分たちの英語レベルに自信を持っていい。なにもオランダ人をおとしめたいわけじゃない。日本人が勇気を出して中学程度の英語をがんばって使うなら、それはもう一般人としては十分以上のレベルだと言うことだ。そしてむろん、海外生活は多言語の会話力向上の強い味方である。

・ワークライフバランス
日本人は日本人のワークライフバランスで生きているのがあまりにも当たり前なので、他のバランスがあると言うことを理解できない。頭で分かっていても体で理解できない。それを理解するためには、実際に別のバランスの仕事に身を置くことしかない。一例としては、会社のために家族も趣味も捨てて滅私奉公する社畜なんかがいいだろう。海外ニート氏は、実際に海外での勤務経験を通じてその呪縛から解放された人である。ちなみに欧米でもエグゼクティブクラスは死ぬほど働く。が、これはその代わり責任も当人に対するリターンもバランスとってる一般社員とは桁違いであり、別物と言える。

とまあ2つ上げてみたが、一般化すると「価値観の違い」だろう。朝食に何を食うか、友人とどんな話をするか、言語にどんな特有の言い回しがあるか、何がブームか、好きか嫌いか丁寧か雑か、そう言う一切合切の「違い」を認識できることこそ、海外で身につけられる、身につけるべきものだ。それは関東と関西にもあり、海と山にもあり、男性と女性にもあり、文系と理系にもある。だから日本だけで十分、と切り捨ててはいけない。世界にはもっとたくさんの違いがあり、違わないものがある。大切なのはどちらかが優れていることではない、お互いが異なっていて、異なっていることを理解していることだ。優劣は一方にしか働かないが、差異は両方に働く。日本が海外から学ぶことが多かったように、欧米もまた日本からたくさんのことを学んでいる。それができるためには、まずお互いがお互いの違いを知らなければならないのだ。

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とまあここまで考えて、結局海外に出ることは有効な手段の一つだが、必須でも何でもないんだな、と言うことに気づいた。だから最後に私なりに「15歳の君」に提言ができる、と思う(多分読んでないけど)

それは「違いが分かる大人になりなさい」ということだ。たくさんのことを経験し、学ぶことによって、広い視野をもって、違いの分かる人になって欲しい。そのためには海外に出るのもよし、本を読むのもよし、専門を持つのもよし。かつて日本に存在し、経済成長の原動力になった画一化された社会という幻想というものはもうない。みんながどれだけの違いに気付け、それを共有できるかが、我々の未来を明るくするか真っ暗にするかを決めると言っていいのだから。

単に闇雲に行動してくれと言うのはL.starとしても心苦しい。が、しかし私はこの「気づき」を教えることはできないし、教わることもできなかった。反復訓練は心に響かない。知識を鵜呑みにしてもそのままでは役立たない。自分で成功と失敗することだけが本当の意味で唯一の勉強法になる。心配しなくていい。誰もが通った道なのだ。思い切って失敗しなさい。そして体に刻みつけなさい。

そして見つけた違いはしっかり咀嚼して欲しい。嫌いだからと捨ててはいけない。違いのなかにある、あるいは違わないことの中にある本質を見いだしてほしい。オランダ料理がまずいのにはたくさんの理由がある。文明が滅びるのにもたくさんの理由がある。インターネットがあるのにも理由がある。全部知らなくてもいい。知っている人同士で補完しあえばいいんだから。でもだからこそ、自分が一番知っているものを持つべきである。

最後に違いとその理由が本当の意味で分かれば、新しい「違い」を意図を持ってもう一つ世界に加えることができるだろう。それは、我々文明に生きて文明の中で死ぬ、違いの分かる人に課せられた本当の義務だ。金とか名声とかはその過程で手に入れられるものだが、あってもなくてもどうでもいい。

この本当に広くて狭い世界にようこそ。我々と一緒にこいつをどう良くできるか、最善の限りを尽くしましょう。

民主党政権・鳩山内閣への重大なる懸念


というのがWikipedia:外国人参政権にまで言及されているのを見て、いいかげん以前のエントリより明確に書いておかないといけないかと思い、改めて書いておこう。
オランダはEU域外の外国人への地方参政権付与からトラブルが始まって、やがて内乱に近い状態になった。外国人は都市部に集中してゲットーに居住 し、別国家のような観を呈した。そこにオランダ人が足を踏み入れると敵意を示す。外国人はオランダの生活習慣や価値観を嫌い、祖国のやり方を守るだけでな く、オランダの文化や仕切りを自分たちの流儀に切り換え、変革しようとさえする。時刻の宗教や文化を絶対視し、若い狂信派を育てて、オランダの社会システ ムを破壊し、つくり変えようとする。

オランダ政府はいろいろ手を打ったが、すべて手遅れである。外国人が一定数以上を超え、政治発言力を持ち始めると、取り返しがつかなくなる先例をオランダに学ぶべきである。

これに疑問を呈する人も多いが、ガセである。どこがガセかというと、外国人参政権が絡むところがガセなのである。これの元ネタと呼ばれるのは

娘通信 : 外国人地方参政権問題その4・・オランダの荒廃。


で、それはメルマガに寄稿されたものの転載で、さらに元ネタとしてFrontpage Magazineからの翻訳であると示されている。読んでみると分かるが、翻訳とされる部分のどこにも「外国人参政権」という単語は出てこないのだ。翻訳文と、最初の引用から「外国人参政権」を除いた文章はそっくりと言っていい。もっと言うと全体は「オランダ怖いね。しかし外国人参政権とか言っている日本も他人事じゃないかもね」という2つの異なる文章である。これで気づくだろうか。

ちなみに、Frontpagemagの元ネタは存在する。が、van Go*u*ghという明確な人名間違い(これでぐぐっても出てくるのは日本語のページばかり)や、あからさまな単語がいくつかあるにもかかわらず探すのは困難を極める。google web履歴のおかげで再度探し出すことに成功したが、どうやって見つけたのか全く覚えていない。

The Death of the Dutch?

である。訳はだいたいあっていると言えるが、もちろんここにも外国人参政権に関する非難は一切無い。日本では非常に人気のあるコピペの元になった文章であるが、日本以外では大して人気でもない、無名の記事である。これが非難しているのはつまるところオランダの移民政策である。

なんのことはない、「オランダの荒廃記事」の感想として「日本も外国人参政権問題あるし心配だ」というのがあって、その記事がコピペされる間に合体し「外国人参政権でオランダが荒廃した」になっただけなのである。

同様のことは

移民問題と参政権問題を混同している反対派


でも指摘されている。まあ混同される理由はそういうことなのだ。「オランダの悲劇」が本当に存在するとして(L.starは疑っているが)きちんと説明するのであれば、このコピペの系統とは全く異なる論証が必要になるだろう。残念ながら見たことはない。

ちなみに某SNSの外国人参政権反対関連のコミュニティで「これは反対意見として正当なのか」という議題が出ていたのを見た(このblogが貼られていて、リファラをたどって発見した)が、それを言い出した人は周りから袋だたきにされていたのを覚えている。内ゲバとはああいうのを言っていたんだろうなぁ。

参政権については、いや他のことについても、感情論によらない冷静な意見が求められている。反対派の意見は聞いていて「おまえ達は反対したいために理由をでっち上げているだけだろう」と強く感じるばかりだ。多分推測だが、そう言う人たちは心の奥底では外国人(特に中国人と韓国人)を一等下に置くことによる優越感を維持したいのだ。だからアイデンティティの問題なのである。戦後社会が行き過ぎた反省を求めた反動としてのナショナリズムなのだが、かつて嫌韓とか言われていた時代よりずいぶん右に行ってしまっている気がする。

一方でL.starも「そんな残念な理由で反対するのに賛成できるか!」と声を荒げている点はおかしいし、自分の意見に固執する余り冷静さを欠いているかもしれない。まったくこんな不毛な感情論よりも、きちんと練り上げた戦略によってアウトプットを出す、ということに注力しなければいけないのに。

転職歴の多いL.starは50人以下の従業員のソフトハウスに、既に数社勤めている。また、知り合いの会社など含め、オープンソース関係を中心に、情報交換しながらいくらかよく知ることができた。

縦割りの一部門はともかく、多くの独立開業エンジニアは、もちろんそれなりの勝算があって起業しているに違いない。まず一つあげるとすれば、少数精鋭は、大企業の硬直した体制に勝る。例えば大きなSIerの下のくだらない案件の問題点というと、馬鹿げたコーディング規則やいつまでも前構造化プログラミングかと言いたくなるような古めかしい設計などがやり玉に挙げられる。しかし質の低いかもしれない100人に安定して同時に作業させるには、やや馬鹿げた程度に抑えるのはおそらく必要なものであり、その人海戦術によって発生する膨大な開発工数は大企業にしかハンドル不可能である。しかしそう言うモデルではハンドルするに小さすぎる案件では、少数精鋭の高効率モデルのほうが圧倒的に強力であるから、小規模ソフトハウスにも十二分に勝算がある。

他にもいろいろあるが、やはりニッチに素早くターゲッティングできる小回りの良さが、小規模ソフトハウスにはある。L.starが見てきた会社の多くは、うまくそういう良さを発揮していた。最初のうちは。しかし、そこから先、社員50-100人規模を支えられるだけのビジネス拡大には向かない。ジリ貧の原因は2つある。収益モデルと投資力だ。

主に人月商売をしているたいていのソフトハウスは、実は非常にコスト高である。最低でも売り上げの33%程度は直接的な給与支払いに、それとほぼ同額程度の社会保険などの支払いがかかる。しかも生産物は人月から生み出されるものだから、生産のためにほぼ100%割り振らなければならない。

ここから抜け出すのに必要なのは投資である。考えられるものとしては社内でのツールやプロダクト開発、あるいは商用等のツールの導入、新規営業による受注拡大などだろう。どれも金よりも人手間仕事である。これを引き出すのが難しい。20人ぐらいになると管理のコストも馬鹿にならない。非プログラマ要員として雇えるのはせいぜん2-3人にすぎず、販路開拓のための営業を雇うのも苦しい状態だ。そして営業一人程度でできることには限界がある。そもそも元々コスト高な事もあり人を雇うのもリスクがある。結局社長が営業を兼ねたりする。そして、だいたいにおいてソフトハウスの社長などというのは技術者上がりであるから、優秀な営業になれる確率は高くない。

これがまだ5人ぐらいのときなら、管理のコストが小さいため、全員が死ぬほどがんばってカバー可能であるし、社長も自分のコネで十分な仕事をとってこれる。20人はそこで、多くの会社がぶつかる壁らしい。その観測結果から「20人前後の小規模ソフトハウスはジリ貧」という一つの結論に達した。「20人前後に縦割りされた大企業の一部門」もだいたい同じである。当然例外はいくらでもあるんだろうが、不幸にしてほとんど見たことがない。むろん会社を大きくするのは常によいことではない。しかし、できるかどうかとやるかどうかは違う。

今のところこの結論を破るための方法論というのはちゃんと持っていないが、以下のようなものが考えられるだろうか。

・収益構造が人月と比例しないプロダクト持ちになる。ただし、プロダクト開発に必要な投資工数を考えると、それを回収できるだけの売上を得るのは大変である。プロモートまで含めればなおさら。また、顧客基盤とビジネスモデルの大幅な転換を意味するため、今までやってきたことがなんだったのか、ということになりかねない。また、サポートやサービス保守のたぐいも良い。いずれにしても大きな工数はかけられないため、大企業の資本にものを言わせた攻撃には耐えられない。いかにニッチを貫くか。

・まとまった案件を受注する。案件が大きくなればそこに最適化の余地が生じるし、総額が大きいので余裕が生じる。大きすぎたりすると、かえってデスマーチになって問題にもなるかもしれない。一般に大きな案件から共通化できる部分を拾って商品化、という上と絡めた作戦が聞かれるが、実際には日本での案件はあまりにも個別すぎるので、商品化可能になるほどいい線は行かないことが多い。また、細かいのを大量に拾うのは、スキルセットの散逸などを招き根本的な解決にならない。営業基盤の拡大にはなるかもしれない。

・そもそも小規模ソフトハウスにならない。最初から一気にプロダクト専業として開発する。スタートアップ資金を用意しての、本当のベンチャー式企業を目指す。資金調達方法と、コストの削減(この場合人件費は最悪0換算可能であるが)が最大の問題だろうが、まあ一般的な起業である。

新年早々書く事も思い浮かばずにとりあえず変更。

今回はImagination の Imperial blueスタイル

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