2008年12月

先のエントリ
10000時間積み上げるだけの簡単なこと・・・本当に?

で、10000時間頑張るのがとても重要なことだ、と言う風に書きつつも、しかしそれは簡単じゃない、と言う話をした。理由を「銃・病原菌・鉄」にある「アンナ・カレーニナの原則」の表現を借りてこれを表すと
10000時間積み上げた人たちはどれも似たようなものだが、できなかった人はいずれもそれぞれに積み上げられなかった。

となる。何を言いたいかというと、努力できないのは性格・資質・環境などがボトルネックになるからであり、全てをクリアしないと才能ある人にはなれないと言うことである。なんと不平等なのだろう。上記の元エントリを受けてKoshianは努力が苦手だから方法を考えるというのを書いているが、反論エントリの努力しようという結論になると、努力することを努力しましょうというお話になる - 教えてお星様にもあるとおり、 努力という単語には空疎な印象を受けるところがある。

とりあえず上記は忘れて、ではどうすれば今から10000時間積み上げられるのか、と言うことを考えてみよう。として、膨大な文章を書き捨てる羽目になってしまった。当然ながらこれが難しい。その辺の駄文は全部切り捨てるとして、必要なのは「継続のためのモチベーション」ということになった。以下にどのようなものがあるかを示す。

  • 外部から追い立てるもの=圧力 - 親・会社・仕事

  • 外部から引き上げてくれるもの=刺激 - 師匠・同志・観客

  • 自分の内側にあるもの - 好きであること・自信・強迫観念


特に幼少時の場合、追い立てなければ子供はやろうともしないだろうため、外部からの圧力が重要になる。問題は、外部からの圧力だけでやっている場合では、圧力が消えると即辞める、ということになる。しかしながら、いきなりやってみようということになるには、圧力はきわめて有効である。

その後に出てくるのは外部からの刺激ではないかと思う。暫くすると、外部の反応を通して自分がなにをしたかのフィードバックを得られるようになる。フィードバックが楽しいためについつい続ける、ということになるだろう。こうなればもはや外部からの圧力は多段ロケットの一段目としての役目を終え、自ら楽しみを得ることが出来るようになる。しかし、残念なことに外部からの声は大変うつろいやすいものである。常に正しいフィードバックが得られるとは限らない。時には嘘でたらめに振り回されたり、容赦なく傷つけられたりするものだ。

そこで必要になるのは自分自身、ということになる。他人の意見に惑わされず、信じる道を進むことが出来るためにはもちろん、それ以前の経験がものを言うわけだ。何の裏付け無しに自信を持てるのは馬鹿だけだ。

さんざん考えた結果、結局、この「圧力」-「刺激」-「自分自身」という3段ロケットにならざるを得ないのではないか、ということだ。そして、どこで失敗するかというと、当然境界条件、ロケットの切り替え段階である。まず圧力がなければ誰も試みない。圧力だけでは続きやしないので、自主的な力を付けなければならない。外部から傷つけられても、自分に自信があれば乗り切れる。このシステムを内外に確立できたら勝てる「勝利の方程式」であるといえよう。

ちなみに昭和的価値観によれば

  • 圧力=良い学校や会社にいけという風潮

  • 刺激=画一的な会社社会における給料や地位


となる。たぶん「内面」に当たるものは個々人の中にしかないだろう。経済成長が後押しする、この二段ロケットがとても強いので、維持し続けられたのだ。むろんこんなものはいまの30代には何の役にも立たないが、例えばWinnyなどのうp職人なら

  • 圧力=ダウソするなら自分もうpしないと

  • 刺激=「神」とたたえられること


となるだろうか。「内面」にあたるものがどういったものかまったく思いつかないが。いずれにしても、この方程式を作ることが、積み上げるための最初の一歩になるだろう。

となると、日本人における「努力」はおおむねつらいものを指すから、実はロケットの一段目にしかならないことに気づかないだろうか。当然、日本の詰め込み教育もやはり「圧力」である。我々は他人によい刺激を与えることに慣れていないから、多くの人は2段目に切り替われずに辞めていくしかないのだ。ここをなんとかしないといけない、とは常々思っている。

そこで強引に「10000時間積み上げるために必要なのは、努力することではなく、努力せずに時間を積み上げられるようにすることだ」と言えないだろうか。汗水垂らして嫌なことをしないと上達しないとか、あり得ない結論なのである。

あと、もちろん他にロケットを妨げる外圧と内的要因がないのが必要になる。が、これはちょっと毛色が違う。まさに「才能」とか「資質」とか「環境」の類であろう。もちろんこちらも無視でない要因ではある。

「内面」をいかに作るかについては以前教わったことがあるのだが、もう眠いので次回以降と言うことで。

割と頻繁に言っていることだけど、ヨーロッパで感じるのは「うま味」が不足すると感じること。あらためてWikipediaで調べてみると、西洋では日本人の言う「うま味」を、長らく理解していなかったらしい、と言う記述があってびっくり。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%BE%E5%91%B3

ただ、この文章だけを見て「ヨーロッパ人はうま味を知らない」というのは間違っている。概念こそ定着していないものの、実際には経験的に「うま味」なるものに近いものを知っている。うま味を引き出す料理が少なからずあることから、それを知ることが出来る。ただ、認識の違いはにより、東洋人がうま味を外部から添加する方法を確立されたのに対して、欧米では素材からにじみ出るものを大切にする形になったのだろうなぁと考えてみたりする。

端的に知ることが出来るのは、すき焼きでおなじみ薄切り肉。実は、ヨーロッパでは「あり得ないもの」と認識されている。技術がないはずはない。薄切りハム、ベーコン、ローストビーフなどは普通に売られているし普通に食べられている。にもかかわらず肉屋に頼んでもなかなか売ってくれなかったという。ある外国在住の日本人の知り合いから聞いた話だが、昔、肉屋に薄切りを頼もうとしたら「味が全部抜けてしまうからダメだ」と言われたそうな。彼らの信条にかかわるようなことらしい。

なるほど考えてみれば、煮込みによってうま味を凝縮し、あるいは煮汁ごと食べる文化圏においては、肉のうま味が飛んでしまいやすい薄切りは御法度であろう。じゃあ何故ハムやベーコンが薄く切って良いのかというと、あれらはうま味が濃縮されているのだ。ベーコンから出る出汁で美味しいスープが作れるし、そういうレシピも豊富にある。そもそもベーコンは薄切りもあるが、角切りも多い。

一方日本人は何故気にしないかというと、こういう時のうま味はダシとして鰹や昆布で別途取るからだ。中華の炒め物も、各種炒め物ソースがある。こういう状況では、固くなりやすい長時間の煮込みよりも火の通りやすい、食べやすい薄切りが好まれるのは当然とも言えよう。

そう考えると日本でよく売られている形だけ燻製にしたようなベーコンやハムはあくまで薄切り肉の延長であり、出汁の素、つまり鰹節のような扱いはあまり受けていないことに気づく。だからヨーロッパに来て「ベーコンうまい!生ハム最高!」と思う。いやまあ、日本人が理解しているのかどうかは分からない。単に技術やノウハウの問題でうま味が出ていないのかもしれない。

一方、日本的な出汁には大変苦労しますが、幸い日本食ブームなので、鰹節や昆布はアムステルダムのような大都市近郊なら比較的簡単に手に入る。ありがたいことだ。薄切り肉だって「SUKIYAKI用」として入手可能だ。逆だったら、つまりヨーロッパ人が日本に来るなら大変なのだろうな。こちらで主流のブロック肉や、美味しそうなベーコンは見たことがない。日本は確かに何でも美味しいものが食える素晴らしい国だけれども、無論あらゆるものがそろっているわけではない。まだまだ西洋に学ぶものは多いかも。

なぜかadiaryをインストールした後即刻削除。理由は旧tdiaryデータとmixiデータのimportツールがあったので。

http://adiary.org/download.html

adiaryを最も簡単な設定で立ち上げた後、両方とも上記でダウンロード可能なツールで作成したexportファイルをadiaryに取り込んだ。そのあと、MT形式でadiaryからexportし、exportしたものをそのままMT形式でwordpressに取り込み。これで5年間(ただし1年間ほどブランクあり)ほどのデータが一貫することになった。あとはhnsと独自形式だが。独自形式はまあ、普通にカットアンドペーストでいけるとしても、hnsはやっかいだ。

※tdiary形式のexportもずいぶん変な形になってますが無害です。どうせ元コンテンツ残しているし、リンクの張り替えまでは今の所出来ないし。

とはいえ、mixiに関してはコメントの扱いが微妙(明らかに外に出せないようなのもある)なので、コメントがあるものについてはインポートした後もエントリ自体を非公開扱いとしました。精査後にあらためて公開する形に出来ればなぁと思っています。しかし、こういうツールがあるのは良いがみんなはどうして居るんだろう。コメントはもらったものだから、そのまま移行して終わりだろうか?

しかし、mixi使っていると外部blogとの連携が本当に困る。みんな言っているとおりだけど、なんとかならないものなのかなぁ。
Quick Lookup:

なんでも才能のせいにするなよ - 狐の王国.

またまたKoshianに喧嘩を売っているようで仕方がないが、これを読んで昔読んだLifehacker.jpの以下の記事が脳内でリンクした。 ちょうど書きかけで死蔵していたので、これを機に加筆して世に出すことにしよう。

あなたも「天才」になれる? 10000 時間積み上げの法則



全てのグループでバイオリンを始めた平均的な年齢は変わらず、「スタートが早かった」効果はグループでみると無視できました。それに対して練習量は、他のグループは同じ年齢で 8000 時間、あるいは 4000 時間にしか達していなかったのに対して、ソリストになりそうなグループは計10000時間ほど、一週間の練習量も他のグループよりも飛躍的に高かったのです。

面白いのは、彼の調査によると「練習をせずに天才的才能を発揮する」人も、「いくら練習をしても上達しない人」の両者も見られなかったのだというところです。

この「10000時間やればいっぱしのプロになれる」というのは、L.star自体もだいたい同意するところである。実際プロになるにはそのくらいの努力はいる。一方例で言うとソリストの中でも超一流、コンピューターで言えば超級ハッカーになりたければ話は異なる。これは「才能」と「運」の世界になるが、そのレベルの話はこのエントリでは省く。

L.starも、実際プログラミングというかコンピューターのことについては四六時中考えているし、それを考えたら、はっきり言って10000時間では足りない。ただ、正味プログラミングに費やしたのはまだまだ足りないかもしれない。まあ元記事に戻ると、凄腕のレジなんて、ちょちょんと10000時間も修行すれば誰でもなれるたぐいのものであり、100年たっても追いつけないような類では決してない。

そして、これを2008年話題のキーワードで読み替えると、「10年間泥のように働け」となる。だから10年間必死で働けば、たいていの人は一人前になれるのだ。これが日本の大企業の強みであり、「泥のように働け」肯定派の主張の根幹である。

これは「泥のように働いた」結果何になるか、というのを無視すればまったく正しい。しかし、そこが一番の問題なのだ。IT業界の場合、コンピューターのスペシャリストになんてなりはしない。全銀協手順とか社内Javaフレームワークのような基盤と、パートナー人脈や社内政治のスペシャリストになれる。これは社会の未来を作るスキルではない。社会の今にパッチを当てるスキルだ。それどころが、会社が変わるとたちまち役に立たなくなるものであり、会社が信用できないような状況では取得したくもない。

そして、社会が腐っていると感じられるのに、それにパッチをあてて未来永劫維持したいという若者がいるものか(老人ならいる - 「先送り」でなんとかなればいいから。)これが世代間の空気差となって現れている。

話がずいぶんずれている。

累計10000時間の努力が誰にでも出来るかというと、実はほとんどの人には無理だと確信している。それを支えるためには体力、精神力、環境など全てが問われる。業界が閉鎖的だったり嫌な空気だったらやる気を無くして脱落する。個人が病弱なら健康上の理由で脱落する。転勤して良い環境から離れてしまったら脱落する。理由なんていくらでも転がっている。L.starは昔芸術をやってたせいもあって、自分がコンピュータを続けられるのがどれだけ幸せか理解している。

  • 資本があまり必要ない。身体能力もそれほど必要ないし、マシン台もたかがしれている。

  • 実行することで、他人に迷惑をかけることが少ない。騒音も発しない。

  • 仕事にすれば生活するだけの金が稼げる。衰退傾向にない。

  • 個人的にやりがいと意欲がある。一日中机の前に座っていても苦にならない。

  • コミュニケーション量が自分に合っている。個人的に積み上げる作業が主であり、常に膨大なコミュニケーションが要求されるような類ではない。

  • 業界の状態があっている。すでに確立した権威は多くないし、それほど閉鎖的ではないし、技術トレンドは発散傾向にある。


無論これは「L.starにとって」であり、他の誰かにとっては同等ではない。しかし、これら全部に適合し続けるよりどれか一つが外れる方が簡単だ、というのは分かっていただけるかと思う。逆に言うと、こういう条件をすべて満たして(無意識であれ意識的であれ)時間を積み上げ続けられることこそ、その人の才能と言っても良いかもしれない。

最後に一言でまとめると、自分に言い訳する必要無しに10000時間続けられるものを探しなさい、ということだ。


  • yoosee氏の以下のエントリにつられて、Google Friend Connectを導入。ちゃんと幅を合わせたはずなのに、今見るとあってない・・・

    Google Friend Connect を試用導入中



  • なんかGFCと略してみて、Googlentacky Fried Chickenという単語が

  • なぜか設定が変更されなくてはまる。Wordpress+WP-(Super)Cache使っている人は、ウィジェット設定変更したらキャッシュを削除しましょう。約束だよ!

  • Facebook Connectも導入しようかな・・・

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