チームラボ猪子氏が語る「マリオやドラクエが日本で生まれたワケ」


というのがよく荒れておりました。荒れる理由はゲーム史に対する不理解で、例えば以下の文面はゲーム史論文などというテストがあれば0点です。横スクロールアクションとしてのスーパーマリオブラザーズは、もちろんゲーム史的に非常に重要なマイルストーンではあります。しかし、実際には最初どころがわりと後発です。
一瞬話変わるんですけど、これはマリオ。僕の大好きなマリオ。実はマリオというのは世界で一番はじめに、世界で初めて横スクロールアクションという概念を生み出して、実際世界中で大ヒットしています。世界中の人々はマリオを生んだ人に対して、天才なんじゃないかと、神のように賞賛しています。でも考えてみてください。マリオを生んだ人は京都にいて、京都は伝統的な日本の空間の認識によってデザインされた空間に溢れています。もしかすると毎日の生活の中で、自分の生活に対していつも世界は横側にあり、その横側にある世界はレイヤでデザインされていて、普段の生活の中で見ている風景を、そのままゲームという世界に落としただけなのかもしれません。

日本人はレイヤーで理解するから俯瞰的で、欧米人はパースペクティブで考えるから一人称視点、というのは分からなくもないです。例としてFPSが出ていますが、一人称視点でリアルを追求するのは実際に米国の一人勝ちです。しかしよくよく考えて本当にそうなのかというとそれだけじゃないでしょう、という気もする。じゃあ本当にゲーム史から考えるとどうなるのか?というのをつらつらと考えてまとまったので、今日は「ドラクエ」について書いてみます。つまりJapanese RPGとしてのマイルストーンのドラクエの「日本らしさ」について、です。

まずRPGですが、サラブレッド三大始祖ならぬRPG三大始祖があるとすれば、以下の3つでほぼ決まりでしょう。これらは、すべて「米国製」で、RPGという概念がそもそも輸入であることがわかります。

  • Rogue
    ランダム生成の俯瞰的ダンジョン冒険ゲームで、ほとんどすべてのダンジョン生成式RPGの始祖。

  • Ultima
    俯瞰2Dのフィールドを歩きまわり、複雑な戦闘をこなすタイプのCRPGの始祖。なおダンジョンは3D

  • Wizardly
    3Dダンジョンを冒険し、クイックな選択式の戦闘を行うタイプのCRPGの始祖。


あとはこれをどのように解釈して輸入していったかということになりますが、まずUNIX発祥でメモリリソースをバカ食いするRogue型が日本で導入されるのはかなり後で、有名所ではトルネコの大冒険あたりですので、今回は除外します。残る2つ、UltimaとWizardlyは当時のほとんどすべての日本(国産)RPGに影響を与えており、ドラクエも例外ではないどころが、影響を色濃く受けていることを公言しています。ですので、これを「どのように消化したか」が、日本らしさの見せ所になるのでしょうか。どのように、というと、初期のRPGでは3つの点があげられるかと思います。

  • 補助的な冒険の舞台であるフィールドは2Dか、3Dか、そもそも存在しないか

  • メインの冒険の舞台であるダンジョンは2Dか、3Dか

  • 戦術の見せ所である戦闘は、2Dによるタクティカル・コンバットか、単純画面・選択式のクイックコンバットか


そもそもTRPGを、特にD&Dの影響を色濃く受けて誕生したCRPGは、「ダンジョンに入ってお宝を持って帰る」というのが基本的なスタイルでした。その中で視覚情報を元に自分でマッピングをしながらプレイする3Dは、どちらかというと本格的、というイメージが強かったのは確かです。例えば、国産初のRPGと呼ばれるブラック・オニキスは「フィールド(街):3D、ダンジョン:3D、戦闘:クイック」を選択しました。大分あとになりますが、国産のTRPGから展開した本格RPGである「ロードス島戦記」も「フィールド:2D、ダンジョン:3D」を選択しています。

特にグラフィック描画を行う場合、2Dの細かいドッド描画は大変なこともあり、初期には直線だけで書ける3Dが流行りました。これが高性能化するにつれ、確かに2Dは増えていきます。本格的な2D RPGというと、夢幻の心臓あたりでしょうか。

また、日本では「ドルアーガの塔」「ハイドライド」「ドラゴンスレイヤー」を始めとする、アクションRPGというジャンルが勃興します。これはアクションゲーム(通常全方向スクロール)に対して体力、攻撃力、防御力、経験値といった「RPGっぽい要素」を付加したもので、3Dがリアルタイム描写が難しいことから、主に2Dでした。こういったゲームは当時の8ビットパソコン(PC-8801等)でリリースされています。アクションRPGについては、ゼルダの伝説が決定的なマイルストーンでしょう。これも全編2Dです。

さてファミコンでリリースされた初期の傑作RPGとも言える ドラクエは「フィールド:2D、ダンジョン:2D、戦闘:クイック」を選択しています。この頃になると、2DのRPGもそれなりに普及しており、当時の国産RPGとしては実は保守的なものです。ドロー式のグラフィックを考慮しない、アクションゲーム向けのハードウェアの制約を考えると、2Dのほうがやりやすかったのでしょう。後には3Dダンジョンのファミコンゲームもいくつか発売になりますが、全編3Dなのはドラクエから半年後、しかもディスクシステムの「ディープダンジョン」になります。技術的な制約も大きかったせいか、基本的にはコンシューマー機のRPGはしばらく2D主体で進みます。ファイナルファンタジーなどもその一つです。

一方米国では、3Dが優勢です。Ultimaは確かに2D RPGの生みの親でありますしその後もかなり長い間影響力を持ちますが、当時の米国の本格的RPGの多く、例えばWizardlyやUltimaと並び称されたMight & MagicやBard's Taleなどは「フィールド(街):3D、ダンジョン:3D」です。 米国では引き続き本格RPG=3Dの図式が続きます。日本のアクションRPGが2Dアクションの系譜から進化したのに比べ、「ダンジョン・マスター」が決定づけた米国のリアルタイムRPGは3Dです。

例も出したとおり、日本で3Dが流行らなかったわけでも、アメリカで2Dが出なかったわけでもありません。しかしながら、確かにアメリカは3D,日本は2Dという傾向がはっきりと見て取れます。これはもう一方でアメリカのRPGは硬派で本格的、日本のRPGはカジュアル、というイメージにもつながります。

もう一つ言えるのは、アメリカ=TRPGの延長で自分がプレイするゲームであることを望んだ、日本=エンターテイメントとして物語を楽しむ、というところかと思います。TRPGの延長である米国のRPGは概ねサブクエストが充実しており、一本道には程遠い部分があります。他方日本では、サブクエストの豊富なRPGは、PC-98後期の「ソードワールドPC/SFC」や「英雄伝説4」など素晴らしい物がありますが、やはり主流とはいえません。あくまで物語的に楽しむサブゲームとしてのお使いや戦闘があります。この点でも、「日本=俯瞰的」「欧米=一人称視点」というのが見て取れるのではないでしょうか。

駆け足になってしまいましたが、実際に日本と欧米でRPGの進化に差があることをゲーム史的に並べてみました。たしかに一定の根拠があるように思えますね。ただ、一つだけ気になるのはドラクエの主人公、喋らないんですよね。これは主人公を一人称視する手法だというのは間違いないですが、たしかに若干ずれている気もします。

P.S.

あくまで自分なりに思索を巡らせてみたものなので、誤認の指摘、補強する資料の提示、追加の視点などのコメントは歓迎します!

 

 

 

この数日のパソコン遠隔操作事件の進展とあっけない結果には驚くばかりであった。真犯人からというメールが出てきたことにはびっくりしたし、素早く鑑定結果が出たことには更にびっくりした。個人的にはこの後被疑者の行方がわからなくなった時点でほぼ勝負は決したと思ったが、いきなり自白、というのには目が飛びださんばかりだった。事実は小説より奇なり、とはまさにこういうことだろうか。

もちろん今のところは単に法定の外で語っただけに過ぎず、裁判としてはまだまだ先はある。しかし彼の「自白」によって浮かび上がった真実ほどはっきりしたものはなく、個人的には「ああ、終わった」という実感が似合う。弁護側関係者の人のブログのエントリにもそれが見て取れる。

PC遠隔操作事件:すべての謎が解けたあとに残るもの


今後の可能性としてもちろん「自白を第三者に強要された」とか「精神的に錯乱していた」とかという主張も不可能ではないが、正直今明るに見に出た以上のものはないのではなかろうか。

今回注目すべきところはもちろん色々あって、警察・検察の対応の強引さやマスコミから飛んでくる飛ばしっぽい記事として伝えられる「体制側」の問題、最後に自白によって明らかになった被告人の精神状態と、それに結果として踊らされた弁護側など、面白い部分も多いが、ちょっと登場する技術者たちにフォーカスして考えてみた。


ここで登場するのは4種類の「人たち」である。

  1. 被告人

  2. 弁護側技術者(要するにおごちゃん)

  3. 検察側技術者

  4. 「真犯人」


もちろん今となっては4.真犯人=1.だということは分かる。しかし弁護側の主張はほぼ一貫して「被告人はあくまで踏み台にすぎない」としている以上、「真犯人」を仮定せざるを得ないわけであるし、またそれはあの時点では十分蓋然性を持った意見であった。話がややこしくなるのがこの「真犯人」がどれほどの技量の人物かわからないため、スーパーハッカーによる完全犯罪で、被告人もまた被害者であることを否定出来ない点にある。

とはいえ、警察の対応に疑問符が付いている一方で、検察側の技術者は良い仕事をしたのは間違いない。まず争点として「被告人は何の関係もない人物である」というのは最初からなく、関係人物に絞り込むのに成功している。その上で、ファイルスラックまで調べあげて、実際にiesysがビルドされたマシンを特定するのに成功している。

【PC遠隔操作事件】第2回公判傍聴メモ・最初の検察側証人は「ファイルスラック領域」を強調


正直言って、これを見たあとで「このマシンはiesysがビルドされた痕跡がある」というのを否定するのはかなり困難である。1年に及ぶ拘留期間というのも、このへんも含めた徹底的な解析にそれだけ時間をかけたということだろう。もちろん、それが意味するのは「被告人がビルドした」か「被告人のマシンを乗っ取った真犯人がビルドした」のどちらかである。

結局「スーパーハッカーなんかいなかった」という命題を後付で導入すれば、もちろん消去法で「このマシンを使って、C#でプログラムを書けた人」が犯人となるわけだ。しかし、情況証拠がどこまで重なっても、真犯人の可能性を消すことは出来ない。もしも自分でこの証明作業をしていたら、「たぶん被告人が犯人で間違いない、と思うのだが、証明できたというところまで辿りつけない」というところまでしかたどり着けなかったろう、と思う。ある意味では、今回の事件におけるホワイトハッカーの限界、というわけだ。肝心なところは今後の公判のために温存していたのかもしれませんが。

ただもちろん、ビルドされたマシンが特定されたことは被告人=真犯人にとって、非常にショックだったに違いなく、それが今回の無謀な行動の引き金になったのだろうな、とは想像する。

対応して弁護側に近い技術者の動きも、決して間違えてはいなかったと思う。唯一おかしかったのは、おごちゃんの勘が外れていた事か。

遠隔操作裁判に行って来た

正直、この種の「見立て」が外れることは滅多になく、L.starも似たような予断を持っていたので「こいつにiesysとか書けるかよぷげら」という思いがあり、それが今回ハズレを引いた感は否めない。遠隔操作ハッカソンというアイデア事態は良いものだと思うし、ただもしこれで全然出来ないということになると、弁護側としては苦しい立場に追い込まれたことだろう。

対して、被告人だが、弁護側の予想に反して、PCやスマホを隠しておくなど、非常に周到に用意した「ブラックハッカー」であったことが判明してきている。例えば以下に要約がある。

「死のうとしたが死に切れなかった」「いち早く裁判を終わらせたかった」「サイコパスは自分」「お母さんを安心させることが今回の動機」


とはいえ、必ずしも万能なレベルではなかった。(完全な証拠隠滅=HDDのフォーマット以上の行為の難しい)勤務先で不用意にビルドをかけたり、秘密のPCのパスワードを忘れたり。例えばiesysに自己ビルド機能があれば、痕跡をたどるのは一層難しかっただろう。そういったより洗練されたレベルまではいっておらず、それが今回尻尾を掴まれる原因になったわけでもある。しかし、このレベルでも逆に言うと特定できないのか、となるともっと上のレベルが万一確信犯的な犯罪をした時にどうなるのか、という思いはある。

最後に彼は策に溺れてなのか追い詰められてかは正直まだ良くわからない部分があるにしても、メール送信したことが裏目に出て今回の結果となるわけだが、この点も個人的には外された。というのも、彼は非常に心理面は安定しているのかなと思っており、また作戦としては攻め切れないのを見越して検察を切れ負けに追い込むのを目的としていると思っていたので、こんな博打に出る必要性が全く思い浮かばなかったからだ。

いろんな事実やらなんやらが流れてくる中で「お母さんを安心させることが今回の動機だった。」というのが一番印象に残る部分だった。見えてこない「心理状態」が思ったよりずっと重要な役目をしていたな、という感想である。

 

なんかそういう技術的な雑感という名目の取り留めもないことを考えなから、ホワイトにしろブラックにしろ、結局まだ「技術より欺術なのか」ということに思いを馳せざるをえない。技術はもちろん万能ではないとはいえ、今はケビン・ミトニックの時代から格段に進歩している。それでもなお、真実を明かす程の力を持ち得ないのか。それは我々の努力不足なのか、単にたいそれた願望に過ぎないのか・・・

 

去年辺りから聞かれるようになった「フルスタックエンジニア」という単語、いよいよ日本でもバズりだしましたね。最新のエントリで言うと以下でしょうか。

フルスタックエンジニアもオフショアに脅かされる未来


なんとも微笑ましいエントリです。例えばアメリカではスタートアップを中心にフルスタックの求人は増えていますが、それがオフショアになどという話はあまり聞こえてきません。しかし気を取り直して、ちょっと見てみましょう。

フルスタックエンジニアの複合スキルで触れられているシステムのインフラ構築ですが、基本は日本人エンジニアが担当することが多いです。


理由はいろいろありますが、一番の理由としては「IDCが日本にあるから」。


(中略)


今後はIaas型のクラウドをベースにしたシステム開発が増加すると言われてます。

ということは、Iaasが普及すれば、インフラ構築が地理的拘束から開放されることを意味するわけで、オフショア側がインフラ構築の技術領域に侵食していることを予想できます。

要するにクラウドでのサーバ構築なんかはオフショアでも技術要件わかるコモディティなのだから、安価なオフショアに取って代わられる、ということのようです。確かに技術のコモディティ化は、両方に働きます。だから、汎用技術に優れたインド人に持っていかれる、というのもありそうに聞こえますね。

まあしかし、この人の持つフルスタック像というのは、最初に説明され尽くしています。

昔々、SIerでもフルスタックという言葉では無かったのですが、「T型人材」「Π型人材」になれと言われてきた時代がありました。(今も言われているのかな)


この言葉が今WEB業界から出てきたことに、感動を禁じえません。



π型人材!これを読んで爆笑してしまいまいした。そして今話題の美味しんぼよろしく「明日来てください。本物のフルスタックエンジニアをお見せしますよ!」などと叫ばずにはいられません。



〜翌日〜


では、そもそもバズってる俺定義を窓から投げ捨てて、初心に帰ってフルスタックエンジニアとは何なのかを確認してみましょう。L.starが最初に聞いたのはpublickeyでしょうか。大体1年前のエントリです。

最近よく目にする「フルスタックエンジニア」とは何だろうか?


これを読むと分かる通り、元々はスタートアップ向けで、少数精鋭のチームで何でもこなす飛び抜けて優秀な人材を指していました。記事中Y Combinatorの名前が出てきますが、最近では知らぬ人がいないぐらい有名なVCで、ずば抜けた投資成績で知られています。ここでは起業家に製品開発に集中出来るだけの資金等を与え、集中して製品開発を行わせるといいますが、そういう中でなんとかが出来ませんみたいな言い訳はありえません。必然的に、自ら四番でエースのプレイングマネージャーであることが求められます。単にHTMLからSQLまでフルに分かっている、などという生易しいレベルじゃない、設計からリリースまで全てのフェイズに責任を持てる人材が求められるわけです。

少数精鋭のチームで、しかも全工程を密接にして行うわけですから、多人数が係るプロジェクトで陥るような伝言ゲームとか社内政治などとは無縁の、素早い運営が特徴になります。必然的に、生産性は極めて高くなります。

要は「色んなものが簡単にできるようになったんだから、それを踏まえて全部数人でやっちゃえば凄いことになるよね」ってことです。フルスタックというと「なんでもできる」という点が強調されます。違います。なんでも自分でできちゃうのがフルスタックなのです。そのために、あらゆる基盤要素は、少数のエンジニアがすぐ動かせるように準備されるのが、フルスタックエンジニアを必要とする会社が備えていなければならない要件です。

ちょっとコマンドを動かすと30分でサーバが用意され、1時間でネットワークが整い、3時間で全テストが終了しないといけません。こんなスピード感のある職場でオフショアとかあり得ません。インドの拠点に要件が伝わるまでの間に、必要な作業が全部終わっちゃいます。クラウドを使う強みというのは、このスピード感です。だれでもできるから他人に頼むのではなく、だれでもできるからさっさと自分で手早くやるのです。

それを踏まえて

35歳定年説より怖いフルスタックエンジニアしか生残れない未来とは


を読んでみましょう。わりと腑に落ちると思います。

最後に、ちょっと旧聞になりますが

CTO募集とかフルスタックエンジニア募集とか都合の良いこと言っちゃだめ


に戻ってみましょう。無責任ワードとしてのフルスタックとは何でしょうか。色んなモノができる、というと野球に例えると内野も外野も守れるユーティリティプレイヤーでしょうかね。例えば運用業務なんかで、小さい組織などではどうしてもあらゆることが出来る人材が必要になるのも事実です。例えば随分昔の求人ですが

北海道枝幸町がIT情報技術専門職を募集中


などという話がありました。小さな役場には不釣り合いな、多様な技術が必要なのが見て取れると思います。そして実際それだけ無いと業務が回らないでしょうね。こういうところに必要になるのがまさにπ型人材でしょう。

が、説明したとおり、これはスタートアップの求めるフルスタック像とは全く異質で、ただの便利屋にすぎません。よくわからないけど便利な人材がほしい、というのであれば、それはまさに無責任な人事でしょうねえ。

 

ちなみに、「本物のフルスタックエンジニア」を求める会社かどうかを判別するためには、ひとつの基準があります。それは「高い技術力に裏打ちされスピード感」が無いと立ちいかいない会社かどうか、です。そういう会社は技術がボトルネックなので、必死で優秀な人材を集める必要があり、集めた人材を最大限活用するインセンティブがあります。そうでない会社だと、所詮技術ができても便利屋以上にはなれません。

 

まとめ


フルスタックの本来の意味は「何でもできる」ではありません。「何でもやっちゃう」人材なのです。その少数精鋭モデルに最適化した構造が、飛躍的な生産性向上をもたらすのです。単なる便利屋ではなく、四番でエースな超人が求められるポジションですし、会社もそれを雇うための構造を持っていないと、単なる宝の持ち腐れになります。

 

 

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