このたび、10月末をもって7年強に渡るオランダ及びニューヨークの赴任生活にピリオドをうち、帰国することになりました。
というか、すでに帰国して、しかも新居も決まって、ネットが開通してとりあえず一段落しましたので、オープンに報告することにしました。
いつのまにやら日本もずいぶん様変わりしているようで、何も変わっていないようで、とりあえず戸惑ったり日本食食いまくったりしております。
とりあえずは四半期以上何も書いてなかった間に色々とあったのでそれから回復するためにも心を休めつつ、欧米ぐらしで学んだことをつらつらとまた書いていきたいなと思っております。


ITエンジニアの価値を貶める『人月商売』の功罪


を読んでみて。

「人月商売」がエンジニアにとってどのような問題点があるかというと、エンジニアの価値を低下させる事になってしまう、という点です。


端的に言うと、「人月」で見積もりを出しているという事は、すなわち自らの価値を、提供価値に対して値段を付ける「知識集約型」ではなく、稼働に対して値段を付ける「労働集約型」へと貶めてしまっているからです。


ITの良い点の一つとして、ルーチンワークをプログラミングで自動化できる点があります。一度システム化してしまえば人の代わりに永続的に価値を生み出し続けられるメリットがあるわけですが、労働集約型モデルで働いていると、永続的に生み出される価値に対する対価は得られず、何人月で作ったかという時間の切り売り部分にしか対価が支払われません


これはどう考えてもITエンジニアのもたらす価値の安売りであり、自らの価値を下げていることに他なりません。



たしかに知識集約vs労働集約とか言われていて、単なる人月商売ではエンジニアが大事にされないとか、そういう議論は昔からずっとされているんだけど。でも例えば小規模ソフトハウスなんかで、最初の方は人月でどんどん高く売れて非常に技術者を大事にしている会社が、どっかのタイミングでガラッと変わってだめに成ってしまったりする。そのとき、別に知識集約から労働集約に明確に切り替えたわけではない。勝手に切り替わるのだ。それについては

社員20人から先に進めない小規模ソフトハウス


などという記事を昔書いたことがあるが、簡単に結論の出ない話で、わりと「夢のない話」と言われたりもした。

問題にすべきは、どんなモデルを持っているか、というのもそのとおりなのだが、何がモデルを決定するか?ということではないだろうかと思っている。実は、ようやくそれについての解答を得たと思っているので今回書き記したい。

それは何かというと、

「その組織のボトルネックがどこにあるか」

だ。

ソフトウェア業界の組織のボトルネックを決めるもの


ソフトウェア業界といっても非常に広い。よく言われるエンタープライズ系とWeb系というくくりなんかがあるが、漠然としていてつかみどころがない。

スーツはスーツ、ギークはギーク、エンタープライズ系とWEB系の溝


などという記事も最近書いたが、Web系かどうかなどという判定方法はあまり見当たらないし、ましてや騎兵/歩兵という分類も、見分ける方法が難しい。しかし、じゃあボトルネックが何かということに着目すると、実はかなり簡単に説明できる。

じゃあソフトウェア業界組織のボトルネックって?という話だが、ここでは以下の2種類の視点を取り上げたい。

需要過多か供給過多か。


ここで需要とは、SIでいうところの「案件」の多寡だと思ってほしい。一方供給はエンジニアによる「生産力」だ。つまり生産力に対して収入が少ない、あるいは少なくなる可能性が高い会社が供給過多、一方やるべきことのほうが圧倒的に多いところが需要過多だ。

組織の効率が高いか低いか


効率というのは、ここでは構成員一人ひとりの生産性が有能で高いか、あるいは普通の人が普通に働いている程度で低いか、というのを問題にする。総じて小規模ほど効率が高いが、それは効率を高める最強の手段が、少数精鋭化というところだからである。

ボトルネックによる類型化


これで、2*2=4種類の会社を考えることができるが、それによって何がボトルネック化が大きく変わる。類型として示したい。

  1. 供給過多で低効率 => 「営業ボトルネック」
    大規模SIer。総じて社員を他者から取ってくる仕事にアサインし続ける必要があり、余ると即損失につながる。また人数も多く、平均効率が高いとは言えないだろう。こういった職場は、需要を確実にするのが安定の秘訣であることは間違いなく、いわゆる「営業」(単に営業というわけではなく、仕事を取ってこれる人)のポジションが非常に重要である。

  2. 需要過多で低効率 => 「組織力ボトルネック」
    大企業の社内SI。社内の作業をこなすため仕事が無い=即損失につながるわけではない。一般に規模が大きく、職務が細分化されており、個々の能力よりも調整能力などが問われる職場である。このような組織では、いかに効率高く現有部署を動かすかがポイントであり、社内政治に精通した管理職がありがたがられる所以である。

  3. 需要過多で高効率 => 「技術力ボトルネック」
    いわゆるWeb系、ゲーム系、初期のスタートアップ。とにかく大量の生産をこなすことが必要であり、営業で頭を悩ます以前に、プロトタイピングの繰り返しとか、とにかくガチャを引くようにソシャゲを量産したりとか、そういうのが重要になる。こういったところでは生産性の高い社員の多寡が重要なポイントになる。

  4. 供給過多で高効率 => 「戦略ボトルネック」
    いっぱい頑張らないといけないのにお金は足りない、最悪のパターン。正直まっとうな会社でこの状況に陥るのは戦略ミス、あるいはスタートアップに失敗しているとしかいいようがない。


UPDATE:@koshianが表を作ってくれたのでとりあえず貼ってみる。

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UPDATE2:やっぱり自分でも書いてみた

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ボトルネックがわかれば、ボトルネックのリソースを活かすために他のリソースを従属させるのが、組織としての最善である。つまり、「営業ボトルネック」「組織力ボトルネック」の会社では、技術力のある社員は二の次で、既存の案件にそって何かをこなすために必須なわけではないのである。営業ボトルネックの会社では、社員は降ってくる案件に応じて受動的に様々な技術に対応することが求められる。

つまりいわゆる「Web系」とは「技術力ボトルネック」の業界である。「エンタープライズ系」とは、技術力ボトルネックでない、「営業ボトルネック」「組織力ボトルネック」の業界の総称なのである。

ちなみに、20人のソフトハウスがステージが変わるのもこれで説明できる。たいていの小規模ソフトハウスは営業力を社長あるいは有力な数人に頼っているが、その限界点がだいたい20人月/月というところだという話。そこを超えると「営業ボトルネック」に移行してしまう。これ以外にも「優秀な社員をボトルネックに近いところに移動させたい」というところから組織の出世が技術から営業あるいはマネジメント系に変化していくとか、いろんなことが推定可能である。

 

まとめ


ということで組織のボトルネックによって、かなりわかりやすい類型化が可能であることを示した。これによって色々分かることがおおいが、最後に一つ、転職のタイミングと、転職先の選定方法に使えるということを示したい。

というか、要するにあなたがボトルネックの解消に役立たなくなるなら、あなたはその組織では重要な人材ではないということだ。その状態で安穏と暮らすか、自分の脳力を活かして解消できるボトルネックを探して、そこで新たな挑戦をすることになる。一番いいのは、あなたがいることでボトルネックが解消するが、いなくなるとまたボトルネックになってしまう、という組織だ。そんなところなら、いつまでも大事に扱ってもらえる。逆に、そこがずれてしまうと、いつまでも便利使いされて使い潰されるだけ、ということだ。

 

 

 

 

ゲーム史的に正しい「ドラクエが日本で生まれたわけ」


に引き続き、「マリオ」正確には「スーパーマリオブラザーズ」が、本当に日本で生まれる必然性があったのかについて考察してみたいと思う。ところで考察すべき点は2つあって

  • 日本初のアクションゲームはレイヤーで考えられているのが、米国発のはパースペクティブで考えられているのが多い

  • 「マリオ」が日本で生まれる必然性はどこから来るか


になる。

 

まず最初に前者をさっさと済ませてしまうと、スクロール系アクションなどで多重レイヤーで奥行き表現を出す手法を日本人が得意としたか、というと完全にそのとおりである。

「ラスタースクロール」と呼ばれる手法などを駆使し、美しい多重スクロールを実現したのは横スクロールでは、ムーンパトロールが最初と言われている。また縦においてはゼビウスこそ使ってなかったが、その後の雨後の筍のように出てきたものの中には、そういったゲームが大量にある。こういう多重スクロールを駆使した二次元シューティングゲームは、当時の日本人の独壇場とも言え、スーパーマリオブラザーズの時代にはもう確立していた。ただ一つだけ突っ込みたいとすれば、これは元々はマルチプレーン・カメラという戦前のセルアニメなどで使われた技法からの発展で、米国の方で元々は使われていたと思う。

 

しかし、次の問いになると首を傾げてしまう。ドラクエの場合、RPGでは米国がはっきり先行しており、WizとUltimaのいいとこ取りという日本独自の取り込み戦略が、あの形に結実したのがはっきり分かるため、順序がはっきりしている。アメリカは先に本格的な方向に進み、日本はそれをデフォルメしながら追いかけた。

ところが、アクションゲームは日米双方でしのぎを削っていた分野である。同じプラットフォーム系のアクションゲーム、というくくりにおいてもマリオ程ではないとしても歴史的大ヒット作のPitfall!がある。例えばPitfallシリーズからスーパーマリオの地位を占めなかった可能性は、決して少なくなかったかもしれないと思うのである。そこにはいかなる必然があったのか?無いとしたら、単純に偶然競争に勝てただけなのか?

だから今回は「マリオに匹敵するエポックメイキングなゲームが米国で生まれなかったわけ」を考察したい。

 

ところで仮に必然であったとすると、以下の様な選択肢が考えられる。

  1. 米国人は、別のカテゴリを開拓するのに夢中だった。

  2. 米国人は、日本人開発者より優秀ではなかった

  3. 米国人は、マリオにチャレンジできるようなゲームを作れる状態になかった。


潰せるものから潰していくと、(2)の優秀な人材というのは、もちろん居なかったわけではない。例えばマリオの宮本氏に匹敵する評価を今日受けている数少ないゲームデザイナーの一人であるWill Wrightのデビュー作は1984年の「バンゲリングベイ」である。後にプラットフォームゲームのプリンス・オブ・ペルシャで評価を受けるJordan Mechnerも同じ年にあの「カラテカ」を出している。

そして(1)の別カテゴリだが、アクション系については、これがたいして見当たらないのである。この頃のアメリカから出てきた2次元アクションのゲーム、などというものはなかったかのようなぐらいないのである。残るは(3)だが、そんな状態になるような大きな出来事がなかったかというと、実はあったのである。スーパーマリオブラザーズのデビューは1985年。その2年前にあの「アタリショック」。その衝撃から米国のコンソール業界が立ち直ることは、ついぞなかったのである。

 

一応説明しておくと、この当時のゲームが出来るプラットフォームは、だいたい3種類に分けられる。安価なゲーム機は、貧弱なCPUとメモリしか積まなかったが、ROMカートリッジと、アクションゲームを動かすためのハードウェアスクロール機能やスプライト機能、つまりはグラフィックのハードウェア支援が強力だったため、アクションゲームを作るのに非常に適していた。高価なPCは、CPUとメモリは強力だが、ハードウェア支援は貧弱で、絵は綺麗だが高速な画面書き換えは苦手。そしてその中間に、ホビーにも適したPCというものが存在している。当時の日本で言うと、順にファミコンやセガMk3のようなゲーム機やアーケード、PC-8801/9801などのパソコン、MSX、と言ったあんばいだ。当然作られるゲームも棲み分けされ、ゲーム機ではアクションが、PCでは演算能力を活かしたRPG,シミュレーション,3Dアクションなどが主流であった。

この状態でゲーム機が全滅したのだから、まともなアクションゲームが作れるはずもない。例えば先程のカラテカは、最初にAppleIIでリリースされている。当時のAppleIIはリリースから何年も経っており、控えめに言ってもファミコンより大分貧弱だった。それを使わざるを得なかったのである。

実際にどんなゲーム機で、どんなゲームが当時リリースされたか、ちょっとWikipediaで調べてみると、愕然とする。

List of console game franchises

は、コンソールゲームで有名なシリーズ物ゲームが、最初に登場したハードウェアごとにまとめられている。ちなみにアタリショック以前のものは米国では第二世代、2nd generationに、ファミコン(=米国ではNESと呼ばれる)は、3rd generationに属する。2nd generationで、日本には有望なゲーム機があまりないとはいえ、それなりに日本初のシリーズが見て取れる。しかし3rdになると、米国産のゲームの数は絶望的なほどに少ない。試しに知らないシリーズを調べてみると、結構な割合で日本のもののローカライズ品だったりする。

このように、マリオに匹敵するアクションゲームを作る余地は、当時のアメリカには全くなかった。むしろ、優秀なアクションゲームを作れる基盤は日本にだけあったといえる。宮本氏が素晴らしいデザイナーであった以前に、もう戦略的圧勝、マリアナの七面鳥状態。

 

というわけでマリオについても独自の考察をしてみた。日本文化と2Dの親和性の存在を補強する証拠はあるものの、それはあくまで副次的要因にすぎず、それ以上に外的要因が大きかった、という印象である。L.starはそもそも最初のコンソール機がプレステで、コンシューマー方面はあまり得意でなかったので、PC方面が最前線だったRPGに比べて苦戦するだろうなと思ったら、意外な方面から回答をもらってしまった。

しかし、アタリショックの原因とかはいろいろ言われているが、影響の大きさには今更ながら驚いた。この失敗を挽回できるコンソールの発表まで結局20年かかっている計算になる。日本メーカー凄い、と思っていたが、実際にはアメリカの自滅っぷりがもっとひどかったんだなあ、と今更ながらに思わされた次第である。

 

 

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